第六章―約束―#5


 ロウェルダ公爵邸に転移した私たちは、シェリアたちに挨拶をした後、意気揚々と街へと繰り出した。


 レド様は皇子という立場だが、皇妃による冷遇のため、ここ数年は公式行事等で民衆の前には姿を見せていないので、【偽装フェイント】という魔術で瞳の色を変えているだけに留めている。


 銀髪はさほど珍しいものではないし、皇族特有の紫色の眼さえ隠せば、それほど目立たない。顔の傷も、冒険者なら珍しくもないしね。


 そういうわけで、今のレド様の右眼は、セアラ側妃と同じ銀色の瞳になっている。


 念のため、『レド様を皇子だと知っている者』を対象とした【認識妨害ジャミング】もかけている。



「まずは、冒険者ギルドに行くんだったな?」

「はい。先に申し込みを済ませてしまいましょう」


 レド様にも、冒険者になってもらうことになっている。


 これは、冒険者ギルドという後ろ盾を得るためだ。レド様の実力なら、おそらく、そう時間がかからずにSランクへと到達できるだろう。


 それから、何かあって立場を追われた場合の生活の術を得ておきたいという理由もある。


「では、参りましょうか」


 冒険者ギルドは、城下街の大通りのかなり目立つ位置に建っている。二階建ての無骨だが堅固な石造りの建物で、大通りの他のどの大店おおだなよりも大きい。


 大きな割に意外と軽く開く重厚な印象の扉を潜り、レド様と連れ立って中へと踏み入る。冒険者は朝が早いので、この時間帯は人はまばらだ。


「あ、リゼさん。今日はどういったご用件で───」


 レド様と受付に近づくと、私に気づいた顔馴染みである受付嬢のセラさんが言いかけ、何故かそこで絶句した。


「セラさん?どうしたんですか?」

「え、ええ?何で?いつの間に?───リ、リゼさんっ、そ、そちらは…、リゼさんの───」


 セラさんは、私とレド様の耳に着けられた揃いのイヤーカフを見ている。


「あ、ええと…、私の…、結婚を約束している人です……」


 言いながら、頬が熱くなってくる。


 庶民は大抵が恋愛結婚なので、あまり『婚約者』とは言わない。“結婚を約束している恋人”なのだ。


「う、嘘でしょ…。16歳になったばかりのリゼさんにまで越されるなんて───しかも、こんな…、こんな美男美女とか───おかしい…、世の中不公平過ぎるでしょ…。うう、羨ましい───」


 セラさんが、暗い顔で何かをぼやき出した。


 セラさんは美人と呼んで差し支えない容姿なのだが、仕事が出来過ぎるせいなのか、何故か恋人には恵まれない。


 そういえば、この間入った新人受付嬢が、もう結婚のために退職したと聞いたけど、もしかしてそのせい?


「セ、セラさん?お、お願い、戻ってきて!?」

「…っは。…ごめんなさい、つい取り乱しました。それで、今日はどういったご用件でしょうか?」


 何事もなかったかのように、とてもいい笑顔で言うセラさんにちょっぴり戦慄しつつ、ギルドマスターに繋ぎをとって欲しいことを告げる。



◇◇◇



「お待たせしました。こちらへどうぞ」


 2階にある応接室へと案内され、レド様と二人で向かう。前を歩くセラさんに気づかれないように、こっそり【認識妨害ジャミング】を解いた。


「失礼します。ギルドマスター、リゼラさんをお連れしました」

「おう。…セラ、ご苦労だったな。下がっていいぞ」


 セラさんが出て行くと、ギルドマスターであるガレスさんが口を開いた。


「リゼ、こちらが例の?」

「はい。このレーウェンエルダ皇国第二皇子であられるルガレド殿下です」


 ガレスさんには、レド様のことをあらかじめ伝えてあった。


 レド様が【偽装フェイント】を解いて、淡紫色の瞳を現す。ガレスさんは一瞬だけ驚いた表情を見せたが、すぐに元の無表情に戻った。

 

「レド様───こちらはこのギルドを統括している、ギルドマスターのガレスさんです」

「ルガレド=セス・オ・レーウェンエルダという。よろしく頼む」

「ガレスといいます。こちらこそ、どうぞお見知りおきを」


 国をまたいで展開する冒険者ギルドには王侯貴族の身分は意味を成さないものではあるけれど、それでも最低限の礼儀は見せる。


 ガレスさんに促され、ソファに向かい合って座る。私はレド様の隣に腰かけた。


「ルガレド殿下は───」

「アレドでいい。通称はそれで通すつもりだ。それから、冒険者には身分は関係ないと聞いている。皇子として扱わなくていいし、敬語も必要ない」

「…解った。それじゃあ、遠慮なくいつも通りにさせてもらう。───冒険者には皇族としての身分は通用しないってことを言いたかったんだが…、その分なら、言わなくても大丈夫そうだな。まあ、リゼがそんな奴を連れてくるはずがないか」

「当たり前だ」


 何故か、レド様が他人事───いや、自分のことのように頷いている。レド様?


「冒険者ギルドは、犯罪者以外なら、どんな身分の者であろうと、どんな奴であろうと受け入れる。特に、お前さんのような実力者は大歓迎だ。

これまでの魔獣討伐による実績は聞いているし、Sランカーであるリゼの推薦もある。多分、BランクかCランクから始めてもらうことになるだろう。

これまでの実績の詳細が届き次第、それを踏まえてランクを決めるつもりだ。そのために5日は欲しいところだな」


「5日ですか。もっと時間がかかると思っていました」


「そちらの旦那がおこなった魔獣討伐には、冒険者も参加していたからな。参加した冒険者も判っているし、そちらから調査できるんだ。それがなかったら、もっと時間がかかったはずだ。

それに、リゼから話が来た時点で調査を依頼していたのでな」


 さすが、ガレスさんだ。


 ガレスさんは元冒険者で、Aランクまでは昇り詰めたものの、ケガをして引退したという経歴を持つ。ケガをしていなければ、おそらくSランカーとなっていたはずだ。


 ベテラン冒険者としての経験、冒険者時代のリーダーシップを買われ、ギルドマスターとなった。この国で一番大きいギルドを任されているだけあって、やはり仕事が早い。


「話を聞いた限りではAランク相当の実力はあるとは思うが…、冒険者としての技量はまた別物だからな。そちらの方は、リゼが教え込むつもりなんだろう?」

「はい。ライセンスが発行され次第、一緒に依頼を受けて覚えていただこうと思っています」


「リゼに教えてもらえるなんて、お前さんは運がいい。リゼの技能と知識はすごいぞ。そこらの冒険者とは、一線を画しているからな。特に、“解体”に関しちゃ、専門の解体師でも敵わないくらいだ」

「そうなのか?」


 ガレスさんが、何故か面白そうにレド様に言う。案の定、レド様は驚きながらも、興味津々だ。


「ちょっと、ガレスさん。それは大げさすぎです。レド様に変なことを吹き込まないでください」

「変なことじゃないだろ。それに、本当のことだ。

ギルドでは、まだ冒険者になれない幼い子供にも簡単な仕事を提供しているんだが…、こいつはその頃から他のガキとは目の付け所が違っていてな。

持ち込まれる獲物の解体の雑用をしながら、いつの間にか解体の技術を学んでいたんだ。うちの解体師の奴らも面白がって詳しく教え込んだもんで、そのうちそこらの解体師よりも出来るようになっちまって」


「だって───自分で解体出来ればその分費用の節約になるし、魔物や魔獣の種類も覚えられるし、どこを攻撃すればいいのか判るようになるだろうし───いずれ冒険者になったときに役に立つと思ったんです」

「そこまで考えていたのか。すごいな、リゼは」


 レド様が物凄く感心したように言うので、いたたまれなくなってしまう。


「必死だっただけです。それに、私は記憶持ちですから、同じ年齢の子よりも視野が広いのは当然です」


「そんなことないぞ。オレの幼馴染にも記憶持ちがいるが、そいつはオレたちとそんなに変わりなかったからな」

「それは、育った環境の違いじゃないですか?私の場合、環境が環境でしたから」

「いや、リゼがすごいだけだと思う」


 レド様には、私が良く見え過ぎるフィルターがかかっていると思います…。



◇◇◇



 冒険者ギルドで用事を済ませた私たちは、街を巡り始めたのだけど───


「あ、リゼちゃん、いらっしゃ───え?…あ、あの、リ、リゼちゃん?そちらは…?」


 どのお店に行っても、レド様を見た途端、何故だか皆一様にセラさんのような反応を示すのだ。


「…私の、結婚を約束している人です……」


 その度にそう説明するのだが、何度言っても慣れない。どうしても、頬が熱くなってしまう。多分、顔が赤くなっているはずだ。うう、恥ずかしい…。


 その後は───何だかよそよそしい雰囲気になって、そそくさと店を出る───その繰り返し。


「すみません…、レド様。いつもはこんな感じじゃなくて───みんな活気があって、もっとこう…、楽しそうな感じなんですよ。何だかみんな私の婚約が意外みたいで…」

「いや、あれは意外というか…。───リゼがこうなったのは、一体何が原因なんだ?他のことには決して鈍いわけではないのに…」

「え?」

「いや、気にしなくていい。…まあ、皆の反応は仕方がない。しばらくすれば、そのうち立ち直るだろう。それに───俺を紹介するときのリゼはすごく可愛いから、それを見られるだけで楽しい」

「っ!?」


 だから、そういう───そういうことを、さらりと言わないでください…。


「そ、そろそろ食材を買って、帰りましょうか」

「そうだな。何を買うんだ?」

「そうですね…、お肉はまだあるから、根菜類とパンですね」




 レド様を先導しつつ、まずは行きつけの八百屋さんへと向かう。


「おう、いらっしゃい、リゼ!お、そちらの旦那は初めてだな。何だ何だ、もしかしてリゼの恋人か?」


 あ、良かった。八百屋のギドさんはいつも通りだ。


「ああ。アレドという」


「へえ、リゼを選ぶとは、見る目があるじゃねえか。しかも、プロポーズ済みかよ。やるねぇ。───ああ、だから、リゼは最近、節約してたんだな?新婚生活に向けてってか」

「え?」

「最近、クズ野菜ばっか買っていくからよ、心配してたんだよな。孤児院の方へはちゃんとした野菜を届けるよう頼むのに、自分の分はクズ野菜だから、よっぽど困窮しているのかと思ってな」


 ええっ、そんな風に思われてたの?───でも、そっか、はたから見れば、そう見えるかも…。


「旦那、頼むぜ。リゼは本当にいい子なんだ。しっかり食べさせてやってくれよな。それが、男の甲斐性ってもんだぜ」

「…ああ、勿論だ。リゼに貧しい思いは、絶対にさせない」


 レド様が力強く宣言する。あれ、レド様、私が困窮してないって知ってますよね?


「偉い!それでこそ、男ってもんだ。それじゃあ、今日は安くしてやるぜ。リゼにちゃんとした野菜を、たくさん買ってやってくれよな!」


 私を心配してくれているのかと思いきや、これギドさんがただ単に買わせたいだけじゃ───ちょっと、レド様、そんな簡単に頷かないでください!


「ギドさん、アレドは純粋なんです!そんなこと言われたら、本当に買っちゃいますから…!」

「いいじゃねぇか、買ってもらえば。大体、今からケチでどうする。結婚したら、何にも買ってくれなくなるんだ。今のうちにたくさん買ってもらえ」

「…それは、ギドさんの体験談ですか?───さては、ギドさん、メナさんに恋人時代は貢いでいたけど、結婚してからは何にも贈ってないんですね?」


 メナさんは、ギドさんの奥さんで、ゴリラみたいなギドさんにはもったいないくらい嫋やかな美人さんだ。


「ぅ、そんなことねえよ?ちゃんと、大事にしてるぞ?」

「…本当ですか、メナさん?」

「っげ、おまえ、いつの間に」

「うふふ…、聞かれて困ることでも話していたのかしら?」

「い、いや…、そんなことは───そ、それより、ほら、こいつ!リゼの恋人だってよっ」


「あら、まあ。リゼちゃんたら、いつの間に恋人なんて作ったの?───あら、結婚の約束までしてるのね。大丈夫?騙されてない?世の中にはね、結婚前は熱烈に求愛してくれても、結婚した途端に掌を返したように冷たくなる男もいるから、気を付けた方がいいわよ。ねえ、ギド?うふふ…」


 メナさんが怖い…。


「俺は絶対にそんなことはしない。一緒にしないでもらいたい。やっとのことで結婚の承諾をもらえたのに、撤回でもされたらどうしてくれるんだ」


 レド様が私の肩を抱き寄せ、憮然とした声音で言う。メナさんは正気に返ったみたいで、今度は朗らかに笑った。


「うふふ、ごめんなさいね。良かったわね、リゼちゃん。その人なら、きっと大事にしてくれるわよ」

「ええ、それは解っています」


 私が当然のごとく頷くと、レド様の肩を抱く力が少し強くなった。


「あら、まあ。うふふ、余計なお世話だったみたい。それでは、今日はお詫びにうんとサービスするわね。たくさん買っていってちょうだいな」


 ────あれ?結局、たくさん買わされてない?




「何だか…、すごい夫婦だったな」

「ふふ、あの二人、今日はあんな感じでしたけど、あれで何だかんだ仲は良いんですよ」

「そうなのか…」


 そんな会話をしているうちに、行きつけのパン屋へと到着した。


 簡素な木の扉を開けると、カラン、とドアベルが鳴る。


 パンの香ばしい匂いがふわりと漂い、出来立ての美味しそうなパンが、小さいお店の中に所狭しと並んでいるのが目に入る。


 ピークの直前に来たせいか、他の客はいない。


「こんにちは、モナおばさん」

「いらっしゃい、リゼ────おや、そちらはリゼの恋人かい?」


 モナおばさんもいつも通りだったので、ちょっと安心する。


「こ、恋人というか…、その、結婚を約束している人、です…」


 恋人とは少し違う気がする…。


 あれ、でも、レド様、さっきギドさんの『恋人』という言葉に頷いていたような────


「おや、おや。リゼもそんなお年頃なんだねぇ。あんな小っこかったリゼが…、早いもんだ。しかも、結婚の約束とは。本当に月日が経つのは早いね。ああ、でも得心がいったよ。それで、リゼは節約してたんだね?」

「え?」

「最近、日が経った安売りのパンばかり買ってたろう?ちょっと心配してたんだよ」


 え、モナおばさんも?


「リゼ…、これからは普通のパンを買おうか?」

「はい……」


 超絶ハイテクパントリーを利用した食費削減作戦は、どうやら凍結しなければならないようだ…。 

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