第六章―約束―#3


「ロウェルダ公爵邸に行くには、少し早いですね」


 貴族の夫人や息女、就労前の子息の朝は遅い。おそらく、今頃シェリアたちは朝食を摂っているだろう。


「そうだな」


 レド様が返事をしながら、額にかかる髪を少し鬱陶しそうに払いのける。


 …あれ?そういえば、レド様の髪は結構短めだけど、どうやって切っているのだろう。


「レド様は、散髪はどうされているのですか?」

「ああ、俺の場合は、切ってくれる者がいないからな。長くなってきたら、後ろで括って、まとめてナイフで切るんだ」


 え、そんな切り方してるの!?


 確かによく見ると、後ろが不自然な感じだ。ヘアクリームで上手くごまかしてあるから、気づかなかった…。


「レド様、私に髪を切らせてもらえませんか?」

「やってくれるのか?」

「はい。出かける前に済ませてしまいましょう」




 話し合った結果、洗濯室で散髪することにした。


 レド様が洗い場でヘアクリームを落としている間に厨房からスツールを1脚持ってきて、自前の鋏と櫛を【遠隔リモート・管理コントロール】で取り寄せる。それとキャビネットからバスタオルを一枚取り出しておく。


「今回は不自然になってしまっている部分を整えたいので、少し短めになってしまうかもしれませんが、構いませんか?」

「リゼに任せる」


 濡れた髪を拭き、そのままバスタオルを上半身に巻いたレド様は、どこか楽しそうに答えた。


「ありがとうございます。それでは、始めますね」


 孤児院で、頻繁にちびっ子たちの散髪をしているので、私は、結構、切り慣れているのだ。躊躇せずに鋏を入れ、刃の角度を変えながら、なるべく自然に見えるように整えていく。


「…出来ました。やっぱりちょっと短めになってしまいましたね」


 レド様の髪はいい感じに癖があり、素人の私が切ったにしては、すごく良い仕上がりに見えた。


 私が後片付けをしている間に、使用人部屋の鏡で出来映えを確認してきたレド様は、ご満悦という表情で戻って来た。


「すごく良くなった。…また、頼んでもいいか?」

「はい、勿論です。お任せください」


 レド様が弾んだ声でそう言ってくれたので、私は嬉しくなって笑みを浮かべて頷いた。



◇◇◇



「朝から、邪魔して済まない」


 【移動門ゲート】でロウェルダ公爵邸へ赴くと、おば様、シェリア、カエラさん、シルム、ラナ姉さん、ロドムさんが出迎えてくれた。


「いいえ、お待ちしておりましたわ、殿下」

「おはようございます、おば様。朝からお邪魔してごめんなさい」

「おはよう、リゼちゃん。お二人とも、そんなにお気になさらないで。あちらにお茶の準備がしてありますのよ。そこでお話しましょう」


 おば様に促され、応接間へと向かう。そこには、お茶の準備と共にマイラさんが控えていた。



「やはり、お二人の婚約は、皇妃の差し金でしたのね。それで───どうさなるおつもりなのですか?」


 レド様が、私たちの婚約についての事情を話すと、シェリアには予想済みだったらしくそう訊かれる。


「俺は、そんなことは関係なく、リゼを妻にするつもりだ。リゼにはすでに求婚して承諾を得ているし、ロウェルダ公爵立会いの下、正式な婚約が成立している」

「………早過ぎません?」


 シェリアが、少し呆れたように呟く。


「邪魔でも入ったら嫌だからな」


 しれっと告げられたレド様の答えに、皆が生温かい視線を私に向ける。うう、何だかいたたまれない…。



「それでは、次は新年度に向けての準備ですわね。我がロウェルダ公爵家も助力を惜しみませんわ。まずは、年度初めの辞令式で着る礼服の手配からかしら」


 ミレアおば様の言葉に、私はそれを失念していたことに気づく。

 礼服をフルオーダーであつらえるには、3ヵ月前ではギリギリ間に合うかどうかだ。アトリエによっては、もう受注してくれないだろう。


「そうか、礼服───」


 レド様もそのことに思い当たったようで呟いた。


「…ラナは、礼服を手掛けたことは?」

「マドラのアトリエにいた頃にはございますが───」


 レド様の問いかけに、ラナ姉さんが戸惑い気味に答える。レド様は、ラナ姉さんに礼服を作ってもらうつもりなのだろうか。


「ですが、レド様、ラナ姉さんにはすでにレド様と私の服を頼んでありますし…、礼服までは───」

「勿論、一から作ってもらうのではなく、今持っているものか古着を手に入れて、それを手直ししてもらうつもりだ。───アトリエに依頼したら横槍が入る可能性がある。ラナに頼むのが最善だ」


 それは、確かにそうなんだけど…。でも、ラナ姉さんの負担が大きい気がする。


「そのお話───お受けします」


 私が躊躇していると、ラナ姉さんがきっぱりと宣言した。


「でも、ラナ姉さん───」

「大丈夫よ。心配しないで、リゼ。二人分の礼服を一から作るなら無理だけど、手直しなら、頼まれている分と並行しながら出来るわ。やってみせる」

「本当に───本当に、大丈夫?無理してない…?」


 3年前の弱った状態のラナ姉さんの姿が、頭を過る。


「本当にリゼは心配性ね。大丈夫よ、無理なんてしてないし、するつもりはないわ。今度は3ヵ月の猶予があるのよ。元になる礼服を選んで、どんな風に手直しするのか考えて、仕上げるには十分よ。頼まれている殿下の夜会服と普段着に、リゼの親衛騎士や補佐官としての服もちゃんと作れるわ。…だから、わたしにやらせて、リゼ」


「…解った。ラナ姉さんに任せる。でも、本当に無理はしないでね」


 それでも心配で私が念を押すと、ラナ姉さんは嬉しそうに頷いた。


「それなら、ラナちゃん、3か月間うちに住み込んで作るとよろしいわ」


 おば様が、にこにこと笑いながら、そんなことを言い出した。


「うちにいれば、ラナちゃんの寝食の心配はいらないでしょう?それに、うちのお針子たちが手伝えるもの。横槍が入る隙もないから、万事解決ですわ」


 ロウェルダ公爵家には、当然ご用達のアトリエがあるが、ちょっとした手直しや繕いは、公爵家で雇い入れている常駐のお針子たちがする。


「でも、おば様、そこまで頼るわけには───」

「リゼちゃん。言ったでしょう、助力は惜しまないと。これは、主人からの───ロウェルダ公爵からの申しつけなの。だから、遠慮しないでちょうだいな」

「…解りました。本当にありがとうございます、おば様。ラナ姉さんのこと、よろしくお願いします」


 私は頭を下げた。本当に、ロウェルダ公爵家の皆には感謝しかない。


「公爵夫人、感謝する。勿論、滞在費やお針子の賃金などの費用はこちらで持つ。どうか、よろしく頼む」


 レド様は立場上、頭を下げることは出来なかったけれど、そう言って目礼した。



◇◇◇



「今日も一緒に街へ行くことは出来ませんでしたね…」


 あの後、急遽、ロウェルダ公爵家と私が懇意にしている信用できる商人を邸に呼んで、古着の手配やら、材料の仕入れやら、相談と注文で時間をとられてしまい、またしても街へ行くのは断念したのだ。


 特に、レド様の礼服に関して時間がかかり、結局、私が一人で街へ行き用事を済ませた。


 レド様を色々と案内したかったのにな。仕方がないことだけど、楽しみにしていたので、少しがっかりだ。


「せっかくリゼが案内してくれると言っていたのに、すまなかった。だが、明日は行けると思うから。ぜひ案内してくれ」

「そんな、レド様が謝ることではありませんよ。礼服は必要ですし、レド様だけでなく私の分も手配したんですから。確かに今日行けなかったのは残念でしたけど、明日楽しみにしています」

「ああ。俺も楽しみにしている」


 明日一緒に街を歩くことを想像して、レド様と笑い合う。


「この後はどうしましょうか」


 夕飯とその後片付けを終えて、私はレド様に訊ねる。


「…それなら、サンルームでゆっくりしないか?」

「いいですね」


 レド様に誘われ、厨房からサンルームへと出る。


 サンルームを夜仕様にして、淡い光の群れや発光する蝶が木々や花々を柔らかく照らしている中を、レド様と二人、ソファの方へゆっくりと歩いて行く。


「リゼ」


 ソファに並んで座って、夜の幻想的な庭を眺めていると、レド様に名を呼ばれたので振り向いた。


「リゼに渡したいものがあるんだ」


 レド様はそう言って、【遠隔リモート・管理コントロール】で小さな箱を取り寄せる。蓋を開くと中に入っていたのは、星銀ステラ・シルバーの台座に円くカットされた聖結晶アダマンタイトが一つだけのシンプルな一対のイヤーカフだった。


「本来ならこれは求婚する際に渡すものだと聞いた。後になってしまってすまない」


 これは、前世でいうところの“エンゲージリング”だ。


 この国では、男性が、腕輪かピアスかイヤーカフのどれかを、妻となる女性に贈る。一対のものを二人で身に着けることで、周囲に婚約していることを示すのだ。


「あ…、もしかして、時間がかかっていたのは───」

「ああ。これを選んでいたからだ。俺が用意していないことが判っていたロウェルダ公爵が、商人を呼ぶよう手配していてくれたらしい」

「では、おば様は、礼服のことがなくても、最初から商人を呼ぶつもりだったんですね?」

「そのようだ」


 そうだったんだ…。本当に、おじ様にもおば様にも頭が上がらない。


「リゼ…、改めて───俺の妻になって欲しい」

「はい、喜んで…。レド様」


 レド様が、私の右耳の上の方にイヤーカフを着けてくれる。


「リゼも着けてくれるか?」

「はい」


 今度は私が、レド様の左耳の同じ位置にイヤーカフを着ける。


「これで…、リゼが俺の婚約者だということが一目で判るな」

「レド様もですよ?これで、レド様が私の婚約者だと判りますね」


 嬉しくて───幸せで、自然と顔が緩む。きっと私は今、笑みを浮かべているに違いない。レド様の方を見ると、レド様も幸せそうに笑っている。


 この後の行動は、お互い聞かずとも解っていた。


「…一緒にやろうか?」

「ふふ、そうですね」


 どちらからともなく、両手を繋いで、顔を寄せ額をくっつける。


「「【最適化オプティマイズ】」」


 レド様と私の足元に重なって展開した魔術式が、ぱあっと光を放つ。イヤーカフに魔力が流れ込むのを感じた。引っかかっていただけのイヤーカフが、耳に吸着するように張り付く。


 そして、いつものように【案内ガイダンス】の無機質な声が響いた。



永遠の約束エターナル・リンク>を認識───アクセスを開始します…

永遠の約束エターナル・リンク>の起動条件クリア───起動に成功しました

限定能力【念話テレパス】を置き換えます────完了

限定能力【把握グラスプ】を置き換えます────完了



「「…………」」


 何となく、こうなるような気はしていた。


「…どう変わったんでしょうね?」

「試してみるか?」


 私が頷くと、レド様から、【念話テレパス】が届いた。


≪───リゼ?≫

≪はい、レド様≫


 すかさず、私も【念話テレパス】を返す。


 違いはすぐに判った。前に【念話テレパス】を試したときは、足元に魔術式が展開した。能力を使用していることが判ってしまうので、非常時にしか使えないと考えていたのだ。今回は、それがない。


 どうやらイヤーカフを経由しているみたいだ。


「これはいいな。これなら、人前でも使うことが出来る」

「ふふ、内緒話が出来ますね」


 冗談めかして、私がそう言うと、レド様は楽しそうに頷いた。


「ああ、そうだな」


 【現況確認ステータス】を開いて確認してみたところ、お互いの位置を察知できる能力【把握グラスプ】の方も同様らしい。


 それに、どちらも今までは使用者の魔力によって距離が限定されていたが、無制限になっている。つまり、何処にいても繋がるようだ。


 まあ、でも、私もレド様も魔力量が物凄く多いので、かなり距離が離れていても繋がっただろうとは思うけど。


「これで、少しは安心だな。いつでもリゼと連絡を取れるし───リゼに何かあっても何処にいるのかすぐ判る」


 あれ?それは親衛騎士である私のセリフではないでしょうか、レド様。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る