第三章―ファルリエムを継ぐ者―#4


「…それで、俺のこの眼のことなんだが────見てもらった方が早いか」


 そう言って、レド様は左眼の眼帯を外した。

 左眼は、その上下に刃傷が走っているが、眼自体には傷はなかった。


 それよりも、私はその瞳に魅入られていた。


 それは、何て表現したらいいのだろう。レド様の左眼の瞳は、不思議な色合いをしていた。


 赤や緑、金銀、様々な色が溶け合い、いや、溶けずにマーブル状になっているようにも見える。とにかく、様々な色がゆらゆらと揺らめいている。


「これは、『神眼』と呼ばれるものらしい。物凄く珍しいもので、ある古文書に記述があったらしいが、その現物も残っていないので、俺に顕現するまで、ほとんど迷信のように思われていたようだ。───リゼは、『神眼』について聞いたことはあるか?」


 レド様の問いに、私は頷く。


 『神眼』の伝承については、私も耳にしたことはあった。

 何でも、その眼は、精霊など見えざる存在を見据えるだけでなく、千里先も見通し、人の心の中までも見透かすという。


 レド様は眼帯を戻してから、話を続けた。


「あの伝承は、本当だ。この左眼は、本当に何でも見えてしまう。例えば、そちらの壁を見るとするだろう。そうすると、その壁とレストルーム、ダイニングルーム、サンルーム、城壁、その向こうの森…、と重なって見えるんだ。

それに、人の心が見えるというのも本当だ。何と言うか、人の性根が具象化して見えるんだ。醜い心を持つ者は汚く濁った靄を纏い、優しい心を持つ者は柔らかい光を纏っているという風に」


 眼帯を掌で抑えて、レド様は溜息を吐いた。


「俺が生まれたとき、かなり大騒ぎだったらしい。特別な子が生まれた、と。だが、それが、皇妃に目を付けられる要因になった。そして、極めつけは、あの神託だ」

「レド様の神託、ですか?」


 そういえば、レド様の神託については聞いたことがない。噂にものぼらないなんて、考えてみれば変な話だ。


「俺に下された神託は『英雄』だそうだ」

「『英雄』…!?」

「ああ。神眼を持ち、『英雄』なんて神託を下されたら────皇妃一派が黙っているはずがない…」


 眼帯を抑えている左手に力が入り、レド様の表情が苦し気に歪む。


「神託を受けた直後から何度も襲われて、その度に辛くも退けていたんだ。だけど、ついに7歳のあの時…、護衛が暗殺者を抑えきれなくて、左眼をナイフで抉られた。そのまま殺されそうになったところを、母上に庇われたんだ」


 それが…、セアラ側妃が亡くなられた、あのレド様暗殺未遂の真相───


「不幸中の幸いというべきか、あの件で左眼は潰れたと皆信じた。皇妃は俺に興味を失くしたようで、それ以降、襲われることはなかった」

「…ということは、左眼は潰れていなかったということですか?」

「傷がついて、映像を捉えることが出来なくなったのは確かだ。だが、人の性根が見えてしまうのは変わらなかった。眼帯をしていても見えてしまうから、夜会やら式典に出るのは本当に苦痛だったな。皇妃たちは、俺が夜会や行事にあまり呼ばれないことを悔しがっていると思っていたようだが」


「ですが、今見た限りでは、眼球に傷がついているようには見えませんでしたが…」

「ああ。おそらく、古代魔術帝国の魔術のせいなのだろうな。俺も先程、着替えるときになって気づいたんだ。左眼が治っていることに」

「え、それならば、見え過ぎるようになっているのでは────」

「それが、この眼帯に、神眼の力を抑える仕組みが施されているらしい。この眼帯のおかげで、今は魔力や空中に漂う魔素などがぼんやり映る程度で、人の性根は意識しなければ見えなくなったようだ」

「そうですか…。それなら、良かったです」


 他人の性根など、見ても楽しいものではない。安堵して私が呟くと、レド様は表情を緩めた。


「神眼についてはもう潰れたものと思われていることもあって、俺の神託共々、皇妃の顰蹙ひんしゅくを買うのを恐れて、もう誰も口にしない」


 それで、噂でも聞いたことがなかったのか。


「神眼が回復したことは、誰にも知られない方が良さそうですね」

「ああ。そのつもりだ」

「解りました。私も誰にも漏らさないようにします。ネロにも口止めしておきますね」

「ああ、頼む」



◇◇◇



 レド様が話を終えて、私たちはどちらからともなく、お茶を口に含んだ。


「…美味しいな。これは、リゼが持ち込んだものか?」

「はい。高級なものではないのですが、この味が好きで、よく購入しているんです」


 前世の祖母が淹れてくれた日本茶の味に似ていて、私にとっては懐かしい味だ。それに、後味が爽やかで、とても気に入っている。


「よろしければ、こちらのドライフルーツもどうぞ。私が作ったものなので、お口に合うか判らないですが…」

「リゼが?」

「ええ。以前、冒険者の仕事で滞在した村で、作り方を教わったんです」


 あの村のドライフルーツは、とても美味しかった。近くの森でとれる果物を使うので、季節によって使われる果物が違うのに、どの果実も、ちょうど良い甘さと硬さになっていて、本当に美味しいのだ。


 数が出来ないらしく、大抵村の中で消費してしまうため、他所よそには出回らないようだ。


 皆にも食べさせたくて、私もまた味わいたくて、頼み込んで教わった。


「では、一つ、もらってもいいか?」


 どうぞ、と私は皿を差し出す。


「…程よく甘くて美味しいな」


 レド様が気を使ってそう言ってくれたわけではなさそうなので、私は嬉しくなって微笑む。



「そういえば、先程話を聞いていて、ちょっと思ったのですが…。神眼を抑える技術があったということは、古代魔術帝国には、神眼の持ち主がいたのでしょうか。それも、そんな技術が研究されるくらいの」

「そう言われてみれば、そうだな…」


「もしかしたら、神眼について、【解析アナライズ】なら何か解るかもしれないですね」

「確かにな」


「…やってみますか?」


 私の問いに、レド様は一瞬、躊躇う素振りを見せたが、頷いた。私はそれを受けて、向かいのソファに座るレド様の前に回る。


「それでは、眼帯をとっていただけますか?」


 レド様が左眼から眼帯を取り除く。私は身を屈めて───極力、顔を近づけることを意識しないようにしながら、レド様と眼を合わせた。


「【解析アナライズ】───」



神眼ゴッド・アイ:ルガレド】

 「賢竜」と称された「神竜エル・ドラゴンガルファルリエム」と人間の間に生まれた【神竜人エル・ドラグーン】の子孫である「ファルリエム一族」のみに受け継がれる眼。【神霊】、【千里】、【魂魄】、【魔素】を目視することが可能。器は先祖返りのため膨大な魔力を持ってはいるが、【神竜人エル・ドラグーン】ならざる身のせいで、隻眼でも持て余し気味。

 つい先程まで、ナイフに塗布されていた毒に侵されていたが、除去された。


 

「………………」


 ええっと、何から驚けばいいんだろう…。


 『賢竜』って“神竜”なの?───それでもって、“ガルファルリエム”っていう名前なの?…というか───“神竜”ってどういう存在?


 人間と子を生した?───え、“神竜人”?どういう人種?そんなのこの世界に存在してたの?───しかも、旧ファルリエム辺境伯家がその血筋なの?


 全部、初耳なんですけど…。


「…リゼ?」

「ああ、すみません。ちょっと、想像の域を越えていたというか…、驚きの事実しかなくて…」


 レド様が眼帯を付けているうちに、私は向かい側のソファに戻る。


「それで、【解析アナライズ】の結果なんですが────」


 私はレド様に、ありのまま結果を話す。


「…………何から驚くべきだろうな」


 やっぱり、そう思いますよね…。


「『賢竜』って、あれだろう?知の象徴とされる、あの竜だよな」

「ええ、あの竜です。よく図書館とかの前に石像が置かれている、あれです。確か、このお邸の図書室の扉にもモチーフとして使われていましたよね」

「あれが、『神竜』で、『ガルファルリエム』という名で、俺の───母上の一族の祖先…?」


 さすがのレド様も、いささかパニックになっているようだ。


「…ファルリエム辺境伯は知っていたのでしょうか?」

「いや、知らなかったのではないかと思う。爺様が亡くなったのは俺が16歳のときだ。幼いうちに亡くなったならいざ知らず、知っていたなら、俺に話してくれていたはずだ」

「確かに」


 じゃあ、図書室の扉は偶然か。まあ、よくあるというか、図書館、図書室では高い確率で使われるモチーフだしね。



「しかし───俺の魔力が、かなり多いのは判っていたが…、そんな理由だったとは」

「確かにレド様の魔力、本当に多いですよね。私も、魔力切れを起こしたことがないくらい多い方ですが、レド様の魔力には及ばないです」

「…待て、リゼ。もしかして、他人の魔力量が量れるのか?」

「量れるというか、感じ取れます。……………あれ、もしかして、普通は出来ないことですか?」

「そうだと思う。俺は、この左眼のおかげで見ることは出来るから、魔獣や魔物、他人の魔力量などが判るが、普通は判らないはずだ」


 え───そうなの?


 ああ…、だからか。駆け出し冒険者が魔力量の多い魔物に突っ込んでいったり、逆にベテラン冒険者が魔力量の少ない魔物に躊躇したりしてたのは、そのせいなのか…。


 ちょっと不思議に思ってたんだけど、判らなかったからなのか…。


「はは、リゼにもこんなことがあるんだな」


 あまりにも朗らかに笑われて、恥ずかしくなる。結構な年数、冒険者やってて、何で気づかないの、私…。


「あんまり笑わないでください……」

「悪い。リゼが可愛くて───つい」


 私の赤面は治るどころか、悪化したのは言うまでもない。

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