第三章―ファルリエムを継ぐ者―#3


「…すまない。あまり美味しい食事ではなかっただろう?」


 あの後───


 レド様をお待たせしているので、全てを着替えずに、コートを脱いで、タイを外して、自前のジャケットを羽織るだけにした。


 レド様にいただいた大事な刀と、シェリアたちに贈られたピンブローチをマジックバッグへとしまって、懐中時計をジャケットの内ポケットに移し、小刀に変わった短剣を括ってあるベルトを巻き直して、慌ててレド様の元へ戻った。


 そして、昼食を摂ることになったのだが────


 信じられないことに、レド様はこの国の皇子でありながら、下級使用人用の食堂で毎食摂っているのだという。


 本来なら、侍女が食事を運んでくるはずなのだ。


 レド様にもちゃんと専任の侍女がいるらしいのだが、まったく仕事をせず、レド様の前に現れたことすらないらしい。


 だから───仕方なく自分で赴いているのだそうだ。


 だが、侍従や侍女など上級使用人用や、武官や文官など官吏用の食堂を使用することは許されず、下級使用人用の食堂に行くしかないというのだから、バカにしているにも程がある。


「いいえ、レド様が謝られる必要はありません。悪いのは───仕事をしない侍女なんですから。

レド様───これからは、私が厨房をお借りして、お食事を用意してもよろしいですか?」

「リゼが?」

「はい。これでも食堂で働いたことがあるので、ある程度の料理は出来ます。ただ、平民が食べるような家庭料理ですが。でも、あんなお粗末な料理を食べるくらいなら、私が作ったものの方が絶対マシです!」


 パンは硬い上に粉っぽいし、どの料理も調味料をケチっているのか味はしないも同然だし、スープは脂っこいくせに肉は一切れも入っていない。それに冷め切っていて、本っ当に不味かった。


「だが…、リゼにそこまでさせるわけにはいかない」

「いえ、お気になさらないでください。必要なら、侍女やメイドの仕事も出来ますよ。…あ、貴族令嬢としてのマナーや教養も一通り学んでいるので、安心してくださいね」


 私の素性を知ったおじ様が、しばらくの間、ロウェルダ公爵邸に住まわせてくれ、マナーや教養、立ち振る舞いなどを学ばせてくれたのだ。その際、ついでに侍女やメイドの仕事も覚えさせてもらった。


「いや、心配はしていないが…、リゼは料理だけでなく、侍女の仕事も出来るのか。すごいな」

「冒険者の仕事上でも役に立つので、覚えさせてもらったんです」


 貴族の護衛をする仕事の時なんか、本当に役に立った。


「リゼ、本当にすまない。俺の親衛騎士などになったばかりに、苦労をかけてしまう」

「こんなの全然、苦労じゃありませんよ。幼い頃に比べたら、断然に恵まれていますしね。私こそ、こんなことしか出来なくて申し訳ないです」


「そんなことはない。傍にいてくれるだけで嬉しい」


 さらっとそんなことをレド様に言われて、頬が熱くなる。


「っと、とにかくですね、だから、食材を調達したいんですが。どういう手順を踏めばよろしいですか?」

「財務管理部という部署に、購入したい物を申請して、許可をもらって、費用を支払ってもらうという手順なんだが…」


 これは、本来なら、皇子自身がやることではなく、侍従や補佐官に任せる業務なのだ。執事がいたときは、ちゃんと執事が全部担っていたようだ。


 だが、その執事が強引に解雇されてしまってからは、レド様が自分で申請するようになったのだが、財務管理部の管理官の一人が、臨時で専任となっていて、レド様の代理という形でいつも申請をして、費用の受け取りもしてくれるそうなのだけれど────


 調べてもらった限りでは、この管理官───こいつが曲者なのだ。


 あまり仕事が出来る方ではなく、配属されて数年未だ出世も出来ず下っ端であるのに、金回りがすごく良くて、周囲からも訝しがられている。


 おそらく、レド様には許可が下りないと言って、渡された費用を着服しているのではないかと、私は考えている。


「多分、申請しても許可が下りない。食堂で食べるように言われるだけだ」

「解りました。それでは、私に任せていただけませんか?」


 この件については何とかしなければと思っていた。ちょうどいいので、さっさと解決してしまおう。


 私の言い出したことが意外だったのだろう。レド様は眼を見開いた。


「どうするんだ?」

「財務の筆頭責任者に、直接お願いするんです」


 私は悪戯っぽく笑って、答えた。



◇◇◇



「ネロ」


 一旦部屋に戻り、手紙を認めてから、いつものようにネロを呼んだ。

 今日はちょっと間があったが、程なくネロがどこからともなく現れる。


「これは…、精霊獣───か?」

「はい。ネロといいます」


 と、レド様にネロのことを紹介しようとした時だった────



使い魔アガシオン】を認識───発動条件クリア───【契約魔術コントラクト】を発動します…



 例の声が頭に響いて、私とネロの足元に一つの魔術式が広がった。



マスター】リゼラ───【使い魔アガシオン】ネロ───契約完了

魔力経路マナ・パス】を開通───完了



 魔術式が消え視界が戻ると、ネロの額に、蒼い魔水晶マナ・クォーツみたいなものが埋め込まれていた。


「ええっと…、ネロ、私の使い魔になっちゃったみたいだけど…、大丈夫?」

「ボクはリゼに名前をもらった時から、リゼの使い魔だよ」

「え、そうなの?」

「うん。でも、ちゃんと契約できてよかったよ~。これで、リゼと繋がっていられるっ」


 ネロが私の胸に飛び込んできたので、受け止めて、撫でてあげる。黒い毛並みが滑らかで気持ちがいい。


 視線を感じたので顔を上げると、レド様が私の胸にしがみつくネロを見ていた。レド様もネロを撫でたいのかな。


「レド様も撫でますか?」

「っ、いや、いい」


 レド様が慌てた様子で顔を逸らした。耳が赤い。猫を撫でたいと思ったことが、気恥ずかしいのだろうか。


「えーと…、それでは改めまして、レド様、この子は私の使い魔のネロです。

───ネロ、こちらはルガレド様。私のご主人様なの」


 私に抱っこされたまま、ネロは顔だけをレド様に向ける。


「リゼの主、ボクはネロだよ。その眼は、神眼?」


 “神眼”?────レド様の左眼が?


「…ああ、そうだ。───リゼ、この眼のことは後で話す」

「解りました」

「ネロ、俺はルガレドという。よろしく頼む」

「よろしく、ル、ルー…ド、ちがう、ルァ…ド」

「難しいなら、ルードでいい」

「わかった~」


 精霊獣とはいえ、小さな猫に生真面目に話すレド様が可愛い。


「それでね、ネロにお願いがあるの。この手紙をおじ様に届けて欲しいの」

「いいよ。シューに届ければいいんだね。シューもこの囲いの中にいるから、すぐに届けられるよ」

「誰にも気づかれないようにね」

「まかせて!」


 手紙を口に咥えたネロが、現れた時と同様、どこへともなく消える。


「…リゼには本当に驚かせられる」

「そうですか?」


 そんなに驚かせることあったかな?



◇◇◇



 厨房を借りて、自前の茶葉でお茶を淹れ、お茶うけにこれまた自前のドライフルーツを皿に盛り、応接間に戻るとネロが帰って来ていた。


「リゼ、これ、シューからのお返事」

「ありがとう、ネロ…」

「あ、ごほうびの魔力、もういらないよ。今のボクはリゼと繋がっているから、魔力を少しずつ、ずっともらい続けているんだ」

「そうなの?」


「それより、リゼにお願いがあるんだけど。ボク、森に帰らないで、この家にずっといちゃダメ?」


 ネロが、その大きな目をキラキラさせて私を見上げ、首をちょこんと傾げて言う。…う、可愛い、可愛すぎる。


「レド様、ネロをこのお邸にいさせてもよろしいですか?」

「勿論だ。好きな場所で寛ぐといい」

「ありがとうございます、レド様」

「わーい。ありがとう、ルード!それじゃ、またなんかあったら、呼んでね」


 ネロはいつものように、するりと姿を消した。



 無邪気なネロを微笑ましく思いながら、おじ様からの返事を読む。


「宰相殿は何て?」

「明日の午前8時ころ、執務開始の前に執務室に来て欲しいとのことです」

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