第三章―ファルリエムを継ぐ者―#5


「宰相殿、忙しいのに、時間をとってもらって申し訳ない」


 翌朝。ネロに案内されて、宰相の執務室に赴いた。


「いえ、こちらこそ、こんな早朝から殿下自ら出向いていただき、恐縮です」


 まずレド様が声をかけ、おじ様───このレーウェンエルダ皇国の宰相、シュロム=アン・ロウェルダが応える。


「宰相閣下、」

「いつも通りで構わないよ、リゼ。この場には、一応宰相としているけれど、まだ執務時間前だからね」

「解りました。時間をとってくれて、ありがとうございます、おじ様。…ロヴァルさんも、朝早くからごめんなさい」


 おじ様の側近であるロヴァルさんに謝ると、彼は、いいえ、と応えて軽く会釈してくれた。


 執務室の一角にある、応接スペースに案内され、そのソファにレド様と並んで座る。その向かいに腰かけたおじ様が早速口を開いた。


「それで相談された件ですが、一番良い方法は、殿下がリゼを補佐官に任命することですね」

「え、私に?」


 私としては、おじ様に誰か良い補佐官をつけてもらおうと思っていたのだけれど…。


「下手に誰かを挟むより、リゼが管理する方が手っ取り早いし、あの連中も手を出し難くなるからね」


「…だが、リゼの負担になるのではないか?」


 レド様が心配そうに言う。そんなレド様の様子にちょっとだけ目元を緩めて、おじ様はさらりと答えた。


「大丈夫ですよ。予算全額をリゼに預けて、その中から遣り繰りしてもらうだけですので。申請手続きなど、財務部との無駄な遣り取りは一切必要ありません」


「でも、そんな簡単でいいんですか?財政に関わることでしょう?」

「先代皇王の時代なら駄目だっただろうね。だけど、先代ベイラリオ侯爵が押し通してしまったんだよ、そういうやり方を。ジェミナ皇妃もジェスレム皇子も、申請などしたことはないよ。許可なく予算を使い放題だ。ならば、それを逆手にとってやるまでさ」


 おじ様が、にやりと人の悪い笑みを浮かべる。


「まあ、でも、一応、帳簿はつけてね。それと、あまりに額が大きい時は、業者や取引相手と契約書を交わして、提示できるようにしておいて」


 …それなら、私でも務まりそうな気がする。もちろん、誰かに教えを乞う必要はあるけど。


「レド様、どういたしますか?私は、任せてもらえるなら、やりたいと思っておりますが」


 隣のレド様を見上げると、レド様はまだ心配そうに私を見遣った。


「本当に負担にならないか?」

「こんなことくらい、負担にはなりませんよ。そんなに心配なさらないでください」

「それなら…、俺としても、リゼに補佐官をやってもらいたい」


 そう言ったレド様の声音には、確かに私に対する信頼があった。


「それじゃ、任命の手続きを────」

「待ってくれ、その前にこちらを済ませたい」


 話を進めようとしたおじ様を、レド様が止めた。レド様は、【遠隔リモート・管理コントロール】で、A4サイズくらいの革張りで豪奢な装飾が施された箱を取り出した。


「…今のは、魔術、ですか?」


 おじ様が驚いた様子で訊ねる。


「この力については、後で詳しく話させてもらう」


 そう言うということは、おじ様には話しても良いと、レド様は判断されたということだ。


 レド様には、ロウェルダ公爵家との関係を話してはあったが、こうしてレド様がおじ様を信用してくれたのは嬉しい。


「これを────リゼに下賜かししたい」


 レド様が箱を開くと、中にはビロードのような光沢のある深紅のクッションが敷かれ、その上に、幾つかの装身具と印章が並べられていた。


 すべて同じ意匠のようで、真ん中に一つだけ素材も大きさも違うものが置かれ、その周りにそれよりも小さめのものが幾つかと一つの印章が取り巻くように置かれている。


 何だか建国記念日の時のようだなと思いつつ覗き込むと、それは────


「これは、ファルリエムの“貴族章”ですね」


 おじ様が答えを呟く。


 “貴族章”とは───叙爵する際、皇王陛下より与えられる記章のことだ。掌サイズのメダルで、複雑な意匠が透かし彫りされており、そのメダルの意匠が、その貴族家の家紋となるのである。


 メダルは、採取されるのも希少なら、現在の技術では複雑な加工をすることが難しい“聖結晶アダマンタイト”で出来ており、偽造することはほぼ無理らしい。


 貴族章として渡されるこのメダルはすべて、古代魔術帝国の遺跡からまとめて発見されたもので、豪華で褒章に相応しく、偽造することが出来ないことに目を付けたレーウェンエルダ皇家が利用しているというわけだ。


「リゼに、“ファルリエム子爵”を継承させるということですね?」

「ファルリエム子爵…ですか?」


 てっきり、貴族家としてのファルリエム家はなくなったと思っていたので、私は首を傾げた。


「ファルリエム辺境伯家門は解体され、領地も没収されてしまったが、ファルリエムという家名自体は、子爵位に家格が降爵されたものの、残っているんだ。領地もない、名誉子爵だけどな。それでも、貴族ではあるし、少ないが国から年金も出る」


「ですが、レド様、私にそんな───」

「リゼ、これは辞退すべきではないよ。恩賞として、皇族が自分の親衛騎士に対して爵位を与えることは、仕来りと言っていい。ファミラ嬢も、ジェスレム皇子からベイラリオ侯爵家門の伯爵位を下賜される予定だ。

それに───リゼはSランカー冒険者ではあるが、それとは別に爵位はあった方がいい」

「おじ様…」


「ロウェルダ公爵の言う通りだ。遠慮しないでくれ、リゼ。俺は、この名はリゼに受け継いでもらいたい」

「レド様…。────解りました。ありがたくお受けします。ファルリエムの名を汚さないよう、頑張りますね」

「そんなに気負う必要はない。リゼなら、そのままで大丈夫だ」



◇◇◇



「我、レーウェンエルダ皇国第二皇子ルガレド=セス・オ・レーウェンエルダは、我が親衛騎士であるリゼラに、子爵位を与える。以後、アン・ファルリエムと名乗ることを許す」

「謹んで賜ります。その御心に感謝し、一層の忠義を捧げることを誓います」

「我、レーウェンエルダ皇国宰相、シュロム=アン・ロウェルダの立会いの下、叙爵は成された。親衛騎士リゼラにファルリエム子爵が継承されたことを、今ここに宣言する。────はい、これで、リゼはファルリエム子爵だよ。それでは、殿下、こちらにご署名をお願いします。リゼも殿下の後に署名してね」


 おじ様は、ロヴァルさんに目配せして書類を持ってこさせると、レド様に渡す。ロヴァルさんは、すかさず、筆記具をローテーブルのレド様が届く位置に置いた。


 レド様は書類に目を通してから素早くサインすると、私へと手渡した。


 渡された書類には、レド様が私にファルリエムの名と子爵位を下賜する旨が記されている。


「…おじ様、もしかして、ここまで予想していました?」

「勿論だよ。殿下がリゼを気に入ったなら、必ずそうすると思ったからね。リゼが気に入られないはずがないし、絶対、こういう展開になると思っていたよ。さあ、リゼも早くサインして。この後、補佐官への任命も控えているんだから」



 その後、補佐官任命も滞りなく済んだ。


「それでは、これは私の方で受理しておきますので」


 おじ様は、二通の書類をロヴァルさんに預ける。


「ロヴァル、これを。それと、お金の方を用意してくれ」

「かしこまりました」


 ロヴァルさんが書類を持って、綺麗に一礼してから、その場を離れる。


「では、先程の件をお話ししていただけますでしょうか?」


 おじ様は柔らかい笑みを浮かべながらも、有無を言わせない迫力があった。


 レド様が、古代魔術帝国の契約魔術の件を話し始める。


 レド様と私が契約により繋がったこと、契約に付随している支援システムとやらを受けられるようになったこと、そのため古代魔術帝国の魔術を幾つか使用出来るようになったことを、レド様が簡潔に説明する。


「これは…、あまり他言できない事態だね」

「契約の儀は長く行われているはずですよね。確か、契約が成功したこともあったと聞いていますが、契約出来るとどういうことになるのか知られていないのですか?」

「2度だけ成功したという記録があるよ。だけど、そのどちらにも、契約によってお互いの位置が判るようになったとしか記述がないね」


「秘匿されているのでしょうか?」


 私が首を傾げると、レド様が口を挟んだ。


「もしかしたら、魔力量のせいかもしれないな。俺の魔力もリゼの魔力も相当、多い。支援システムが発動した時、かなり魔力を持っていかれた。その成功者たちは、支援システムが発動するには、魔力が足りなかったということも考えられる」

「なるほど…」



 そういえば、一つ確かめておかなければならないことがあったんだった。


「おじ様、私たちの契約について、周囲ではどのように認識されています

か?」


「ああ、大丈夫。あの時はただ眩しくて、契約魔術が発動したことしか解らなかったから。祝賀会の最初は、さすがに皆唖然とした空気を引き摺っていたけどね。皇妃もジェスレム皇子もファミラ嬢も憮然としていたのを察した取り巻きが、『捨てられた出来損ないと契約出来てしまうとは、さすが底辺皇子だ』ってご機嫌とったら、コロっと機嫌が直っちゃってさ。本当に馬鹿だよねぇ、あの連中。だから、安心していいよ。あいつらは、ただ契約したとしか思っていないよ」


「そうですか。…レド様?」


 レド様が纏う空気が何だか冷たい。


「…俺のことは何と言ってもいいが───リゼを悪く言うのだけは許せないな」

「私だって、レド様が悪く言われるのは嫌ですけど───ですが、あんな人たちに良く言われるのって、逆に気持ち悪くないですか?」

「…そうかもしれないな」

「気にしないのが一番ですよ。言わせておけばいいんです」


 ね、と笑いかけると、レド様はやっと空気を和らげた。


「君たちさ、仲良すぎない?昨日初めて会ったんだよね?」


 おじ様が何故か、呆れたように呟いた。



◇◇◇



 ロヴァルさんがお金を載せたワゴンを押して戻って来たのだけれど───何か…、やけに多くない?


 イルノラド公爵の側近に渡されたような、貨幣が詰まってモコモコ状態の布袋が、ワゴン2段を占領するくらい載っている。


「さて、まずは殿下の割り当てられている予算だね。今年度ももう余すところ3か月だから、かなり使い込まれてしまっていて、あまり残っていない。殿下の割り当てられている予算は金貨960枚なんだけど、渡せるのは270枚だね」


 レド様は極貧生活してたのに、残り270枚って…、どれだけ使い込んだの、あの下っ端!


「次は、リゼへの子爵としての手当てだね。こちらは、年間で金貨102枚。それと、一番最初は支度金が支給されるから、プラス金貨45枚の計147枚ね」


 支度金なんて出るんだ。


「それから、この残りですが。こちらは、殿下がこれまで遠征に行かれた際の褒賞金になります」

「褒賞金?そんなものが出ていたのか?」

「やはり、ご存じなかったですか」


 レド様は、ファルリエム辺境伯が亡くなった直後から、皇妃一派によって、それまで行っていた皇子としての公務からは外されていたが、一貴族の軍勢では手に負えない魔獣討伐などには駆り出されていたのだという。


「5回分の褒賞金がこちらになります。全部で金貨1580枚ですね。殿下の働きから考えれば、安すぎるのですが。すべてが同行した皇妃お気に入りの討伐隊隊長の手柄になってしまっているのと、『公務をしないのだからそんなに払う必要はない』という皇妃の一声で、かなり減額されています」


「…何ですか、それ。ふざけていますね。そもそも、『公務をしない』のではなくて、『させてくれないから出来ない』の間違いでしょう」


 思わず、凍てついた声が出る。シェリアじゃないけど───全員、呪われてしまえっ。


「いいんだ、リゼ。俺は、それでも自由に出来るお金がもらえるのは嬉しい。リゼに不自由させなくて済むからな」


 レド様が珍しく浮かれた声音でそんなことを言うものだから、私はぎょっとしてしまった。


「私、別に不自由なんてしていませんよ!?そのお金は、レド様がご自分の力で手に入れられたものなんですから、ご自分のためにお使いになってください!」

「ああ、解っている」


 あれ、この顔は絶対解っていない…!『自分のために』とか言いつつ、私に使うつもりだ、絶対…!


「あー…、ところで、爵位を継承したら、通常は夜会などを開いてお披露目をするものなんだけれどね。リゼの場合は、三日後の夜会でお披露目をすればいいと思うんだよね」

「三日後に夜会ですか?」

「あれ、聞いていない?皇宮主催の新成人を祝うためのものなんだけど。…おかしいな、殿下も出席になっていたはずだよ」


 レド様を見上げると、レド様は首を横に振った。


「多分、二日後くらいに知らせが来るんだろう。いつもそうなんだ。夜会や式典の前日にしか知らされない。準備できなくて、みすぼらしい格好で出席させたいのだと思うが…。ロウェルダ公爵、知らせてくれて助かった。俺一人ならいいが、今回はリゼにまで恥をかかせるところだった」


「あの皇妃なら、やりそうな嫌がらせですね。…リゼ、この後の予定は?」

「レド様と一緒に、食糧や、レド様に必要なものを買い出しに行くつもりです」

「なら、殿下と二人でうちに寄るといい。知らせを出しておくから。殿下やリゼの夜会の正装について、ミレアとシェリアに相談しなさい。それに、ダンスのおさらいもしておいた方が良さそうだな」

「ありがとうございます、おじ様。本当に助かります」



 あ───そうだ、おじ様にお願いしたいことがあったんだった。


「おじ様、もう一つ、お願いしたいことがあるのですが────」

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