44.守りたい相手
大学四年の前期試験の間、楓花は就職活動を控えて時間があればゼミ室で勉強していた。図書館で参考文献をいくつか借りてきて、卒業論文にも取り組んだ。
「楓花ちゃん、就職決まったん?」
話しかけてきたのは、同じゼミの
「ううん……まだやけど……気分転換」
「えらいなぁ。気分転換に勉強するって……私も卒論しようと思って来たけど、お菓子食べてまうわぁ」
七海は笑いながら、鞄からお菓子を出して食べた。一口サイズのチョコレート菓子で、楓花にも一つくれた。
「……渡利君も食べる?」
「ん? サンキュー」
ゼミ室で勉強するときはだいたい、晴大も一緒だった。楓花もそれほど長居はしないので、終わるまで待ってくれた。もちろんゼミ室には他の学生もいるので、突っ込んだ話はしない。もちろん──隣の部屋には先生もいるので、発言には気をつけないといけない。
「楓花ちゃんと渡利君って、地元一緒って言ってたよなぁ?」
「うん」
「良いなぁ、いつでも会えるやん。……なあなあ、楓花ちゃん、ここだけの話……」
七海は楓花のほうに身を乗り出した。晴大が飲み物を買ってくると言って出ていくのを見送ってから、七海は声を小さくして聞いた。
「渡利君と桧田君って、どうなん?」
「え? どうって?」
「話してるの聞いてたら仲悪そうやけど、桧田君、渡利君を見てること多いんやけど」
「あーそれ、俺も思った! 桧田ってさぁ、長瀬さんのこと好きやったけど、渡利に取られて悔しいんやろ? 渡利も、いまだに桧田のこと警戒してるし」
「それ……言って良いんかなぁ……二人には、言わんといてな?」
ゼミ室に翔琉と晴大がいないのを確認してから、楓花は二人の関係を今いるメンバーに教えた。楓花を巡った関係で二人は恋敵になっているけれど、本当は二人とも仲良くなりたいと思っていること。それでも晴大はブラックなキャラクターを翔琉の前でなかなか変えられず、翔琉も晴大に悪い噂があったときの態度をなかなか改められず、相手が楓花に向ける優しさを間違ってでも自分に向けてくれないか、とタイミングを窺っていること。
「ははっ、意地張ってんなぁ二人とも」
「面白いからいいんやけど……」
楓花が翔琉と話していると晴大は隣で顔をひきつらせているし、晴大と仲良くしていると翔琉は眉間に皺を寄せている。
「卒業までに何とかならんかな……」
バン、とゼミ室の扉が開いて、息を切らせて翔琉が入ってきた。翔琉は近くの席に座り、開いたままの扉から飲み物を持った晴大が戻ってきた。
「おまえ、ちゃんと閉めろよ」
晴大は扉を閉めてから元の席に座った。
「悪い悪い。……聞いて、俺、内定貰えた!」
翔琉は座ったまま、身体を反らせるように万歳をした。
「えっ、おめでとう! どこ?」
「スポーツ用品店。英語関係ないけど、サッカー好きやったし。あー嬉しい……」
「桧田君、楓花ちゃん内定まだやから……」
楓花が顔をひきつらせるのを見て、七海が翔琉の勢いを止めてくれた。
「あ──ごめん……。あっ、それで俺、就活で歩きすぎたんか、事故の時の傷が痛みだして病院行ったんやけど、本田先輩がおってん!」
翔琉は楓花のほうを見ていた。
「本田先輩……ああ! 健スポの?」
「そうそう!」
智輝が翔琉を担当したようで、そのときのことを嬉しそうに翔琉は話してくれた。無事に理学療法士として働いていて、直子とは結婚を前提に同棲しているらしい。
「楓花、本田先輩って誰?」
「あ──翔琉君の高校からの先輩で、健スポの卒業生」
「ふぅん。……あっ、そういえば、体育祭のときサッカーゴールのとこで話してた人? 一年とき」
楓花は彩里と一緒に翔琉の応援をしていたけれど、あのときはまだ晴大との関係は良くなかった。晴大は同じグラウンドの少し離れたバスケットゴールのあたりから楓花を見ていた。
「楓花ちゃんのこと聞かれたから、渡利と仲良くやってるって、言っといたぞ」
翔琉の言葉が荒くなったのは、言いながら視線を楓花から晴大に変えていたからだ。
「……俺のこと知ってんか?」
「先輩は、楓花ちゃんが彼氏できたって卒業前に聞いた、って言ってたけど」
「あ──そういえば、晴大が留学してるときに言ったかも。食堂で会って、翔琉君とは何もなくて、晴大は留学中って」
楓花が晴大のことを簡単に話すと、智輝は〝そっちが良い〟と言っていた。中学のときは晴大は楓花には可愛らしく見えていたけれど──今もたまに見えることがあるけれど──、再会した頃から少し年上に思えていたし、今はとても頼りになる人だ。
何となく勉強に集中できなくなってきたので、楓花は帰る支度を始めた。晴大も一緒に帰るけれど、七海たち他の学生はもう少し残るらしい。
机に置いていた翔琉のスマホがブブブと震えた。
「ん? 彩里ちゃん? ──もしもし? うん、ゼミ室やけど……どうしたん?」
翔琉は彩里と電話をしながらゼミ室の外に出た。楓花も試験で顔を合わせたけれど、そのあとは別々に行動していた。わざわざ電話してくるようなことは、何も聞いていない。
「どうしたんやろ……」
「電話終わるの待つか?」
とりあえず荷物を持って外に出ると、翔琉はまだ電話中だった。これから彩里と会うことになったようで、楓花と晴大も一緒に行くことを伝えて翔琉は電話を切った。
翔琉はゼミ室に荷物を取りに戻り、出てきてからどこかへ向かって歩き出した。
「彩里ちゃん……彼氏に浮気されたんやって」
「……マジか」
誰かに話を聞いてもらいたくて、選んだ相手が翔琉だったらしい。
「誤爆LINEが届いたらしいわ。年上やったから先に就職して、会社の子とやって……。渡利──おまえはそんなことすんなよ」
「するかっ。一緒にすんな。浮気する奴の気が知れんわ」
晴大が強い口調で言うと、翔琉は満足そうに晴大を見てニヤリと笑った。
「渡利──俺、おまえのそういうとこは好きやわ」
「はぁ?」
「その態度でモテてんの腹立つけどな」
「別に何もしてないし。俺は俺や」
「……ぷっ」
怪訝な顔をしている晴大の隣で楓花は思わず吹き出してしまった。翔琉と晴大の本音を知っているので、もどかしすぎて笑い続けてしまう。
「楓花ちゃん、こいつどうにかして」
「どうにかって、もう変われへんと思うけど」
「桧田、おまえが変われ。……人に流されんな。守りたかったら、相手のこと本気で考えろ」
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