23.正直な気持ち
一月の下旬になって、翔琉が久しぶりにキャンパスに現れた。クラスメイトたちは以前は彼のことを避けていたけれど、命が助かったことにはとりあえず安心したらしい。
「調子乗りすぎたわ。ごめんな、騒ぎにして……」
彼の周りに人の輪ができていたので、先に席に着いていた楓花からは見えなかった。彼とは距離を置くことに決めていたけれど、怪我の具合がどうなったのかは心配してしまう。
「あっ、楓花ちゃん、彩里ちゃん、久しぶり」
笑顔で近づいてきた彼の頬には大きな絆創膏が貼られていた。それよりも気になったのは、彼の外見が以前とずいぶん変わっていることだった。明るかった髪は黒くなって、服装も落ち着いたものになっていた。
「どうしたん、その髪……」
「いや……俺、反省した。これからほんまに、真面目になる。楓花ちゃんに嫌われるし」
「──翔琉君ごめん、もう……付き合うことはないと思う」
☆
「俺と、付き合ってくれ」
「……え? 本気で言ってる……?」
「冗談で言うかっ」
晴大は珍しく恥ずかしそうにしていた。案内された席が店の隅で良かったと思った。隣のテーブルは少し前に空席になっていて、食器はまだ片付けられていない。
「待って、急に言われても──」
「俺は、ずっと……中学のときから好きやった」
「え……そんな」
「初めて会った日──ピアノの音に惹かれて、そっから気になりだした。別に可愛いとは思わんかったけど……直感やな。リコーダー教えてもらうのは先生よりこいつや、って思った」
突っ込みたい発言があったけれど、楓花は黙っていた。
「正解やったわ。小学校とき全然あかんかったのに、おかげで吹けるようになった。嫌な顔せんと教えてくれて、嬉しかった。……バレンタインの日のこと覚えてる? 一年ときの」
予定はしていなかったのに、急に練習を頼まれた日だ。
「あのとき……既に、好きになってた。だから呼んだのに」
「──もしかして、渡利君が失恋した、って噂あったの……私?」
「他におらんやろ」
晴大はほんの少し頬を膨らませていた。注文した飲み物が届けられ、従業員が『ごゆっくり』と言って去っていくのを二人で黙って待った。
「でも渡利君、そんなこと一言も……。去年だって、翔琉君の勝負に乗ってなかったし、私には興味ない、みたいなことばっかり……」
「長瀬さんが桧田を選ぶことはないと思ってた。それに、俺が決めることじゃないし、長瀬さんが楽しめるようにしてただけ。……でも落ちていくのは見たくなかった」
だから晴大は何回も〝翔琉には気を付けろ〟と言ってくれていた。彼の気持ちは嬉しいけれど、心が追い付かない。
「俺、入学式の帰りに言ったよな……練習続けてくれても良かったのにって」
「うん」
「単純に、会いたかったから。でも勝手にやめるし、同じクラスもなれへんし、高校も違ったし、ショックやったわ」
「何が──私の何が良いん?」
楓花は顔を褒められた記憶はほとんどないし、晴大もさっきそんなことを言った。
「俺見てキャーキャー言えへんやろ。それが大きいな。あとは、他の奴らより信頼してたし、アホちゃうし。優しいし、真面目やし、顔は……」
それは全て楓花の内面で、外見はやはり褒めてもらえない。
「気になりだしてから、可愛いと思ってた。今も、可愛いから……夜に一人で歩いてたら襲われへんか心配してる」
「……それで、クリスマスの夜……?」
「最初は一人で帰るつもりやったけどな。暗くなってたし、一緒にいたかった。──俺、なんでこんなペラペラ話してんやろ」
晴大は片手で額を押さえていた。短く低く唸ってから、再び楓花を見た。顔はひきつっているけれど、ほんのり紅くなっているのは照れているからだ。
「俺は正直に話したぞ。だから、答えろ。……昨日も今日も来てくれてんのに、俺のこと嫌いとは言わせへんぞ」
晴大はまっすぐ楓花を見ていた。彼の言葉は全く間違っていない。楓花は彼には気持ちをそれとなくも言ったことはないけれど、ずっと楓花だけを見ていた晴大にはお見通しだったのかもしれない。
楓花は深呼吸してから口を開いた。
「私はいつも、渡利君に悩まされてた」
楓花は晴大に話すことにした。初め晴大のことは特に気にしていなかったけれど、二人で会っていることが周りに知られるのが怖くて、リコーダーを教えなくなったこと。大学で再会してから、外見と成績と、なぜか楓花に優しいことには文句なかったけれど、ずっと噂が引っ掛かっていたこと。
「噂があったから、自分の気持ちも嘘ついてた」
「嘘……? そんなんあったか?」
「うん。私が渡利君に興味あるように見えた?」
「いや──」
「それが嘘。今まで周りに合わせてたけど、ほんまは違った。私は渡利君が好き。……この苦しさは、たぶん大好き」
「──そんなサラッと言うな」
楓花が片手で胸を押さえながら顔を上げると、晴大は先ほどより紅い顔をして視線を逸らしてしまった。彼が正面を向くまで待ってから、楓花は『ははっ』と笑った。
「顔も、性格も、音楽ダメなとこも、全部好き。……でも、返事は保留にさせて」
「──まだ何か気になるか?」
「ううん。もう一回、考えたい」
☆
返事を保留にしてから十日ほど経った。キャンパス内で何度か晴大を見かけたけれど、特に何も言ってきていない。彼には〝前向きに考える〟と言ってあるし、それは本当だ。もらったプレゼントはどちらにしてもそのまま使うか、もしも不要と判断したときは返品ではなく売れと言われた。
「渡利君って、良い噂ないんじゃないん? 女の子を何人も泣かしとぉやん」
彩里には〝晴大にプレゼントをもらって告白された〟とだけ伝えている。どんな話をしたのかは秘密だ。
「付き合ったとしても楓花ちゃんが傷つけへん? なんか、強引じゃない?」
「そ、そうそう、渡利なんかやめとけ。俺が」
「そこはちゃんと話聞いて、納得したから。渡利君は女の子たちを、ちゃんと知ろうとしてた。でも数が多すぎて、みんな一回にするしかなかったって。今は翔琉君のほうが信頼できへんというか……」
翔琉は泣きそうな顔をして、悪いと思ったことは全て縁を切った、と話し始めた。
「あいつらと遊ぶのはやめた。連絡先も消したし、家も引っ越した。サークルもやめたし、バイトも、いま辞める交渉してる。……ほら、この髪も! 俺、ほんまに変わろうとして」
彼が嘘をついていないことは楓花にも分かった。彼は今までにない真剣な顔をしていたし、外見は本当に別人かと思うくらい大人しくなっている。
「それは良いと思う。翔琉君が元気そうで安心したし。嫌いにはなってない。でも、私は……上から引っ張ってもらいたい」
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