22.ブルートパーズ

 火曜日の朝の二年生が集まっている教室は、ほとんどの学生が成人式の話をしていた。地元の同級生と再会して楽しかったけど当時のイケメンが劣化していて残念だった、ともちらほら聞いた。

 彩里は成人式の翌日は家でのんびり過ごしていたらしい。

「写真見たりLINEしたり、教えてもらったSNS見たりして」

「やっぱそうよなぁ、私も帰ってからそうなってた」

「それにしてもあのヘアピン、差すとき痛すぎん? 頭から血出とぉかと思った」

「あれ痛い! 泣きそうなったわぁ」

 髪をアップにするときに使う金属製のU字型のピンだ。大きいほうをネジピン、小さいほうをオニピンというらしい。何本も差したあとでスプレーしているので、外すのもまた一苦労だ。

「何回やられても慣れんわぁ。今度アップするときはオニピン使わんでいいやつがいいな」

 それから楓花は彩里から振袖を着た写真をもらい、自分のものと一緒にEmilyに送信した。Emilyは休日だったようで、すぐに〝beautiful〟と返信が届いた。

「ところで楓花ちゃん、イケメン君はおったん?」

「……おらんかった。みんな普通やったわ」

「渡利君は? やっぱスーツ似合ってた?」

「そうやなぁ……青系の……あれ良いやつやと思うわ。──そういえば、翔琉君は?」

 教室のあちこちで話は盛り上がっているけれど、翔琉の姿はどこにもなかった。彼も最近は避けられているけれど、楓花にとってはまだ友人だ。

 近くの席にいた学生たちに翔琉のことを聞いていると、彼と家が近い学生が静かに口を開いた。

「あいつ、成人式のあと仲間とどっか行ったらしいんやけど……バイクで事故って入院したらしい」

「え……マジで?」

「うん、地元のグループLINEに来てた。確か、サークルの先輩が祝いに来て一緒に行った、とか」

 楽しい話で盛り上がっていたはずの教室がざわざわとし始めた。楓花は翔琉のことは友人だと思っていたけれど、もちろん怪我の状態が心配ではあるけれど、距離が離れていくような冷たいものを感じてしまった。それは彩里も同じだったようで、友達を続けていいのだろうか、と悩み始めていた。

「おっす、何かあったん?」

 不思議そうな顔をしながら現れた晴大は珍しく楓花の後ろに席を取った。

「翔琉君がバイクで事故して入院って」

「──マジかよ。……見舞い行くん?」

「ううん。しばらく距離置こうかと思ってる」

「ふぅん……戸坂さんも?」

「うん」

 翔琉のことを心配する声と距離を置こうという声があちこちから聞こえた。楓花はまだ決めかねているけれど、彼と付き合う選択は完全になくなった。

「あっ、Emilyから来た……、渡利君、成人式の写真ある? Emilyが見たいって」

「ああ……あとで長瀬さんに送るわ。……明日、バイトあるん?」

「なんで? 明日はある。今日はないけど」

「今日は何限まで?」

「三限まで」

 楓花はわけがわからず答えているけれど、もっと分かっていないのは彩里だ。なぜか晴大が近くに座ることに驚いたし、普通に相手をしている楓花にも少し疑問だった。二人を交互に見たけれど、何も分からない。

「予定ないんやったら、買い物付き合って」


 晴大は午前中ずっと楓花の後ろで授業を聞いていたので、彩里は聞きたいことをすぐには聞けなかった。ようやく彼と離れたのは昼休みで、食堂で食べ始めるとすぐに楓花に聞いてきた。

「ちょお、どういうこと? 何かあったん?」

「えっと……実は昨日、ドライブ誘われて」

「えええ? デート?」

「……そうなんかなぁ。分からん。でも、渡利君が悪い人じゃない、ってのははっきりした」

 彼は特に何も言ってこなかったけれど、嫌な感じも全くしなかった。〝勉強しながら帰る〟と言ったのも言葉の通りで、晴大とはほとんど英語で会話をしていた。運転の邪魔にならないか心配したけれど、彼は何の問題もなく家まで送ってくれた。これが本当の姿なら、彼に愛される女性は幸せだろうと思った。

「やっぱさぁ、渡利君て楓花ちゃんのこと好きなんじゃない?」

「そんなわけ……。翔琉君のことだって、勝手に告白したら良いのに、って言ってたし」

「ふぅん。ま、楽しみにしてるわ、明日どんな顔しとぉか」

 昼食を食べ終えると彩里はサークルの集まりに行ってしまった。午後の授業は取っている人が少ないので友人の姿はなく、楓花は一人で過ごすことになった。もちろん、集中できなかった。


 午前しか授業のなかった晴大は図書館で時間を潰していたようで、入り口の前で姿を見かけた。そのまま二人で駅まで行き、いつもどおりの電車に乗った。

「今日はどこに?」

「とりあえず梅田うめだやな」

 梅田で電車を乗り換えるので毎日のように来ているけれど、常に工事をしているのでたまに来ると迷子になる場所だ。商業ビルが多いのでいつも人だらけで、特に地下は気を抜いていると人ごみに流されて予定と違う場所に行ってしまう。

 晴大は自分が使う物と、人に贈るものを買いたいらしい。

「何買うん? 別に私じゃなくても……」

「──女の意見が聞きたい。アクセサリーと、文房具」

 もしかすると晴大は、昨日話していた相手にプレゼントしようと思ったのだろうか。大学生が使えるお金は限られているので、晴大は楓花の意見を参考にしながら手の届く範囲で品の良いものを選んでいた。最終的に決めるのは晴大なので、途中から楓花は自分の好きなデザインのものがないかショーケースを覗いていた。

 店を何軒か梯子したので、休憩をしに喫茶店に入った。満席に近かったけれど、ゆっくり座れる場所へ案内してもらえた。

 晴大と歩きながら、楓花は考え事をしていた。

 ──なぜ彼は、楓花を呼んだのか。もしも晴大が噂通りだった場合、明日になれば口を聞いてもらえないかもしれない。

「長瀬さん──明日、誕生日やろ? 二十歳の」

「えっ、うん、教えたっけ?」

「これ、誕生日プレゼント」

「ええっ? うそおっ? ありがとう……」

 晴大の買い物は自分の物と、楓花へのプレゼントだったらしい。驚きすぎて挙動不審になりながら、楓花は中身を見た。ハーバリウムのボールペンと、小さなブルートパーズがはめ込まれた八分音符型のペンダントトップだった。

「これは……」

 二つとも、楓花が一人になったときに見ていたものだ。

「高かったんじゃないん……?」

「別に。あ、返品は受け付けへんからな。……長瀬さんだけやったわ。昨日話した、俺が本気で好きになった人」

「……え?」

「俺と、付き合ってくれ」

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