15.過去 ─中学一年の冬─

 中学一年の冬の頃──。

 晴大は相変わらず人気なようで、〝格好良くて成績が良くてスポーツもできる、完璧!〟という噂は学校中に広まっていた。同じクラスになった生徒はなぜか自慢していたし、体育祭でも彼のいるチームの成績は良かった。

 そんなんだから当然、晴大のことが気になる、という友人たちの声をいくつも聞いた。ほとんどは女同士で話しているだけだったけれど、何人かは告白しようとしていた。

「でも渡利君っていつも誰かと一緒やし、あんまり見かけへんしなぁ」

「休み時間に、授業終わった瞬間に走ったら間に合うんちゃう?」

「緊張するわぁ……どうしよう……ちゃんと喋れるかなぁ」

 晴大が普段の休み時間にどう過ごしているのかは知らないけれど、稀に放課後に一緒に他の生徒から隠れているのは楓花だ。けれどそれは言うわけにはいかないし、言ってしまうとおそらく、楓花は友人たちに敵に回される。

 噂が勝手に大きくなっているけれど実際は普通の少年だ、と言ってやりたかった。晴大は──確かに噂は間違ってはいないけれど──楓花が出会った頃は楽器の演奏は壊滅的だった。そもそもドレミが分かっていなかったし、肩に力が入りすぎていた。楓花はまず楽譜の読み方から始め、リコーダーの構え方、裏穴サムホールに隙間を作るときの押さえ方や息の出し方など楓花なりのコツを教えた。

「──何? 俺、何か変なことした?」

「ううん。たださぁ……みんながこれを知ったら何て言うんかなぁ、と思って」

「い、言うなよ? 絶体アホにされる」

「そうかなぁ……楽器苦手な男子って結構いるし」

「あいつらと一緒にすんな……俺は俺や」

 何が違うのか楓花には分からなかったけれど、おそらく人気のことだろう。学校内には晴大の他にもモテている男子生徒はいるけれど、女子生徒たちにとって晴大は別格らしい。

「今までどうしてたん? 小学校でも授業で使ったやろ?」

 リコーダーを使うのは中学校のアルトリコーダーが初めてではない。晴大と同じ小学校だった友人は、ソプラノリコーダーを習ったと話していた。

「授業は適当にごまかして、テストの日はサボって後で一人で見てもらってた」

「……なるほど」

「なぁ、この、裏のとこ押さえへんやつは、どうするん?」

「それは、他の指で頑張るしかない」

「マジかよ、押さえるの一ヵ所やん」

「左手の押さえる指と、右手の親指でバランス取って、あとは咥えてるから離さんかったら大丈夫」

「難しいこと言うなぁ……」

 ぶつぶつ文句を言いながらも晴大は頑張って練習を続け、簡単な曲なら吹けるようになった。授業で練習しているときも以前と比べてちゃんと吹けている、と佐藤からも聞いた。晴大の唯一の欠点が無くなり──楽器は駄目だったけれど音痴ではなかったので歌は聞いて何とかなっていたらしい──彼はますます明るくなっていった。

 そんな彼をやはり周りは放っておかなかった。晴大に彼女がいる噂は聞いたことがなかったので、バレンタインが近づくにつれてそわそわしている女子生徒が増えた。

「もうすぐバレンタインやけど、学校にお菓子を持ってくるのは禁止ですからね」

 ホームルームで担任が言っていたけれど、だいたい守られないのが通常運転だ。

「いつ渡そう? 放課後かな? 昼休み?」

 そんな声をあちこちで聞いた。

「楓花ちゃんは誰かに渡すん?」

「ううん、別に渡したい人もいてないし、そんなお金もないし」

 本当に、楓花は好きな人がいなかった。小学校のときに渡したこともないし、中学の間に渡すことになりそうな人もいない。もちろん晴大ともそんな関係ではないし、気にしたこともない。

「あっ、長瀬さん、伝言なんやけど」

 用事があって職員室に行くと、佐藤に呼ばれた。

「今日もし時間あったら、練習見てほしい、って」

「──えええ? 今日?」

「予定あるの?」

「ないけど……今日は渡利君と離れときたいのに」

「ああ……ほんまやねぇ」

 放課後にいつもの場所に行くと、既に晴大は到着していた。部屋の隅で椅子に座り、リコーダーを構えていた。

「悪いな、急に頼んで」

「ほんまに急やわ……友達ごまかすの大変やった」

 晴大は練習を再開し、楓花も適当に座った。クラブがない日ではなくほとんどの部屋が使われているので、生徒が寄り付かない場所にある会議室の更に奥にある、存在すら知らない生徒が多そうな部屋だ。会議室は放送室の隣なので、楓花はこの部屋の存在を入部した頃から知っていた。

「渡利君は今日は、外にいたほうが良いんじゃないん?」

「ああ……ええねん、既にクラスの奴からいっぱいもらってるし。逃げるついでに練習しようと思って」

「──かわいそう」

 近いうちにリコーダーのテストが予定されているので、晴大はその練習をしていた。楓花もそれに〝音が違う〟とか〝リズムがおかしい〟とか口を出さずに聴くことができた。

「もう大丈夫なんじゃない?」

「そうなん? もしテスト失敗したら、おまえ──長瀬さんのせいにするからな」

「なんでそうなんの」

 宿題をしながら晴大のリコーダーを聴いていると、ときどき遠くのほうでバタバタという足音と共に、晴大を探す女子生徒の声が聞こえた。息を潜めて聞いていると、こんなところにいるわけがない、と言って体育館のほうへ探しに行った。

「私、そろそろ帰るわ。一緒にいるとこ見られても嫌やし」

「ああ──俺も帰ろ」

「待って、時間ずらして」

「良いやん別に」

「良くないわ、ただでさえ渡利君は人気やのに、今日一緒におるとこ見られたら、私が困る」

「……あっそ」

 不服そうに頬を膨らませる晴大を置いて、楓花は先に学校を出た。

 一人で歩いていると、しばらくしてから二人乗りの自転車が追い越していった。後ろ姿から分かったことは、同じ学校の男子生徒が二人、一人はヘルメットを被っているけれど、後ろに乗っている人はノーヘルだ。自転車は楓花を追い越して少ししてから止まり、二人とも振り返った。運転していたのはクラスメイトの丈志たけしで、ノーヘルは晴大だった。

「長瀬さん、余ってるチョコある? 今日はバレンタインやろ?」

「──あるわけないやん。禁止って先生も言ってたし」

「真面目やなぁ……。あ、渡利、おまえどうせいっぱい貰ったんやろ? 一個くらいくれよ」

「ん? ……はい」

「サンキュー。これ、誰から?」

「忘れた。クラスの誰か」

「ふぅん。おし、じゃ行こか、長瀬さん、また明日な」

 丈志は楓花に挨拶してから自転車を漕ぎだした。晴大は少しの間だけ楓花を見ていたけれど、何も言わなかった。

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