08.水族館のあと

 楓花は智輝のことが気になっていたけれど、智輝の彼女・直子なおこには敵わないと体育祭のときになんとなく思ったし、実際に話してみて確実にそうだった。直子は智輝とは高校の頃から付き合っていて、智輝と同じ理学療法士を目指しているらしい。

「直子さんってスポーツしてるんですか?」

「今は授業しかしてないけど、高校のときはバレー部やったよ。私は智輝とは違って普通に引退しただけやけど」

「それでかぁ……。健スポの人ってみんな引き締まってるけど、直子さん特にキレイです」

 どこで授業をしているかは分からないけれど──おそらく中央キャンパスの体育館付近だと思うけれど──休み時間の移動中にジャージを着た学生たちとすれ違うことが週に何度かある。直子を見かけたことはないしジャージなので体型は分かりにくいけれど、なんとなくそんな気がした。

「そんな……、ありがとう」

 直子は素直に喜び、隣を歩く智輝に半分冗談で『私きれい?』と聞いた。

 お昼前に待ち合わせ、昼食を取ってから水族館へ行った。智輝がチケットを四枚手に入れて、直子と行くことを決めたあと、楓花と翔琉を誘ってくれたらしい。

「ありがとうございます。夏休みバイトしかしてなかったから退屈してて」

「何のバイトしてるん?」

「ホテルです。外国の人が多いから、英語得意じゃないスタッフの通訳とか」

「さすがやなぁ。桧田は──居酒屋って言ってたな?」

「はい。あ、お酒はまだ飲んでないですよ?」

 長らく放置されていた翔琉は、智輝に話題を振られて嬉しそうにしていたけれど。

「英語は生かせてるん?」

「いえ……、日本人ばっかです」

 もしも外国人経営のパブだったら英語の勉強になったかもな、と笑われて悔しそうにしていたけれど、気を取り直して翔琉は水槽のほうに駆け寄って楓花を呼んだ。

「見て見てあそこ、隙間に隠れてる、茶色っぽいやつ、面白い顔してるな」

「ほんまやぁ、岩と同化してるなぁ。……あの魚かわいい……うわぁ、こんな魚いてるんやなぁ」

 初めは四人で一緒にいたし楓花は直子と水槽を眺めて男二人に置いていかれることもあったけれど、いつの間にか楓花の隣には翔琉がついていた。もちろん見える範囲に智輝と直子の姿もあったけれど、声までは聞こえてこなかった。

 夏休みだったのもあって子供の姿も多く、全てを見ていると予定より時間がオーバーしてしまった。出口付近にあった売店でソフトクリームを食べた。

「手ベタベタやな……洗ってこよう。楓花ちゃんも行く?」

「あ……っ、はい」

 直子は〝行く?〟と聞いていたけれど、〝話があるから来て〟という顔をしていた。何の話なのかは最初から気づいていた。このメンバーで行くと聞いたときにそんな気がして、水族館を回っている間に確信に変わった。

「楓花ちゃん、大丈夫? 疲れてない?」

「はい……」

「このあと解散の予定やけど──、二人にして良いかなぁ?」

 夏休みが始まる前、智輝は翔琉から〝楓花に告白したいけど勇気が出ない〟と相談されたらしい。初め智輝は〝自分で頑張れ〟と笑っていたけれど、少ししてから水族館のチケットを手に入れたのでダブルデートを提案したらしい。

「楓花ちゃんと桧田君って、性格あんまり合わなさそうやけど……」

「まぁ、そうですけど……でも大丈夫です。私も翔琉君のことちゃんと知りたかったし」

 それから待っている男二人のところに戻り、駅まで一緒に歩いてから智輝と直子は行くところがあると言って楓花が帰るのとは違う方向へ向かう電車に乗った。

「ええと、私は──」

「楓花ちゃん、時間ある?」

「うん。明日は朝からバイトやから遅くまでは無理やけど」

「じゃあ、花火行かん行こう?」

「あ──そこの港の? 今日やったっけ? 人多いよなぁ?」

「任して、穴場あんねん」

 花火の会場からは離れたところにある展望台に翔琉は連れていってくれた。屋外なので少しは暑かったけれど、人の数はあまり気にならなかった。早めに到着したのでベンチを確保できたし、もちろん港までの景色を遮るものも無かった。

 夕食を食べに行ってしまうと席がなくなる可能性があったので、翔琉がコンビニでホットスナックとおにぎりを買ってきてくれた。

「ごめんな、こんなとこで……」

「ううん、良いよ、ありがとう」

「あのさ──渡利はやめたほうが良いぞ」

 突然の発言に楓花は思わずむせた。お茶を飲んでから翔琉を見ると、ものすごく真剣な顔をしていた。

「え? なに急に? どういうこと?」

「前に楓花ちゃんも言ってたけど、あいつ、見る度に違う女の子と歩いてる」

「ああ……そうらしいなぁ」

 高校の頃からそんな噂はあったので、今さら聞いても特に気にしない。

「なんか、飄々ひょうひょうとしてるというか、一匹狼というか……俺と違いすぎて分からん」

 翔琉は頭をかきむしりながら晴大のことをぶつぶつと話していた。女癖が悪そうなのに成績優秀でイケメンなので、好きにはなれないけれど羨ましいらしい。

「中学とき、あいつとはどういう関係やったん?」

「別に、ただの同級生やけど……同じクラスなったこともなかったし」

 リコーダーを教えていたことは、もちろん秘密だ。

 ドン、と大きな音がして、花火が打ち上げられた。楓花の家の近くでも花火大会をしているので窓からいつも見ていたけれど、近くの家が邪魔になってきれいには見えない。

「ひゃっ?」

 楓花はベンチに付いていた手を思わず引っ込めた。温かい感覚があって、隣で翔琉が慌てていた。

「ごめん……つい……」

 翔琉が手を握ろうとしてきていたらしい。

「俺、前から楓花ちゃんのこと気になってて……いつも渡利に邪魔されてたけど、今日は言うって決めてた……俺と付き合ってください」

「──返事、今度で良い?」

 楓花は翔琉のことは嫌いではないけれど、半日を一緒に過ごしてみても、彼のことを好きになったとは言い切れなかった。彼は楓花にとても良くしてくれていたけれど、楓花は同じようにはできなかった。

「もしかして、渡利のこと……?」

「違う、渡利君とは何もない。翔琉君のことがまだよく分かれへんというか、私が、まだあかん、って言ってる。さっきも、手……払ってもぉたし」

 もしも翔琉と付き合いたいと思っているのなら、彼の手を振り払うことはなかった。そうなることを期待して、黙って繋がれたはずだ。

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