第2章 …大学1年生 後期…
07.本当の自分
夏休みの間、楓花は友人たちにはほとんど会わずに過ごした。一時間半もかけて──家を出てから授業を受ける教室まできっちり計ると二時間になる──大学に行く用事はなかったし、彩里と遊ぶ予定も特になかった。機会があれば会おう、とは話していたけれど、今のところそんな連絡はない。
前期で予定していた単位は全て取れていたので、夏休みの間はアルバイトの時間を増やした。旅行客も増える時期で楓花の英語力も上がっていたので、時給も少しだけ上げてもらえた。
合宿で彼女ができたら勝ち、と翔琉は勝手に晴大に勝負を持ちかけていたけれど、結局それは勝負にならなかった。翔琉は楓花に話しかけようと機会を窺っていたけれどそもそも班が違ったので時間は取れず、晴大は楓花と一緒のことが多かったけれどそんなことを言う気配すらなかった。夕食のあとは肝試し、と聞いて翔琉は張り切っていたけれど、それも班単位だったので翔琉は悔しそうに晴大を見ていた。
翔琉は再試にはなんとか合格できたようで、そのことは八月になってから楓花に連絡があった。試験の結果は判定だけは担任から知らされたけれど、詳しい点数は自宅に郵送された。翔琉が再試を受けた試験は、楓花はS判定の満点だった。
自分で自分の評価を下げるな、と晴大に言われたことを楓花は考えていた。合宿ではそれ以上の説明はなかったので、真意は分からなかった。わざと悪い点数を取る、という意味ではないとはすぐに分かったし、楓花もそんなことはしていない。楓花がしたのは、自分の本当の成績を隠して周りに合わせることだ。本当は余裕で合格だったけれど、友人たちから差別されるのが怖くて嘘をついた。楓花も彼らと同じレベルだと、わざと思わせた。
そんなことをせずに本当の自分を
「下に合わせてたら、ほんまにそうなるぞ」
ある日のアルバイトの帰り、帰りの電車で晴大と一緒になった。
「まぁ──今のとこ大丈夫やと思うけどな。バイトでも頼りにされてるみたいやし」
「……なんで知ってんの?」
「前──うちの店に来た女の人が、〝最近入ったバイトが英語ペラペラで助かってる〟って話してた。何回か見たことあるけど、客室のスタッフちゃうか?」
そのことから推測して、楓花は日常英会話には困らないと判断し、試験もそれに近い内容だったので楓花にとっては簡単だろうと思っていたらしい。
「あいつから──告白された? 桧田」
「えっ……、されてない」
「やっぱ口だけか……。あいつ弱いよな」
「──弱い?」
翔琉は勉強はそれほど得意ではないようだけれど、サッカーが上手いのは知っている。クラスの中でも外見に伴って性格も明るいほうで、どちらかというと人気なほうだと思う。何をもって弱いというのか、楓花には分からない。
「知ってるやろ? 合宿の前にあいつ言ってたこと。俺と勝負するって。大きい声で、響いてたよな」
「うん……全部聞こえた」
「別に勝負なんかせんでも、勝手にしたら良いのに。別にLINEとかで誘われることもないんやろ?」
翔琉からはたまに連絡が来るけれど、デートの誘いは全くないし、どんな人が好きなのかも聞かれたことはない。楓花のことを気にしているのは分かるけれど、直接なにか言われたこともない。彼の性格なら〝とりあえず〟付き合ってみようと言われそうな気がしていたし楓花もそのときの対応を考えていたけれど、それよりも晴大が〝気をつけろ〟と言うわりに〝勝手にしたら良いのに〟と言ったことが、楓花には興味がない、と言われた気がしてほんの少し悲しくなった。もちろん楓花も晴大には特に興味がないし、噂のことも忘れてはいない。
「あいつ自分から何も出来んのか? 勝算なかったら告白もせーへんとか……」
「それが、弱いってこと?」
「フラれんのが怖いんちゃうん? 長瀬さんが桧田のことどう思ってんかは知らんけど。あと流されやすいよな」
楓花は翔琉のことは気にはなっているけれど、付き合いたいと思ったことはない。だから今は彼のことを知っていきたいけれど、なかなか上手くいかない。そんなことは、晴大に言うつもりはない。
「それは渡利君と比べたらあかんと思うけど」
いまの晴大の状況は分からないけれど、彼は過去に何人も彼女がいた人だ。告白されたのが多かったとしても、それが全部だったわけではないはずだ。
「そんなことないやろ? 俺に勝負しにくるくらいやし。あ、言っとくけど、俺はそもそも乗らんかっただけやからな?」
やはり晴大は楓花には興味がないらしい。
「だいたい男のほうが力強いし、下に引っ張られんなよ。一緒におったら周りからは男のレベルに見られがちやからな」
もしかすると晴大は、楓花が翔琉に合わせることで周りからの楓花の評価が翔琉と同じになる、と忠告してくれたのだろうか。中学生のとき楓花が何の接点もなかった晴大にリコーダーを教えたことで、楓花は仲間を傷つけない、と思われているのだろうか。
電車が最寄駅に到着し、晴大はそのまま楓花を置いて帰っていった。楓花は少しだけ晴大の背中を見つめ、ため息をついてから自宅へ向かった。
晴大のことはいつ見ても格好良いと思うし、二人でいるときは周りの女性たちからの視線がとても痛い。楓花はこれまで付き合った人は何人かいたけれど顔を評価されたことはほとんどないので、〝あんな女より私のほうが彼と釣り合うはず〟と悔しそうな顔で何度も見られた。それならいっそ付き合うほうが周りが大人しくなると思ったけれど、彼にそんな気はないように見えるし、高校時代の噂もあるので気は進まない。
翔琉が動いてくれないのなら、自分から仕掛けてみようか。
と思いLINEを送ろうとしたけれど、何を言えば良いのか悩んでしまう。翔琉のことは知りたいけれど、彼の夏休みの予定は分からない。居酒屋のアルバイトをしていると聞いたので会うなら昼間だろうか。
晴大は翔琉が弱いと言っているけれど、楓花はそこまでは思わなかった。だから試験のことは引き続き黙っておくことにしたし、数日後に届いたデートの誘いにも乗ることにした。ただしそれは、翔琉と二人で、というのではなく、智輝とその彼女も同行するらしい。
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