05.噂と忠告

 体育祭が終わったあとはまた、いつも通りの授業の日々だった。多い日で一日に四コマ──というと少なく感じるけれど、大学の一コマは九十分なので四コマもあれば終われば夕方だ。

 楓花は高校までは英語が得意だったけれど、大学の授業は着いていくのが精一杯だった。外国人講師の時間もあって、その時は一切、日本語が登場しない。英語を実践しながら学びたくて、楓花はアルバイト先に観光ホテルを選んだ。空港からのアクセスも良いので外国人宿泊客も多く、基本的な日常会話程度ならできたので採用してもらえた。さすがにフロント業務はさせてもらえなかったけれど、英語を完璧には話せないことを了承してもらえた外国人からは話しかけてもらえたし、英語が話せない客室担当からも頼りにされていた。

 そのお陰か楓花はいつの間にか日本語より先に英単語が浮かぶようになって、授業で苦労することも減った。英語に触れることが多すぎて──そんな生活を選んだのは楓花自身だけれど──日本語を使うのは日本人と話すときだけになってしまったけれど、それは後に楓花の世界を広げることになる。

「大学の試験って難しいんかなぁ?」

「時間は長いけど、テストによって持ち込み可のやつもあるし、最後まで待たんでも終わったら退室できるんやろ?」

 電子機器の使用は認められていないけれど、テキストや辞書の持ち込みが可能な試験があるとは聞いていた。授業と同じく九十分あるけれど、三十分が経った時点で退室が可能になる。

 試験の時間割は事務室前の掲示板に貼り出されるだけだったので間違えないようにメモをして、楓花はいつものように彩里と一緒に大学を出た。翔琉は相変わらずサッカーはしていないけれど、離れた場所にある居酒屋でアルバイトを始めたようで先に帰ることが増えた。

「楓花ちゃん、翔琉君とは何もなっとらんの?」

「うん。今のところ。たまにLINEするけど……授業の確認くらいやし」

 体育祭の日はサッカーをする翔琉が格好良く見えたけれど、彼との関係は何も変わっていない。授業中は近くにいるし空き時間を一緒に過ごすこともあるけれど、まだ彼からは何も言ってこない。

「どうしよっかなぁ。付き合ってみんと分からんこともあるしなぁ」

「確かに……。そうや、テスト終わったらさぁ、合宿あるやん? そのときにあるかもしれんで?」

 大学には研修センターがあって、一年生は一泊二日で合宿するのが必須になるらしい。学科単位で行われるけれど、宿泊はもちろん男女で別の棟だ。研修とは言うけれど勉強する時間はなく、仲間と親睦を深めるだけが目的になるらしい。

 いつの間にか楓花と彩里の話題は研修のことになって、やがて駅に到着したので二人は分かれた。テストのことを一旦忘れて合宿のことを考えながら電車を待っていると、後ろから誰かに呼ばれた。

「長瀬さん」

 声の主は、晴大だった。彼のことは何度か見かけているし簡単に挨拶もしているけれど、入学式の日に一緒に帰ってから二人だけでは話していない。

「……なに?」

「もしかして、こないだのこと怒ってる?」

「──ちょっとだけ」

「それは、ごめん……。いらんこと言うたよな……ほんまにごめん。俺の、あの噂、聞いてたんやろ?」

 晴大は楓花が今まで見たことのない悲しそうな顔をしていた。

「そりゃ聞くやろ? 現に友達が、泣いてたし……」

 ホームに電車到着のアナウンスが流れ、楓花はいったん話すのをやめた。平日の昼間なので乗客は少なく、晴大はまた楓花の隣に座った。

「言い訳はせんとくわ、やってたことは事実やしな。ただ一個だけ言わせてもらうけど、遊んでたんとちゃうで」

 それならどうして二回三回と続かなかったのか、と気になったけれど、楓花は敢えて聞かなかった。聞いたところで特に晴大に興味はないし、言い訳なので言わないかもしれない。

「バイト始めたんやってな」

「情報早いな……」

 驚いてみたけれど、そんな話を授業前に彩里としていたので、聞こえたのだろう。

「どこのホテル?」

「○△駅の北口を出たとこ」

「え? マジ? 俺のバイト、そこの隣のレストランやで」

「──えええ? そんなことある?」

 高校のときから続けていると聞いたので、近所のコンビニかスーパーあたりだろうと思っていた。レストラン『ensoleilléアンソレイエ』は楓花も行ったことがあるけれど少し高級で、ホテルの隣なので外国人客が多いし、英会話できることが採用条件だと聞いたこともある。晴大は今はそれなりに英語を話せているけれど、高校のときからそうだったのだろうか。

「いま俺のこと、ちょっと見直したやろ?」

「なんでそうなんの?」

 楓花は全く褒めていないけれど、晴大は嬉しそうに笑う。その顔があまりに整いすぎていて、つい、見惚れてしまった。

 テストや合宿の話をしながら電車を乗り継ぎ、いつの間にか楓花は晴大と仲良く笑い合っていた。二人ともアルバイトに向かうので、乗る電車も降りる駅も全て同じだ。けれど二人の関係はそれほど良くはないと、思い出させたのは晴大だ。

「長瀬さん最近、桧田と仲良いよな」

 晴大が翔琉の名前を出すときは、いつも機嫌が悪い。アルバイト先の最寄駅の改札を出てから彼はぽつりと言った。

「──だからなに?」

「別に。こないだもサッカー応援してたし、気になってんの?」

「そりゃ、最初にできた男の子の友達やし……」

「まだはっきり分からんけど、気つけたほうが良いぞ」

「え? どういうこと?」

「そういうこと。関わるなとは言わんけど」

 楓花は翔琉のことは、あまりよく知らない。同じクラスなので仲良くはしているけれど、サッカーが得意なことは知っているけれど、会っていない時にどういう暮らしをしているのかは知らない。初めの頃は派手なことが気になっていたけれど、連休明けから他にもそういう学生が増えたので特に気にしなくなった。まだ試験をしていないので成績は分からないけれど、大学に合格しているくらいなので悪くはないはずだ。

「何か知ってんの……?」

「いや? 俺のカン。……じゃあな」

 そう言うと晴大は軽く手を挙げて駅北口のほうへ去っていってしまった。彼の言ったことが気になって楓花はこの日、アルバイトに集中できなかった。

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