03.二人の秘密
同じ学科の同じクラスで全く同じスケジュールだったので、あり得ないことではない。それでも全く気配を感じていなかった相手が突然現れて、驚くなというのは無理な話だ。
「びっくりした……いつからいたん?」
「教室出てからずっと後ろにおったけど?」
楓花が彩里や翔琉と話しながら帰っているのを、晴大は少し後ろから観察していたらしい。
「渡利君は、一人なん?」
「あ──友達できたけどサークル見に行ったわ。俺は別に興味ないし……それよりバイトやな」
「バイトしてるん?」
「高校のときからやってるやつ」
「ふぅん……」
いまも明るいといえば明るいけれど、大学生になったからか雰囲気は落ち着いていた。もちろん中学時代も友達だったわけではないし、会うのが久々なので何を話せば良いのか分からなくて考えているのかもしれない。そんなうちに電車は隣駅に到着してドアが開き、けれど二人の乗った車両では誰も動かないままドアは閉まった。
「あいつらに言ってないやろな?」
「え? 何を?」
怒っていないとは思うけれど、晴大の言葉は冷たく聞こえた。
「音楽室の──秘密にしてって頼んだやつ」
体育祭の前日に音楽室でピアノを弾いていると、何故か晴大が一人でやって来た。彼は音楽担当教師の佐藤と待ち合わせていたようで、何の用事なのかと聞くと佐藤は笑った。
「ははっ、秘密やなぁ、渡利君?」
楓花の後ろで立っていた彼は眉間に皺を寄せ、何か言いたそうにしていた。
「おまえ──」
「こら渡利君、ちゃんと名前で呼びなさい。男の子にやったらまぁ良いけど、女の子に〝おまえ〟は駄目です」
「っ……、長瀬さん──これ」
晴大は鞄を開いて何かを出し、それを楓花に見せた。晴大が持っているものは、中学生ならきっと誰もが持つであろうアルトリコーダーだ。
「これが、なに?」
「長瀬さんピアノ弾けるし、音楽得意やろ? なら、これもできるやろ? ……教えて」
「……え?」
楓花に頼んでいる晴大は恥ずかしそうに顔を赤くしていた。
「え……渡利君に、リコーダー教えるん? 私が?」
思わず佐藤のほうを見ると、彼女も〝それが良いわ〟と言い出した。佐藤は普段の放課後はクラブの顧問をしているので時間はあまりない。
「俺のこと知ってるんやったら、分かるやろ?」
「もしかして──、渡利君て人気あるから、リコーダーできへんとはバレたくない、ってこと?」
晴大はイケメンで運動神経が良くて成績も優秀で、中学生女子が好きなタイプに挙げるポイントを全て持っていた。人気があることは本人も分かっていたけれどまさか〝楽器が苦手〟とは思われたくなかったようで、〝誰もいないときに教えてほしい〟と、先生にこっそり頼んでいたらしい。
「長瀬さん、お願いして良い?」
「良いけど……でも私もクラブあるから、たまにしか無理やけど」
そして月に一度ほど、楓花は晴大にリコーダーを教えるようになった。何かの事情で全校生徒が帰宅する日は音楽室で、そんなチャンスがないときは佐藤に頼んで生徒が近付かない場所を使わせてもらった。
月に一度はそんなことがあったけれど、それ以外は廊下で会っても特に用事がなければ話すことはなく、もちろん付き合っているわけでもなかった。楓花は彼を格好良いとは思っていたけれど晴大から何か言われることはなく、恋人がほしい年齢でもなかった。そんなうちに晴大はリコーダーを吹けるようになり、楓花も練習に付き合うのをやめた。中学一年の冬の頃だった。
「そんなことあったなぁ……いま思い出したわ」
「マジ? なら言ってないか……。これからも言うなよ」
二人だけの秘密──佐藤を除いて──と言えば関係を疑われるけれど、楓花は晴大とはただの同級生でしかない。晴大はいまもモテるキャラクターを保っているようで、向かいに座る女性がチラチラと彼を見ている。
「長瀬さん、いまどこに住んでんの?」
「実家。一人暮らししようか迷ったけど、通うほうが安くつくし。それに……犬飼ってんやけど、もう長くないかもしれんから、一緒にいたくて」
「ふぅん。俺も実家」
ということは彼に予定がない限り、楓花は電車を降りるまで晴大と一緒だ。あと二本を乗り継いで一時間あるので、何を話そうか考えてしまう。
「バイトはしてないん?」
先ほど途中で終わった話題を晴大は戻してくれた。
「これから探す。高校のときは禁止やったし。授業決まってからかな」
「──そうやな。早めに単位取っときたいしな」
四年間で必要になる単位は決められているけれど、単純に四で割った分を一年間で取るのでは、就職活動や卒業論文に取りかかる頃に忙しくなってしまう。取れる分は早めに取って、できれば単位をオーバーするくらいで卒業してみたい。
「サークルは? ピアノまだやってるん?」
「ううん、あの頃──中学のときにやめた。趣味で弾くくらいやわ。サークルも、ただの飲み会だけになるとこ多いみたいやし」
クラブとして活動して成績を残しているところもあるけれど、サークルや同好会になると名前ばかりで中身は別物らしい。大学の枠を越えていることも多く、実際に大学から駅までの道で配られていたサークルのチラシのほとんどはよその大学の名前が書かれていた。
電車を降りるまで何の話をしようかと思っていたけれど、最後の電車に乗って座席に座ると楓花は眠ってしまったらしい。ふと目を開けると地元に近付いていて、隣で晴大が『起きたか』と笑っていた。
「ごめん、凭れてなかった?」
「いや? ……あのとき、なんでやめたん?」
「何を? いつの話?」
「リコーダー教えてくれてたけど、急にやめたやん。なんで?」
「それは──、渡利君も吹けるようになってたし、もう良いかと思って……」
ちょうど降りる駅に着いたので、話を中断して黙って電車を降りた。そのまま改札も出たけれど、駅から出たところで楓花は晴大に腕を捕まれた。
「俺は、続けてくれても良かったんやけど」
晴大はじっと楓花を見ているけれど、彼の感情は全く読み取れない。過去のことを言われても、どうすることもできない。
「長瀬さんも、俺のこと気になってたとか?」
ニヤリと笑う晴大に思わず楓花はびくりとしてしまった。
「図星? 照れてたん?」
「──やめて、離して。そんなわけないやん、あんたなんかと」
楓花は晴大の腕を振り払い、そのまま走りだした。同じ最寄駅でも違う校区の晴大とは逆方向なので、彼の足音は追っては来なかった。
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