02.音楽室と噂

 楓花が渡利晴大と出会ったのは六年前の、中学校に入学して少し経った頃だった。クラスは違ったので最初の頃は存在すら知らず、同級生や先生が噂をしているのを聞いて存在を知り、友人たちに名前を呼ばれているのを聞いて姿を知った。晴大は全ての女子に好かれそうな爽やかなイケメンだった。

「体育館の横で男子たちバスケしてるって! たぶん渡利君いてるし、見に行こ!」

 体育館の横にはバスケットゴールが一つだけあって、昼休みになると遊んでいる男子たちがいた。場所が狭いので試合をすることはなかったけれど、集まったメンバーはいつも交代でシュートの練習をしていた。晴大は帰宅部だったけれど、練習を見ていた先輩に誘われてバスケ部に入った。

 そんなうちに晴大は学校中の女子たち──もしかすると先生からも注目されるようになった。性格も明るいようで、彼を見かけたときはいつも友人に囲まれていた。彼は登校してくるのは遅いほうで放課後もほとんどクラブに顔を出していたので見かけることは少なかったけれど、話す機会は突然やってきた。

 楓花は友人たちと放送部に入っていて、体育祭のBGM確認やマイク準備を任されていた。前日の放課後にスタンドを出してコードを繋いでスピーカーが正しく響くかテストをして、音源は放送室の目立つところに置いて全てのチェックをしてから友人たちは帰ったけれど、楓花は音楽担当教師の佐藤裕子さとうゆうこに用事があったので音楽室でピアノを弾いていた。全てのクラブが活動不可になっていたけれど、許可をもらえた。

 普段でも広く感じる音楽室は、人がいないともっと広いと感じた。壁に飾ってある肖像画は見ていると怖いけれど、ピアノが好きな楓花にはあまり気にならなかった。ピアノ教室で習っている曲を弾いてみるけれど、楽譜がないので途中で分からなくなってしまう。おまけにいつの間にか違う曲を弾いていることに気付いてピタリと止めてしまった。

「なんで止めたん? 上手いのに」

「えっ? ……渡利君?」

 音楽室の入り口に晴大が荷物を持って立っていた。彼はクラスで体育委員をしていて入退場門などグラウンドの準備を担当していたようで、体操服のジャージを着ていた。

「──俺のこと知ってんの? 何年?」

「一緒、一年……長瀬楓花、です」

「ふぅん。先生は? まだ会議?」

「たぶん……。渡利君は、何してるん?」

「え……先生を待ってるだけ。長瀬さんは?」

「私も待ってるんやけど……暇やから弾いてた」

 ちゃんと弾けないので楓花はピアノを閉じようとしたけれど、なぜか晴大はそのまま続けろと言った。

「でも、楽譜がないから途中までしか」

「俺には詳しいことわからんし、静かなん嫌やから弾いといて」

 分かるような分からないような理由で、楓花はまた同じ曲を最初から弾き始めた。それを見てから晴大は音楽室の後ろまで歩いていき、窓から校庭を見た。体育祭の準備で残っていた生徒はたくさんいたけれど、今はもうほとんどが帰ってしまっている。

 楓花は今度は正しく弾くことができたようで、知っている通りに終わらせることができた。無事に終えて深呼吸をすると、拍手と同時に佐藤の声が聞こえた。

「長瀬さん上手やなぁ。ごめんね遅くなって」

「あっ、先生……。あの、今日の授業で言ってたことなんですけど──」

 楓花の用事はすぐに終わったので、帰ろうとした、けれど。

「ところで渡利君は? 来てない?」

「さっき来てたけど……あれ?」

 教室前方のピアノから晴大の姿が見えず、後方へ探しに行くと彼は床に座って眠ってしまっていた。

「おーい、渡利君、起きなさい」

「……ん? あっ、やばっ、寝てた」

「起きな時間なくなるで」

 笑いながらピアノに戻る佐藤のあとを追ってから、楓花はふと気になったことがあった。

「渡利君って、何しに来たんですか?」

「ははっ、秘密やなぁ、渡利君?」

 晴大は楓花の後ろに立って、ほんの少しだけ眉間に皺を寄せていた。


 それから楓花と晴大は顔を合わせれば話すことはあったけれど、同じクラスにならないまま中学を卒業した。彼の人気は中学三年間は落ちることがなかったけれど、高校生になってからは事情が変わったらしい。

 楓花は私立の女子校に進学して通学時間も早くなっので、地元の公立高校に進学した彼と会うことはなかったけれど、楓花の友人が晴大と同じ高校になったので噂は聞いていた。晴大はやはり女子たちに人気があって、告白された噂を何度も聞いたらしい。長続きはしないのか見かける度に違う彼女を連れていて、楓花の友人も何人かが一度だけのデートで関係を断たれていた。

「詳しくは聞いてないけど、一回遊んで捨てられるって噂があって」

 初めの頃は晴大と付き合いたいという女子が多かったけれど、誰も長続きせず、しかもほとんどが一回きりだったので、やがて晴大と付き合いたいとは誰も言わなくなったし、人気も一気に落ちていった。

「高校時代を知ってる女子はみんな離れたんちゃうかな」

「そうなんやぁ……そんな風に見えんけどなぁ」

 大学生になっても晴大のイメージは変わらず、むしろ以前より随分と垢抜けた爽やかなイケメンだった。彼の過去を知らなければ、きっと付き合いたいと思ってしまうだろう。

「楓花ちゃんは、あいつと付き合ってたん?」

 聞いてきたのは翔琉だ。

「ううん。中学が一緒やっただけ。卒業してからは会ってなかったのに」

 晴大は運動神経が良くて成績も優秀だとは聞いていたけれど、大学で再会するとは思ってもいなかった。これから頻繁に会うと思うと、嫌ではないけれど顔は強ばってしまう。

「もしかしたら彩里ちゃんも被害に遭うかもしれんから、注意してな?」

「うん、大丈夫、私は年上しか興味ないから」

 彩里の言葉に翔琉はひとり肩を落としていた。食堂で智輝に会ったとき〝わざとではない〟と言っていたけれど、彼女候補にはされていたのかもしれない。

「じゃーな、俺、徒歩やからこっち行くわ」

「うん、またね」

 初日の予定が終わり、翔琉とは正門前で別れた。楓花と彩里は駅へ行くけれど、帰る方面が違うので改札を通ってから楓花は一人になった。自宅までの電車は、何本かを乗り継いで一時間半だ。

 到着した電車に乗り、座席に座って、ふぅ、っと息を吐いたとき、隣にはいつの間にか晴大の姿があった。

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Pure 玲莱(れら) @seikarella

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