第3話 やんのか

 かーちゃんの教育は、挨拶以外にも多岐にわたります。

 ネズミやスライムなどの食事の捕え方、カラスなどの天敵のかわし方、人間との付き合い方、木登りの仕方、などなど。


 今日は、舞の練習の日です。


「みい(えー?舞?つまんない)」


 私たちは、みいみいと文句を言いました。

 舞って体をくねくねさせたりする踊りですよね。何の役に立つのでしょうかとその頃の私は思っておりました。


「みゃん(あなたたち、舞は大事よ。何と言っても私たちのご先祖は『舞王』という舞の名手だったのだから)」

「みゃ?(まいおう?)」


「みゃ(そう。大昔に、舞王は人間たちと一緒にこの島国にやってきたの。そのとき舞王は、ある人間と契約しました。舞王がその人間の敵を倒す代わりに、人間は舞王の一族の猫たちの生活を保証すると。舞王は約束通りその人間の敵を倒したわ。でも恥知らずな人間たちは、舞王が旅立った亡くなった途端、契約を一方的に破棄して、一族の猫たちを追い出したの)」


「にゃにゃ!(人間!ひどい!)」

「み…(さいてい…)」

「にい…(これだから人間は…)」

 私たちは人間の所業に憤慨して口々に鳴きました。


「みう(そうね。あなたたちも簡単に人間を信用しては駄目よ。それはさておき、舞王はたった1匹で、百匹の人間の群れを舞で倒したの。舞を極めればそんなこともできるのよ)」

「みい(すごい!)」


 私たちは、俄然やる気が出ました。


「みゃみゃ(今日は、すべての舞の基本であるの戦舞いくさまいを教えます。これは戦いの前に舞って開戦を告げる踊りです。忘れちゃいけないのが、この舞は、猫同士の戦いにしか使っちゃダメってこと。人間やカラスのような野蛮な生き物は、舞の意味など理解できないから、舞っても無駄よ)」

「にう…(えー、それじゃ、人間やカラスを倒すのには使えないじゃん)」


「に(そうね。でも猫社会で生きていくには大切な舞よ。戦舞を見れば、その猫の出身、生い立ち、強さ、戦歴などが判るわ。立派な戦舞を披露することで、相手に敵わないと思わせて戦うことなく勝つこともできるし、逆に駄目駄目な戦舞を見せれば、相手を勢いづかせてしまうの)」


 まずは自分がやって見せるので、見学していなさいと言って、かーちゃんは私たちから少し離れ、目を閉じて座り、呼吸を整えました。


 そしてカッと目を見開き、全身の毛を逆立てました。


「!!!(!!!)」

「!!!(!!!)」

「!!!(!!!)」


 それを見た私たち同腹仔きょうだいも、驚きと恐怖の余り、全身の毛が逆立ちました。


 かーちゃんは、おもむろに4つ足で立ち、背中を高く持ち上げ、ぼわぼわに太くなったしっぽも高く持ち上げぶんぶんと左右に振りました。背中としっぽで2つの弧を描き、山が2つ並んだように見えました。


 私たちは、じりじりと後ずさりました。

 頭では、あれは優しいかーちゃんだ、敵ではないと分かっているのに、体が勝手に動いて距離を取ろうとするのです。


 全身の毛が逆立って一回り大きく膨らんだ母は、いつもの母とは別の猫のよう…いえ、さらに言えば、猫でもない、別のおそろしい生き物のように見えました。


 母は毛を逆立てたまま、視線を私たちに固定しつつ、右に左にゆっくりと横移動し始めました。そして、その足運びに合わせ、低い声でなーご、なーご、とうたい出しました。


「(見よ、この勇気ある獣を。

この毛深い獣が太陽を呼び、輝かせる!


やるのか?やるのか?やるのか?

やらないのか?やらないのか?やらないのか?


やんのか!やらんのか!

やらんのか!やんのか!


やんのかやんのかやんのかやんのかやんのかやんのかやんのかやんのかやんのかやんのかやんのかやんのかやんのかやんのかやんのかやんのかやんのかやんのかやんのかやんのかやんのかやんのかやんのかやんのかやんのかやんのかやんのかやんのかやんのかやんのかやんのかやんのかやんのかやんのかやんのか!!!)」


 ゆったりとした足運びは次第に速さを増し、それに合わせて唄の拍子テンポも速まります。左右に横移動を反復していたかーちゃんは、「やんのか」連呼になると、その場で唄に合わせて足踏みを始めます。高く持ち上げていた背中をさらに高くし、やがて2つの後ろ足だけで立つようになります。


 大きく見えた母の背がさらに高くなり、私たちの恐怖と緊張が最高潮に達したところで、母はぴたりと唄うのを止め、後ろ足で立ったまま静止しました。そして、私たちに叫びます。


「シャー!!(やんのかー!!)」


 舞に見惚れて気付かなかったのですが、かーちゃんは横移動と足踏みをしながら、少しずつ私たちに接近していたのです。いつのまにか間合いに入られ威嚇された私たち同腹仔きょうだいの反応は、3匹それぞれ全く異なっておりました。


 私は、

「みゃみゃっ!(はわっ、はわわっ!)」

と狼狽えながら後ろに飛び退って距離を取り。


 カギは、

「きしゃー!(やってやんよ!)」

と鳴いて全身の毛を逆立て応戦し。


 ダミは、

「………(………)」

 ダミは、その場を動かず、ただ静かに座っておりました。


 そんな3匹3様の反応を確認した母は、満足そうに頷き、逆立てた毛を元に戻し、4つ足になって私たちに歩み寄りました。


「にゃ(これがウチの一族に伝わる戦舞よ。どうだったかしら)」

「みゃ~(怖かったよ~)」


 いつもの優しいかーちゃんです。私は母の胸元にぐりぐりと頭を擦りつけて甘えました。

 母は、そんな私の額を舐めて落ち着かせました。

「みゃう(ハナ、距離を取ったあなたの行動は悪くなかったわ。勝てない相手とは戦わない。それが長生きの秘訣よ)」


 そして次にカギの元に行き、彼の逆立った毛を優しく毛づくろいして戻してやります。

「みゃん(カギ、あなたの行動も悪くないわ。格上の相手に対しても一歩も引かない勇気が必要なときもある。でも無理は禁物よ。逃げ時を見失わないようにね)」


 最後に、かーちゃんはダミの元に行って彼女の背中を毛づくろいします。

「みゃう(ダミ、一番の正解はあなたよ)」


「「みゃ!?(ええ!?)」」

 私とカギは、揃って驚きの鳴き声を上げました。動かないことが正解なんてどういうことでしょう。


「みゃん(私の戦舞には殺気がなかった。ダミはそれを見極めて動かなかったのよ)」

「「み…(な、なんと…)」」

 私たちは感心してダミを見ました。


 しかし、香箱を組んで座ったダミは、照れくさそうに笑って言いました。


「み゛ぃ……(腰が抜けて動けなかった……)」

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