第46話 胡鳥の夢(閑話)(後)

*****


 水の気配がする。

 川のような速い流れの水ではない。落ち着いた、ゆったり動く、纏わりつくような水の気配が。


 目を開けると、目の前に広い湿原が広がっていた。

 背の高い葦のような草が風にそよぎ、水の上に群生する睡蓮の花の周りを虫が飛んでいる。

 キサカは、温暖な湿地に、足を水につけて立っていた。


 ふと自分の手を見れば、灰色の羽毛に覆われていた。ぎょっと驚き、足元を見れば、枝のように細い足になっていた。

 鳥だ。自分は大きな鳥になって水辺に立っているのだ。


 水面に自分の姿を映せば、くちばしの大きい、細長い2本の足で立つ、見たことのない灰色の巨鳥がいた。いや、昔、図鑑で見た、大陸の西の地方にいるとされる鳥に似ている。異国の鳥。ここは異国の湿原か…?


 さきほど自分の羽を灰色と思ったが、どうもいつもと物の見え方が違うことに気付いた。妙に遠くが良く見える。元々視力は良い方だが、さらに物が良く見える。

 色も変だ。空は青色ではなく、紫がかって妙に光っている。逆に水の色は妙に暗く、中を泳ぐ魚が光って見える。

 魚の姿に、空腹が刺激される。走って獲りに行きたくなったが、そこをぐっとこらえる。気配を殺し、その場に立ち続ける。


 自分が鳥になり、物の見え方がいつもと違うことに落ち着かない気分になったが、すぐに慣れた。

 むしろ自分は生まれたときから鳥だったし、世界はいつだってこんな色をしていたじゃないか。


 そんなことを考えながら、ボーッと動かず立っていると、大きな魚が1匹、こちらに泳いで来るのが見えた。まだだ。まだ遠い。まだ動いてはいけない。キサカは気配を殺しながらその魚の動きを追った。


 まだ…まだだ………………今だ!


 素早く身を屈め、大きなくちばしで魚を捕える。ビチビチ跳ねる魚を落とさぬようぐっとくちばしに力を入れ、魚を丸呑みする。


 久々の食事を得た喜びが体中を満たし………キサカは目を覚ました。


*****


 不思議な夢を見た翌日、キサカは仕事帰りに義父の店に寄り、ヒカワにアシナの手料理を食べてしまったと告白した。


「あ―――っ!」


 やっちまったな、と言いたげにヒカワは頭を抱えた。

 そして、理由も話してもっと強く止めるべきかとも思ったが、かえって興味を引くかもしれないと考え直し、あの半端な警告になってしまったと言い訳した。


「………夢、見たか?」

「見ました」

「何だった?ワシは犬だった。金持ちに飼われていた」

「私は鳥でした。異国の大きな鳥でした」

「いいな、鳥か。空を飛んでみたいのう」


 キサカとヒカワは、夢について語り合った。キサカは、あの異様な体験をしたのが自分だけでないことに安堵した。


「何だったのでしょうか。あの夢は」

「さて…色々調べてはみたんじゃが、さっぱり分からんかった。

 ただ、大陸の南の方の宗教に『輪廻転生』と言う概念があって、それによると、人は死ぬと常世とこよに行くのではなく、他の生き物に生まれ変わるという。

 あの夢は、生まれ変わる前の生の記憶なのかもしれん」


「生まれ変わり…アシナはなぜ、あのような奇妙な夢を見せる料理を作れるのでしょう。どうしてアシナは、あの料理を食べても何ともないのでしょう」

「そんなこと、ワシが知りたいわ。まあ、異能力の一種なのだろうな。人の考えを読んだり、未来を予知する異能力者の話は聞いたことがあるが、こんな珍妙な異能の話は聞いたこともない……

 アシナに効果がないのは……あれだ、フグは自分の毒が効かないというじゃろ。それと同じなんじゃないか?」

「毒………」


 ヒカワの話をまとめると、彼がアシナの手料理を食べたのは、彼女が10歳の頃。「アシナの初めての手料理はお父さんが食べたい」と言っていたヒカワのため、彼女は芋の煮物を作ってくれたそうだ。味も匂いもしない煮物であった。

 しかし、娘自身は美味しいと言って食べており、これは尋常な事ではないと感じたヒカワは、泣く泣く煮物の残りを廃棄し、その夜、金持ちの飼い犬の夢を見た。幸せな夢だった。


 ヒカワはアシナに二度と料理をしてはいけないと命じた。自分自身には効果がないことから、父親が理不尽な命令をしていると感じたアシナは反発し、それから何度かこっそりと料理をしてふるまい、幼馴染や初恋相手と言う犠牲者を出した。

 そこでアシナはようやく自分の料理が普通でないことに気付き、以降、料理を封印したのであった。


「下処理や手伝いだけでは発動しないようだ。アシナ1人が料理する、あるいはアシナが自分の手料理であると意識して作り、食べさせることによってあの料理ができるようだ」


 ヒカワは、改めてアシナに料理をしてはならないと強く伝え、アシナは再び料理を封印した。

 やがて長男のシナツが生まれ、健やかに育ち、長女のサホも生まれ、幸せいっぱいだった頃、事件は再び起きた。


 キサカが王城から帰宅すると、憔悴したアシナが出迎えた。

「あなた…ごめんなさい。私のせいでシナツが……!」

 泣きはらした目のアシナに連れられ、子供部屋に行くと、赤い顔でうなされるシナツが寝台の上に寝かされていた。


 話を聞くと、事の発端は、またしてもあの近所の女であった。なぜ彼女は我が家に執着するのだろうとキサカは怒りを感じた。


 5歳になる長男のシナツが1人で家の前で遊んでいると、例の近所の女がやってきて、何の脈絡もなく、

「お母さんが料理をしてくれないなんて、かわいそうに」

とだけ告げて去って行った。知らない女の人に良く分からないことを言われてぽかんとしたシナツであったが、たしかにうちのお母さんは料理しないなと気付いた。

 かわいそう?かわいそうなのか?僕は。


 何となく不愉快で悲しい気持ちになったシナツは、女のことを母に告げ、涙ぐんで

「お母さんの料理が食べたい」

と言った。


 アシナは迷ったが、新婚時代に作った目玉焼きはキサカに異変を生じなかったことを思い出し、目玉焼きなら大丈夫だろうと思い、目玉焼きを作ってシナツに食べさせた。


 新婚の妻に、お前の料理は異常だと言えなかったキサカの優しさが仇となってしまった。


 味のしない目玉焼きを頑張って完食したシナツは、眩暈を起こして椅子から転げ落ち、高熱を出して3日3晩寝込んだ。

 最終的にシナツは回復し、多少変な子になったが、健やかに成長した。アシナは反省し、二度と料理はしないと誓った。


「何でシナツは、3日3晩も寝込んだのでしょう」

 熱から回復したシナツを見舞いに来たヒカワに、キサカは問うた。


「さて、子供の小さい体には毒がキツかったのか……」

「毒………」

「あるいは情報量の差かな。人間は寿命も長いし、物事を考えすぎる。犬や鳥よりも色んなことを覚えているから、思い出すのに負荷がかかるのかもしれん」

「なるほど」


「こうして被害者の会にシナツが加わったわけだが」

「被害者の会………」

「これ以上、会員を増やさんようにせねばならん。どうもアシナ自身に毒が効かないせいか、自分の異能を忘れて定期的に被害者を出しとるようだ。

 あやつは忙しくさせておこう。もう少しサホが大きくなったら、アシナはウチの店で働かせよう。日中は通いの家政婦を雇えば良かろう。引き受けてくれそうな者に心当たりがあるでな。その者の給金は、アシナの給金から引いておくから心配せんでよい」

「お願いします」


 こうして、アシナは実家のイハセ商店で働き、フサさんと言う有能な家政婦がアフミ家に来てくれるようになった。


 前世らしき鳥の記憶を得たキサカだが、彼には1つ副作用が残った。


「チチチチ…(今日は雨が降るわね)」

「ピーッピッ(あら、あんな所に人間が隠れているわ。みんな気を付けて!)」

「ポッポーゥ(彼女―!俺と一緒に巣作りしない?)」


 鳥が何を言っているか分かるようになってしまったのだ。


 そのおかげで、天気予報や賊の待ち伏せを知ることができるようになり、助かることも多かったが………意味が分かるようになると、爽やかな朝の鳥のさえずりが、とにかくうるさく感じるようになったのであった。



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 この世界には、魔力がありますが、それとは別に、『異能力』という力もあります。

 魔力は誰でも持っている力で、大昔から研究されて色々分かっていますが、異能力を持つ者はごく稀にしか現れないため分からないことが多く、不思議な能力はすべて『異能力』に分類されています。


 作中最強の異能力者は、初代王イサガの物語に出てくる『舞王』ですが、作中最凶の異能力者はアシナさんです。


 次章は、第2章『舞王の末裔』となります。

 お時間がございましたら、ぜひお立ち寄りください。

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