第45話 胡鳥の夢(閑話)(前)

「行って参ります」


 そう言って息子が乗り込んだ馬車が早朝の大路を進むのを、キサカたち家族は無言で見送った。やがて馬車が角を曲がって見えなくなっても、誰一人その場から動こうとはしなかった。


 珍しく感傷的になったキサカは、息子―――シナツが産まれた日のことを思い出した。


*****


 シナツが産まれたのは、夏の熱月。元気で良く泣く男児であり、すくすくと成長し、歩き出すのも言葉を話し出すのも早かった。

 シナツはキサカの初めての子だが、浮世離れした父母に代わって年の離れた弟妹の面倒を見ていたのは彼であり、子育ての経験は豊富であった。


 そんなシナツに異変が起きたのは、彼が5歳の春であった。

 高熱を出して3日3晩寝込んだ息子は、目を覚ますと話せなくなっていた。正確には、会話に妙な言葉が混じるようになった。


 妻や義母は慌て、嘆き悲しんだが、キサカと義父のヒカワはこの現象について身をもって知っていたので、まあ何とかなるだろうとそれほど心配していなかった。


 ただ、息子の喋る言葉が滅茶苦茶なうわ言ではなく、体系立った言語であったことから、

(異国の人間か)

と推測した。


「[ステータスオープン]!……ダメか。じゃあ、[ウインドウオープン]![オープンセサミ]!うーん、[ゲーム]の世界ではないようだ」


 などと、妙な振り付けで妙な言葉を呟く息子の姿を見るたびに、妻のアシナは、

「私のせいだ」

と自分を責め、それはある意味正解なので慰めようがなく、キサカは、

「すぐ良くなるよ」

と言った。


 その通りにシナツは言葉を1から覚え直し、7歳の秋祭りの頃には、多少奇矯な言動はあるものの、普通の会話ができるようになっていた。

 そうなると彼は、今度は料理や衣服の開発に乗り出し、アイデアを義父のヒカワに売りつけては小金を稼ぐようになった。


 普通の大人なら、これまでほぼ家に引きこもっていた7歳児のアイデアに金を出すわけがない。しかし「あの現象」について知っている義父は、シナツの頭の中に、文明の発達した異国の大人の記憶があることを確信しており、シナツのアイデアを採用した商品を開発しては、結構な儲けを出していた。


(さすが、やり手の大商人…)


 義父は、シナツを孫と言うより、有望な若手の職人として見ている所があって、子ども扱いせず、過酷な労働環境で働かせることも多かった。

 年末年始に過労で倒れたシナツを見たときは、さすがに強く抗議するべきかと思ったが、怒った娘のサホの報復により反省したようだ。


「異国の者ではないのかもしれんのう…」


 イハセ家で夜、2人で酒を飲んでいたときにヒカワが呟いた。

 シナツの知識は異質すぎる、とヒカワは続けた。今のこの国の文明からも、ヒカワの知る異国の文明からもかけ離れている。地続きではないとも。


「遠い未来か遠い過去か…あるいは遠く離れた星の住人か…」


 我々の住む大地が球形の星の1つであることは、子供でも知っている科学の基礎だ。夜空に輝く星々にも我々のような人間が住んでいるのかもしれない。

 そんなことを考えながら、キサカは自分に「あの現象」が降りかかった日のことを思い出した。


*****


 キサカがアシナとの結婚の許しを得るために、彼女の家を訪れたとき、彼女の父親のヒカワは、1つだけ妙な警告をした。


「アシナに料理をさせてはいけない」


 それを聞いたとき、キサカは単純に、大店の一人娘として大切に育てられてきた彼女は、家事などしたことがないのだろうと思った。

 共働き家庭や単身者の多い王都は、食堂や料理の屋台が多く、外食や中食なかしょくの文化が発達している。それに料理ならばキサカができるので、彼女に料理ができなくても全く問題がないとキサカは答えた。

 それを聞いたヒカワがほっとした顔をしていたのが記憶に残った。


 アシナとの結婚が許され、2人は下区の家で暮らし始めた。

 そんな甘やかな新婚時代のある日、キサカが仕事から帰ると、アシナが暗い顔をしていた。


 話を聞くと、近所の女性にたびたび嫌味を言われるのだそうだ。

 アシナが炊事をせず出来合いの料理を買ってくること、休日はキサカが料理をすることについて、キサカがかわいそうだと、顔を合わせるたびに言われるのだ。


(またあの人か…)


 その近所の女性については心当たりがあった。

 キサカと年が近く、手習所も一緒であったが、ほとんど喋ったこともない女性だ。キサカが近づけば逃げ、話しかければ悲鳴を上げる。

 両親の代から越してきた新参者のため、周囲から距離を置かれるのには慣れているが、彼女からは特に隔意を感じた。


 そんなに嫌いならば関わらなければ良いのに、結婚して他の区に越した後も実家にやってきては、自分ではなくアシナに嫌味を言う。


「すまない。彼女にはなぜか子供の頃から嫌われていてね。君が悪いんじゃない。気にしないで」

 そう慰めるが、アシナの気分は晴れないようだ。


「料理、一緒にしてみないか?」

 キサカがそう言うと、アシナはパッと顔を輝かせたが、すぐにまた暗い顔に戻った。


「でも…私、料理は…」

「簡単なものから始めよう。目玉焼きなんてどうかな。手伝ってほしい」


「目玉焼き…一緒に…それなら大丈夫なはず…」

 アシナは小声でブツブツと呟いた後、キリッとした顔で、

「私、やってみます」

と言った。


 フライパンを竈にかけ、油をひき、器に卵を割りいれる。手馴れたものは直接フライパンに卵を入れてしまうが、丁寧に1つ1つ器に割りいれ、殻や異物が入っていないか確かめてから、熱されたフライパンにそっと入れる。


 アシナの作業を後ろで見ていたキサカは、彼女の手際が良いことに内心驚いていた。キサカは一緒にやると言ったが、手伝う必要はなさそうだ。

 特に、卵を割るのに手間取ったり、力任せに叩き割って駄目にしたりするのではないかと恐れていたが、きれいに割れている。


 そう言えば、アシナは料理以外の家事は完璧であり、実家で厳しく仕込まれたのであろう、掃除も洗濯も丁寧にまめにしてくれ、家は清潔に保たれている。


(なぜ、料理だけができない…?いや、禁じられているのか…?)


 キサカは、言いようのない不安に襲われた。

 アシナを止めるべきか悩んでいるうちに、彼女は目玉焼きを2つ完成させ、それぞれ皿に盛りつけた。


 食卓に着いたキサカは、目の前に置かれた皿を観察した。どこから見ても目玉焼きである。キサカ好みのやや半熟に仕上げた、美味しそうな目玉焼きである。


 なのに、キサカは、強烈な違和感を覚えていた。


「あ、ちょっと待って。毒見するから」

(……毒見?)

 キサカが食べようとするのを止め、アシナが先に一口食べる。

「…うん、大丈夫。普通の目玉焼き。普通に美味しい。あ、どうぞ食べて」

 そう言われて、キサカは目玉焼きを食した。


「!?」


 一口食べ、咀嚼して飲み込んだキサカは、慌ててもう一口食べた。


(何だこれは…不味くはない…だが…美味しくもない…いや、味がしない?)


 さらに言えば、食感もない。白身のぷりぷりした歯ごたえも、黄身のとろりとした感触もない。火から下ろしたばかりの熱々のはずなのに、熱も感じられない。

 口の中には『何か』がある。それだけしか分からない。


 食べる前に少量の塩をかけたのだが、塩の味もしない。そこでキサカは、塩を直接指にとって舐めた。塩の味がする。自分の味覚が変になったわけではなさそうだ。


 キサカはようやく、食べる前に感じた違和感の正体に気付いた。

(………匂いもしない…)


 何だこれは、と思い、キサカは食べかけの目玉焼きを凝視した。目玉焼きの形をした『何か』を。


「……どうかしら」

 手の止まったキサカに、不安げにアシナが問いかけた。

「美味しいよ」

 新婚の夫が妻の手料理を不味いと言ってはいけない。朴念仁のキサカであっても、そのことは理解していた。


 キサカは笑って食事を再開した。謎物質を消費しながら、頭の中は疑問でいっぱいだった。

 なぜアシナは、この物質を美味しそうに食べているのだろう。彼女は味覚オンチなのか?いや、そんなはずはない。むしろ自分よりも味覚や嗅覚が優れているのは、一緒に暮らしていて分かっている。

 それに卵も油も塩も、決して特殊なものは使っていない。料理工程もすべて見ていた。

 どうすればこんな不思議な物体が出来上がるのか…


 そんなことを考えながら、キサカは目玉焼きを完食した。

 考えすぎたのか、頭がボーッとして熱っぽい。キサカはその日はいつもより早く就寝した。


 その夜、キサカは不思議な夢を見た。

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