第44話 王都追放(後)

「…………」

「…………」


 ブルトゥス邸を出た父子は、無言で歩いて家に向かった。


「ま、まあ、何とかなりますよ。何か誤解されていましたが、ご領主様の仰る『騒動を起こすトラブルメイキング力』なんて、僕にはありませんし。息子さんの取り巻きの1人となって、目立たないように太鼓持ちして過ごします」

「……ほどほどにな」


「ところで、父上はご領主様とお知り合いだったのですか?ずいぶん気安い関係のようでしたが」

「年に数回お会いすることがある。我々のことを気にかけてくださってな」


 キサカはここで言葉を切り、ここからは他言無用だと言った。


「私の父の姉、つまり伯母は、さきほどお会いした現ブルトゥス領主の母君だ」

「……つまり、ご領主と父上は従兄弟…!」

「そうなるな」


 領主一族と親戚だったとは。色々な人から、アフミ家は西の名家だと聞いていたが、本気にしていなかったシナツは驚いた。


「…父と母は元々、駆け落ちしたわけではない。事情があって母がブルトゥス領を出て王都に隠れ住むことが決まり、その護衛として、騎士であった父が前領主に命じられて母を守っていたのだ。偽装夫婦であった2人は、その後色々あって本当の夫婦になったが」

「そ、そうだったんですか…」


 そんな姫君と騎士の物語みたいなことが実際にあって、それが自分の祖父母の話だと言うことにシナツは感動した。


「王都の住まいは前領主が手配し、生活費の仕送りも人を介して届ける段取りができていた。王都でも紹介のない新参者が身分を隠してまっとうな職を得るのは難しいからな。

 しかし、その金を届ける役割の物が金を着服するようになった。秘密保持のため、送金をその者一人に任せていたため、着服は長い間発覚しなかった」

「………」


「月日が経ち、前領主の妻、つまり私の父の姉が病を得て倒れ、一目弟に会いたいと言うようになった。

 母を領に入れることはできないが、父一人なら秘密裏に里帰りさせることはできるだろう。そう考えた前領主は、父母の世話を任せた男に、父を里帰りさせろと命じた。その時の様子に不審を抱いた前領主は、他の者に調べさせ、着服のことを知った。

 その頃には父母は貧苦のうちに病死し、私と弟と妹の3人の子供だけが残されていた。前領主は男を処断し、私たち全員を引き取って育てると言ってくださった。その時には私は王城で下級騎士になることがほぼ決まっていたため、私は王都に残り、弟妹のことを頼んだ。

 弟はブルトゥス領で騎士になり、妹はブルトゥス領の名家に嫁ぐことができた」


「………父上の母上は、なぜブルトゥス領を出されたのですか?何か罪を犯したのですか?」

「母自身に罪はなかった。ただ、彼女の生まれが特殊であった。プルケルの乱を知っているか?」

「百年ちょっと前に起きた内乱ですよね。首謀者のプルケル家の本家が全滅し、今のプルケル家は当時の分家が継いでいるとか。その内乱が元で遷都が決まり、今の東の王都になったんですよね」


 この内乱の影響は大きく、今の食用スライムの弱体化と食糧危機、『箱舟』の喪失につながっていることをシナツは思いだした。


「そうだ。母はそのプルケル本家の生き残りの血を引いている。母の生きていた頃はまだ残党狩りが盛んであった。

 事情を知る前ブルトゥス領主に匿われていた母だが追手が迫り、王都に潜伏することになった。王都は母を狙う王家のお膝元であるが、歴史が浅く、他の土地に比べてよそ者が紛れ込みやすいからな。

 くれぐれも、この事は決して他言してはならぬ」


 キサカに言われ、シナツはこくこくと頷いた。

 今日1日で色々な秘密を知って、お腹いっぱいの気分であった。


*****


 キサカは、妻のアシナと義父母のヒカワとキクリ、そして娘のサホには事件の真相を告げた。もちろん犯人の名は伏せたが、シナツが権力者に狙われ、しばらく王都を離れなければならないことを伝えた。


「そんな…この子はまだ子供なのに…1人で知らない土地に行くなんて…」

 アシナはシナツを抱きしめて泣いた。


「騎士にならずに商人になれば、王都で暮らせるのでは?」

 ヒカワの言葉に、キサカは首を振った。今回の襲撃では、無関係のフサやサホにも危害が加えられそうになった。シナツが王都に残れば、イハセ商店にまで累が及ぶ可能性もある。


「………」

 キクリは無言でシナツの頭を撫でた。彼女には、こうする他に手立てがないことが判った。


サホは、

「サホも行きます」

と同行を申し出た。そして、涙を流す母親に、

「サホがお兄を守るから安心して」

と請け負った。


 いや、別の意味で安心できない。それはいけないと大人たちが止めるが、サホは密かにブルトゥス領に行く計画を立てた。


 事件は数日後に起きた。サホの姿が消えたのだ。

 イハセ家や隣の店舗を捜索するが、サホの姿は見えず、よもやと思ったシナツが、ブルトゥス領に持っていく予定の荷物の木箱を開けると、そのうち1つの木箱の中にちんまりとサホが収まっていた。


「見事な隠形でした。腕を上げましたね」

 うんうんと頷きながら、一緒に捜索してくれたフサが弟子を褒める。

 いや、褒めてないで叱れやと思いながら、シナツが

「危ないから荷物に入っちゃ駄目だ」

と強い口調で叱るが、サホは、

「サホも行きます」

と言うだけであった。


 今回はフライングであったが、もし旅立ちの日にうまく荷物に忍び込むことができ、そのまま馬車が出発したら、途中で発見されても引き返すことができず、本当にブルトゥス領に同行することになったであろう。


(恐ろしい子…)

とシナツは思った。


*****


 数日をかけてお世話になった人たちへの挨拶を済ませ、シナツは荷作りを進めた。

 ブルトゥス城に勤めるのは秋からだが、なるべく早くブルトゥス領に入り、生活の基盤を整える必要がある。シナツは、初夏の長雨が始まる前に旅立つ計画を立てた。


「サホも行きます」


 イハセ家の客間で荷物をまとめていたシナツは、久しぶりにサホのコアラハグで両足を固められ、転倒しそうになった。

 シナツは、自分の足にしがみつくサホの金色の頭を撫でた。


「5年もすれば戻ってこられるから。5年なんてあっという間だよ」


 そう言いながら、シナツは、5年は長いなと思った。サホは今6歳だから、ほぼ彼女の人生と同じ長さである。5年すればサホは11歳。5年の間、妹の成長する姿を見られず、一緒に遊んだり勉強を教えたりすることができないのだ。

 まだ幼いサホは兄の顔を思い出せなくなるかもしれないし、さらに幼いもう1人の妹に至っては、兄の存在を人づてに知ることになるだろう。


 アシナは無事晩春の芽月の末に出産し、元気な女の子を産んだ。

 名はミツハ。良く乳を飲み、良く泣き、良く眠る赤子だ。今は寝ているので静かだが、起きているときの鳴き声が凄まじい。サホがあまり泣かない子だったので、余計にそう思う。


 アフミ家の家族は、下区の家の安全が確認されるまで祖父母のイハセ家に住まわせてもらう予定だったが、今回の襲撃で、下区で暮らすことにアシナが不安を訴え、ヒカワも彼女の不安を煽りつつ、このままイハセ家で二世帯同居しようとキサカに迫った。

 激しい攻防の末、キサカが折れ、イハセ家の庭の離れにアフミ家は引っ越すことになった。まだ引っ越しが済んでいないのでシナツたちは客間を借りているが、シナツが出発したら離れを片付けて引っ越すことになるそうだ。


 シナツが王都に帰る日がきても、シナツが向かうのは、思い出深い下区の実家ではなく、この上区の祖父母の家になる。


「サホも行きます」

 サホは、兄の足にしがみついたままそう言った。


 珍しく駄々をこねるサホを慰め、5年なんてあっという間だと言いながら、シナツは次第に怒りが湧いてきた。サホに対してではない。元凶の王族に対してだ。


 フサと言う想定外の戦力がいたため未遂で終わったが、彼女がいなければ、シナツは少年好きの王族の元に連れ去られ、サホは人買いに売られていたであろう。

 その可能性に気付いたシナツは、恐怖と怒りで震えた。


 事件が発覚すると、あの王族はあっさりと罪を認め、側近が罪を被り償う形で幕引きを図った。その潔さがかえって常習性を感じさせ、この王族は他にも少年の誘拐事件を起こしているとシナツは確信した。

 泣き寝入りしている民がいるはずなのに、誰も―――王ですら、彼を咎めることができない。


 加害者がのうのうと暮らし、これからも事件を起こしそうなのに、被害者のシナツが逃げるように王都を去らなければならず、家族を悲しませている。


(許さん)


 これが身分社会の不条理だ。仕方ないことだ。未遂で済んで良かったじゃないか。そう自分を納得させようと努めたが、シナツは湧き上がる怒りを抑えられない。


 シナツは前世でも今世でも争いが苦手で、もめ事があってもなるべく事を荒立てずに収めたがる小市民であった。

 あまり人と喧嘩せず、好きな言葉は「平穏無事」。そのシナツが、ついに人知れず切れた。


(許さんぞ、変態王族。何らかの形で必ず報復してやる。ブルトゥス領で力をつけ、お前を破滅させてやる)


*****


 旅立ちは初夏の萌月の早朝であった。

 東の空は少し白んできたが、まだ空は暗く、星が瞬いていた。

 イハセ家の前に止めた馬車の中に荷を運び込み、シナツは見送りに来た家族に挨拶した。


「それでは行って参ります」

 抱っこ紐の中で眠る赤子を片手で支えた母のアシナは、もう一方の手でシナツを無言で撫でた。

 シナツは赤子―――末の妹のミツハの頬をそっと指で突いた。


「じゃあね、ミツハ。今度会うときはお姉さんになっているだろうね」

 するとミツハは目を覚まし、ぐずり始めた。ギャン泣きの気配に、アシナは慌てて娘をあやした。


「行ってきます。2人ともお体をお大事に」

 そう祖父母に言うと、

「年寄扱いするな。次のブルトゥス領への買い付けにはワシも参加するから待っておれ」

とヒカワが言い、

「シナツも体に気を付けてね。あちらは王都よりも冬が厳しいと聞くから、風邪をひかないように」

とキクリが言う。


「行って参ります」

 サホと手をつないだキサカにも挨拶する。

 サホは先ほども隠形で馬車に忍び込んだのをキサカに発見され、逃げられないように捕獲されているのだ。


「元気で。そのうち一度様子を見にブルトゥス領に行く」

 そう言って、キサカはシナツの頭をポンポンと叩いた。

 捕獲されたサホは、ふてくされてそっぽを向いている。


 シナツはしゃがんで、目線をサホと合わせた。

「サホ。皆を頼む。変態が皆を狙う可能性もあるんだ。家族を守って」


 シナツがそう言うと、サホは大きな目からポロポロと涙を流し、シナツに抱きついた。

「あにちゃ、行かないで」


 幼い頃の呼び方で呼ばれたシナツは、サホを強く抱きしめた。

「必ず帰ってくる。皆を頼む」

 シナツはそう言って、馬車に乗り込んだ。


 イハセ商店の数台の荷馬車は、王都の西の外れにある空き地に行き、そこで他の商会の馬車や護衛の傭兵と待ち合わせ、隊列を組み、王都の西を南北に走る街道を北に向かって出発した。


 シナツは、人間の駆け足ほどにゆっくりと走る馬車の窓から外を見た。

 しばらくは暗くてほとんど何も見えなかったが、太陽が少し顔を出すと東の空が明るくなり、朝焼けの中に靄がかった王都の街並みがぼんやりと浮かんだ。


 シナツは、揺れる馬車の中から、王都の街並みが、木場が、アキ川が、西の森が、王城が、北の王家の森が、近づいては遠ざかるのを眺めた。


 太陽の光が徐々に白さを増し、空の色が紺色から青色に変じる。

 やがて太陽が完全に昇り、朝が来た。




第1章『王都の兄妹』完



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 これにて第1章完了となります。

 ここまでお付き合いくださりありがとうございます。


 転生者視点で、この世界の歴史や文化を紹介する章になってしまいました。鯨をめぐる冒険は、次章から始まります…多分。

 もう1話、父視点の閑話を挟んでから第2章に入ります。

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