第43話 王都追放(中)

*****


「お前は王都から出されることになった」


 2人組に家に押し入られ、拉致されかけた事件から10日ほど経ったある夜、祖父母の家で大人しく過ごしていたシナツに、父のキサカはそう告げた。


「へ?王都から?」


 生まれも育ちも王都のシナツは、多くの王都民がそうであるように、このまま王都で生きて、王都で死ぬのだと思っていた。


「今回の事件で、お前を狙った者が判明した」


 アフミ家に押し入った2人組の会話から、何者かがシナツの身柄を傷つけずに確保したがっていることが分かっていた。


 シナツが真っ先に黒幕として想像したのは、学問所のプルケル派閥の研究者たちであった。一昨年の学会発表で、ケヌに恥をかかせようとした彼らを返り討ちにしたのは、シナツであった。スハウ教授が事を荒立てずに収めたが、あちらはシナツを敵認定しているはずである。


 他に候補としては、シナツがここ数年、金策のために売った料理のレシピやファスナーなどの衣類の発明。これらを自分のものにしたい者。シナツに新しく発明させて稼ぎたい者。


(あれ?俺、色んな人から狙われる可能性がある?)


 自分としては、Web小説の転生モノの主人公に比べて、チート魔法もなければ現代知識無双もできない地味な転生生活をしているつもりだったが、1つ1つは地味でも、色々積み重なって、自分がそれなりに目立つ存在になりつつあることにシナツは気付いた。


(俺、何かやっちゃってましたか……?)


 自分の過去の所業を思い出しているシナツに、キサカは告げる。

「その者の名を教えることはできない」

「え?何で?」

「事件はなかったことになる。お前も忘れろ。ウチに押し入った2人組には、しかるべき処分がなされた。もう現れることはないから安心するように。あとはお前が王都を出れば全てが収まる」


 なかったことって、どういうことですか?処分って殺処分ですか?と、訊きたいことは色々あったが、シナツは、

「何で俺が王都から出されるんですか?」

と、今一番知りたいことを訊いた。


「………知りたいか?」

「知りたいです」

「知ってもどうにもならんぞ」

「それでも知りたいです」


 シナツが強く言うと、キサカはため息を吐いて、事情を話し始めた。


「今回、お前の身柄を欲したのは、王宮に住まう、とあるやんごとなきお方だ」

「お…王族ですか?」

 キサカは無言で頷いた。

「お…王様ですか?」

 キサカは、これには首を振って否定した。


「王ではない。しかし王もなかなか意見することのできない、身分の高いお方だ」


 予想外の犯人が出てきて、シナツは混乱した。

 今生のこれまでの人生で、王族と関わったことは一度もない。シナツがこれまで接してきた人の中で一番身分が高いのは、高位貴族ドルヌス家の分家の娘のクローディアである。王族など、同じ王都に住んでいても、下級騎士の子であるシナツが一生知りあうことのない雲の上の人々である。

 ちなみに父のキサカは近衛だが、王の近くに侍るのは身分の高い騎士であり、キサカは王の見えない位置の警護が多い。


「そんな、やんごとなきお方と知り合う機会なんてないんですが…」

「そのお方がお前を見初めたのは、お忍びで見物に出た去年の米祭りでのこと。屋台で団子を売るお前を一目見て恋に落ちたそうだ。

 今年の米祭りで会えるかと思ったら、お前は出場しなかった。それを知って落ち込む主を見た側近の1人が、お慰めしたく思い、下区のごろつきを雇ってお前を主の元に連れてこようとしたそうだ。

 その側近は罪を認め、すでに側近の任を辞して領地で謹慎している」


「ちょ、ちょちょ、ちょっと待ってください。え?米祭り?見初められた?情報量が多くて話が頭に入ってこない…」

 シナツは頭を抱えた。予想外の方向から殴られた気分だ。


 去年の第1回米祭りでお団子を売って5位に入賞して満足したシナツは、今年の早春の第2回米祭りにはエントリーしなかった。

 本音を言えば、準備が大変な割にはもうけが少なく、店を持つ者ならば店の宣伝になるのでうま味があるが、料理人でもない素人のシナツが出場するメリットはほとんどないことが分かったからである。

 今年の米祭りは、友人たちと屋台を廻って色々な米料理を楽しもうと思っていたのだが、暇なら手伝ってくれとクローディアに請われ、米祭りの裏方をやっていたのだ。


「そのお方のお名前は聞きません。ですが1つだけ教えてください。そのお方は……姫君ですか?」

 一縷の望みをかけて、シナツは父に訊ねた。

「いや、成人男性だ」


(ですよねー。知ってた)

 シナツは心の中で血の涙を流した。お忍びの姫君に見初められるなんて素敵なイベントが自分に起こるわけがないのだ。


「…そのお方の『趣味』のことは、一部で有名だ。そのお方の宮は女人禁制であり、美少年と元美少年の従僕や侍従からなる男の園と呼ばれている」


 お前はそこに加わることを望むか?とキサカに問われ、シナツは、

「いいえ!望みません望みません」

と言って、ぶんぶんと首を横に振った。


「ならばしばらく王都から離れるべきだ。このままでは、お前は今秋に小姓として王城に上がることになる。そのお方や側近と顔を合わせることもあろう。あちらも気まずいだろうし…また良からぬ気を起こしてお前を欲するかもしれん。そうなったとき、小姓の身分のお前が拒むことは難しい。しばらく他領で修行するのが良いと思う」


「しばらくって、どのくらいですか?」

 シナツが問うと、キサカは少し考え、

「5年ほど経てば、王都に戻れるであろう」

と言った。妙に具体的な数字が出たな、とシナツは思った。


「5年も経てば、俺のことなど忘れてくれますね」

「……いや…そのお方は、少年にしか興味がない。成人すれば、『そういう』対象から外れるんだ…」

「そ、そうですか………」


 シナツは、こういう相手の年齢に上限があるタイプの性癖を持つ人は、お相手の年齢が上限を越えたらあっさりお別れできるのだろうか、と現実逃避気味に考えた。自分は良くても相手に恨まれるだろうな。いつか刺されるだろうな。


「お前が行く領はブルトゥス領が候補に挙がっている。ブルトゥス領には、王宮と交渉して今回の事件を収めるのに手を貸していただいた」

「ブルトゥス領…父上のご両親の出身地ですよね」

「そうだ。私の弟と妹、つまりお前の叔父や叔母も暮らしている、縁の深い土地だ。明日、ブルトゥス領の王都邸に行き、責任者にご挨拶する。失礼のないように。あと、正装するように」


「明日―!?」


 もっと早く言ってよ、とシナツは思いながら、7歳の秋祭りに着た晴着を、家から持ってきた荷物の中から探した。


 結局、7歳のときに着た晴着は、9歳の今、サイズが合わず、シナツは、イハセ商店の子供用の既製服を自腹で買った。この服もすぐに着られなくなるのだろうと思うともったいないが。そろそろ産まれてくるアシナの子供が男の子なら着てもらえるだろうかと考えながら、シナツは翌日の面会の準備をした。


 翌日、シナツは正装して、キサカと共に高位貴族の王都邸が集まる区画に向かった。仕事ではないので、キサカは騎士の制服ではない一張羅を着ている。こうして良い服を着ていると、父は下級騎士ではなく貴族にしか見えない。


 上区の中でも王城に近いこの区画は高い壁で囲まれ、中に入るのに門で検問を受ける必要がある。門で衛兵に身分証を示し、目的を告げ、2人は中に入った。


 シナツは初めてこの区画に入るが、予想通り美しい街並みの高級住宅地であった。小さい木造建築がひしめく下区と比べて、煉瓦造りの大きなお屋敷が多い。清潔でゴミ1つ落ちていない、通行人の少ない閑静な住宅街を歩きながら、シナツは、前世の異国を模したテーマパークを思い出した。美しくて生活感に乏しいところが似ている。


 ブルトゥス邸は、この住宅街でも北側の、王城の見える一等地の、広大な敷地に建つ立派な門構えのお屋敷であった。非公式の訪問者であるキサカとシナツは、正門ではなく使用人の使う通用門から中に入れてもらい、使用人の案内で応接室に通された。


 父と並んで椅子に腰かけて、面会の相手を待つ。侍女らしき女性が入ってきて、机の上にお茶とお茶請けを出す。緊張で食欲はないが、主人ホストが現れたら礼儀として一口食べるべきだろうと思い、お茶請けの皿を見れば、お団子であった。


 串に刺さっていない丸い団子が3つ小皿の上に載り、それぞれ異なる色のソースがかけられ、砕いたナッツのようなトッピングが振りかけられている。お洒落で洗練された、インスタ映えしそうな一品にアレンジされているが、たしかにシナツが去年の米祭りで出した団子である。

 シナツが世に出してから1年ちょっとで、お団子もこのような高位貴族の家でお茶請けに出されるほど出世したんだなと、シナツは感慨深く思った。


 やがて応接室の扉が侍従によって開かれ、男が1人入ってきた。キサカは席を立ち、立礼する。少し遅れてシナツも父に倣う。


「よく来てくれた。座ってくれ」


 男がそう言い、父子は再び席に着いた。男も2人の正面に座る。顔を上げて男の顔を見たシナツは、

「あ」

と声を上げ、キサカに静かにしていろと机の下で軽く足を蹴られた。


 男は、金髪緑眼の美中年イケおじ。昨年の米祭りで団子を大人買いした男であった。男はシナツに笑いかける。


「やあ、昨年の米祭りでは挨拶ができなかったね。私はブルトゥス・スプリウス。ブルトゥス領の領主だよ」


 今日の面会相手は、シナツを受け入れるブルトゥス領の責任者と聞いていた。領の文官や騎士団の事務方の責任者が、前世の入社試験のように面接をしてくれるものと思っていたシナツは、領のトップが出てきたことに驚いた。

 そして、昨年会ったお忍び美中年がブルトゥス領主であることにも驚いた。てっきり彼こそが、今回の誘拐未遂事件の黒幕の少年愛好家の王族だと疑っていたのだが…


「昨年の米祭りとはどういうことでしょうか」

 不機嫌をあらわにしたキサカが、領主に問いかける。

 領主と言う権力者に対し、あまりにも不躾な態度の父にシナツは慌てたが、領主は気にすることなく笑った。


「怒んないでよ。お前の息子が王都で変わった催し物に出ると聞いて、丁度その頃王都に用事があったから、どんな子か気になって、屋台で買い物しただけだよ。

 あ、お団子美味しかったよ。あの後、学問所からレシピ集が出たので買って、料理長に作ってもらったんだ。食べてみてよ」


 シナツの想像する領主とか偉い人というのは、言質を取られないようにあまり喋らず、重々しく頷くイメージがあったのだが、この目の前の領主は、とてもおしゃべりで……軽い。

 シナツは、彼に勧められて、添えられた楊子で団子を1つ食べた。


「あ、美味しいです。甘い魚醤ダレに山椒を合わせたんですね」

 茶色い団子は、みたらしのような甘じょっぱいソースに、粗く挽いた山椒の粉が振りかけられ、良いアクセントになっている。

「料理長には、開発者の君が美味しいと言っていたと伝えよう。きっと喜ぶよ」

 そう言って、領主も団子を口にする。しばらくシナツたちは団子を食べ、お茶を飲んで過ごした。やがて、領主が本題に入った。


「さて、君には、この秋から我が領の城に上がって、騎士になるための修行をしてもらうことになる」

「はい」

「身元保証人として、君の叔父でキサカの弟のウガヤの家に世話になると良い。彼は我が領の騎士として信用がある。

 君の仕事は、小姓として城の雑用をしながら、騎士になるための勉強をすること。それとは別に、私からも仕事を頼みたい」


 権力者から直々に頼まれるなんて、断ることのできない厄介な仕事に決まっている。シナツは緊張して、スプリウスの言葉を待った。


「そんなに警戒しないでよ。難しい仕事じゃないから。私の息子の友達になってほしいんだ」


(それむちゃくちゃ難しい仕事―――!)


 シナツは心の中で絶叫した。大人に命じられて友達になって、うまくいくとは限らない。相性もあるし、仕事で友達になった相手に心を開くのは難しいだろう。高位貴族の子というのは、親に言われて友達になる、いわゆる『ご学友』がいるのが普通なのかもしれないが。


「無理です。この子は貴人に仕える作法を学んでおりません。失礼があるやもしれません。いえ、むしろ失礼しかしないでしょう」


 キサカが、シナツの代わりに断ってくれた。びどい言われようだが、父上頑張って、とシナツは内心応援した。


「それでいいんだよ。むしろ失礼をしてほしい。ありのままの君をあの子に見せてやってほしい」

 スプリウスは、諦めるどころか、前のめりになってシナツに依頼した。

「あ…ありのまま?」


「詳しくは言えないが、今のあの子を取り巻く環境は、決して良いものではないんだ。君に関する報告書は読ませてもらった」


 そこでスプリウスは言葉を切った。彼は目を細め、シナツの顔、正確には彼の眉間のあたりを凝視しながら言葉を続けた。


「君には『扇動者アジテーター』…いや、方向性はないな、『撹拌者アジテーター』としての才能がある。ほとんど異能といっても良いかもしれない。停滞し淀んだ空気に風を吹き込み、かき回して物事を動かす力が。

 動く方向が良い方向か悪い方向かは予測できないから、『騒動を起こすトラブルメイキング力』と言っても良い。

 君の力で、あの子の状況を変えてやってほしい。さもないと―――」


―――私は、あの子を廃嫡しなければならない。


 その言葉は、応接室に大きく響いた。応接室の扉の前には護衛の騎士が、シナツたちが囲む机の近くの壁際には従僕や侍女が控えており、主人の言葉が聞こえたはずだが、誰も反応せず、表情も動かさない。


(やべー問題児じゃないか、その子。絶対にお断りしたい…)


 領の後継問題に、無関係の自分を巻き込まないでほしいと思うシナツの手を取り、目を合わせ、スプリウスは、

「頼む。あの子を助けたいんだ。もし君に無礼があっても、それを理由に罪に問うことはないと約束するよ」

と言った。


 シナツは父に目で(タスケテ…タス…ケテ…)と助けを求めるが、キサカは首を振って、

「お受けしなさい」

と言った。


「―――善処します」

とシナツは言った。断ることのできない依頼には、無難に返答するしかない。なるようになるだろうと、シナツは未来の自分に任せることにした。問題の先送りとも言う。

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