第40話 春雷(前)
(注意!暴力描写があります)
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春分の日を越えると、風も水も温み、春の訪れを実感する。
秋分の日の秋祭りが、入学式や7歳のお祝いを兼ねて盛大に祝われるのに対し、春分の日の春祭りは地味であり、特に大きな
その春祭りが終わって春が本格的に始まると、サホは6歳になった。今年の夏にはシナツも10歳になり、いよいよ秋からは手習所を卒業して、騎士になる修行のために王城に上がり、小姓として勤めることになる。
前世で言えばまだ小学生のシナツだが、今生では子供でいられるのは今年の秋までであり、秋からは準成人として城に出入りすることになる。
7歳の頃から料理のレシピや衣類のアイデアを売って、修行に必要な預り金は貯まった。キサカは受け取らないだろうから、アシナに預けて生活費の足しにしてもらおうと思っている。これから子供が増えて、何かと要りようだろうから。
アシナのお腹は順調に大きくなり、実家のイハセ家に戻って出産に備えている。キサカとシナツとサホは、アフミ家で暮らし、時々イハセ家を訪問して母の様子を見に行っている。
*****
その日は、霞がかった空の、穏やかな春の一日であった。
シナツは、朝は手習所に行き、昼過ぎには帰宅して、フサと一緒に台所仕事を始めた。サホは、朝はフサと護身術の修行をして疲れたようで、昼食を取ると寝室で昼寝している。サホはかなり疲弊しており、シナツは、本当に護身術の修行なのだろうかと心配になった。
「本日は、
フサがそう言って、本日の夕食のメニューが決まった。王都近郊にはいくつも
数年前の米祭りから王都に米が流通するようになり、
フサとシナツが、鍋から出した筍を水に取って灰を洗い流し、皮をむいていると、玄関の扉がトントンと叩かれた。
「珍しいですね。こんな時間にお客なんて」
フサは布巾で手を拭いて、玄関に向かった。
扉が開く音がして、フサが応対する。
「……あなたたち……何を―――」
フサの声が途切れ、ガタガタと物音がした。トラブル発生のようだ。強引な押し売りだろうか。
シナツは剥きかけの筍を、水を張った鍋に戻し、玄関に向かった。
玄関にはマントのフードを深くかぶった男が2人いた。彼らの足元にはフサが横たわり、男の1人が彼女を後ろ手に縛り、猿ぐつわを咬ませようとしていた。
「フサさん!?」
シナツが駆け寄ろうとすると、男の1人が、うつ伏せに倒れたフサの背中に片膝をつき、彼女の後頭部に短剣を突き付け、
「動くな!声も出すな。質問にだけ答えろ」
と言った。
シナツはその場に立ち尽くした。フサはピクリとも動かない。大丈夫、気を失っているだけだ、とシナツは自分に言い聞かせた。
「お前が、アフミ・シナツか」
男にそう問われたシナツは、押し黙った。何とか時間を稼いでこの場を切り抜けなくては。
「こいつがどうなってもいいのか?答えろ」
男がフサの髪を掴んで、顔を持ち上げ、彼女の首に短剣の刃を当てた。猿ぐつわをされたフサは
「う……」
と呻いたが、目を閉じたままであった。気を失っているだけのようだ。
「俺がアフミ・シナツだ」
シナツが答えると、男は
「手を頭の後ろで組んで、膝をつけ」
と命じた。シナツが従うと、もう1人の男がシナツの背後に回り、足で蹴ってシナツをうつ伏せに倒し、後ろ手に縛って猿ぐつわを咬ませた。
「とっとと運ぶぞ」
フサに短剣を突き付けていた男が短剣をしまい、代わりに大きな袋を出して広げた。どうやらあの袋にシナツを入れて運ぶようだ。
今すぐシナツをどうこうする気はないようだ。今は大人しくして、脱出の機会を窺おうとシナツは決めた。
―――しかし。
「お兄?フサさん?」
寝室の扉を開け、サホがやって来た。物音で昼寝から目を覚ましたばかりなのか、寝ぼけた、ぼんやりした顔で目を擦っている。
「ムー!ムアー!(サホ、来るな)」
猿ぐつわをされたシナツが、身を起こそうとしながら必死でサホに呼びかける。
「うるせー!黙れ!」
男の1人がシナツの後頭部を殴りつけ、シナツは再びうつ伏せに倒れた。
「お兄!?」
「おい、傷をつけるなと言われていただろうが」
もう1人の男が、シナツを殴った男に注意する。
「このくらいじゃ、傷はつかねーよ。お嬢ちゃん、怖くないからこっちおいで」
男は猫なで声でサホに呼びかけた。
「おい、よせよ。いくらなんでも幼すぎるだろう。幼女趣味だったのかお前」
「ちげーよ!この仕事終わったら、しばらく王都を離れなきゃならねーだろ。途中で売り払って、路銀の足しにしようぜ」
「……好きにしろ」
サホを人買いに売る算段をしている2人の声を聞きながら、シナツは怒りで頭が沸騰しそうになっていた。人の家にずかずか上り込み、何を勝手な相談をしているのだ、こいつらは。
シナツは、縛られている両手首に魔力を集め、皮膚と筋肉を強化して縄を引きちぎろうとした。
(あれ?)
魔力が集まらない。いや、集まっているのだが、貯まらない。集まる先から、縄に魔力が吸われていく。何だ、この縄は。普通の縄ではない。
「さ、お嬢ちゃん、途中までお兄ちゃんと一緒だから、さみしくないよー」
男が足音を立ててサホに近づく。シナツは慌てて首だけ上げてそちらを見た。
全くサホの声がしないため、怯えて泣いているのかと思っていたが、サホは静かに自分に近づく男を見ていた。そして一度頷くと―――消えた。
いや、消えたわけではない。サホは変わらずそこにいた。しかし、誰一人として彼女の動きに反応できなくなったのだ。
サホは身を翻し、寝室の扉を開け、中に入って、扉を閉めた。
それら一連の動作はゆっくりと落ち着いてなされた。
なのに、それを見ていたシナツは―――おそらく2人の侵入者も、サホが突然消えたように感じた。そしてその間、シナツたちは動くことができなかった。時が停止したような、不思議な感覚であった。
寝室の扉が閉まると、サホを捕まえようとしていた男は、ハッとし、夢から覚めたように目を瞬いた。
「おいおい、何ボーッと突っ立ってんだよ。逃げられちゃったじゃんか」
仲間の男に笑われ、男はカッとなった。
寝室の扉を開けようとするが、内側から鍵がかけられたようで開かない。男は腹立ちまぎれにドンドンと扉を叩いた。
「メスガキ、ここを開けろ!お前の兄貴をひどい目にあわせてやるぞ!」
「おい、物音を立てるな。近所に聞こえるだろうが。妹の方は諦めろ。予定通り、こいつを運べば依頼完了だ」
「嫌だね。あのメスガキをド変態に売ってやらなきゃ気が済まねえ。オラ!出てこいや!」
サホに逃げられた男は、足でガンガンと扉を蹴りつけた。寝室の扉は開かず、サホはそこに立て籠もるようだ。シナツは安堵した。
「う……」
呻くような声は、男の喚き声と扉を蹴る音に紛れ、シナツにしか聞こえなかっただろう。
その声と、ピリッとした静電気のような刺激を肌に感じたシナツは、首をひねって声のした方を見た。
もう1人の侵入者の男が、ゆっくりと前に倒れようとしていた。とっさに手や足を前に出す防御反応もなく、棒のように前に傾いでいた。
その男が倒れるのを、彼の襟首を掴んで止め、音がしないようそっと横たえる者がいた。猿ぐつわをしたままの、通いの家政婦のフサだ。
フサを拘束していた縄は床に落ちている。フサは、両手を頭の後ろにやって自分にかけられた猿ぐつわの結び目を解き、口を拭い、床に落ちた縄を拾って、寝室の前で暴れる男にゆっくりと近づいた。
そして、喚きながら扉を蹴る男の首に背後から縄をかけ、男と背中合わせになり、上体を前に倒しながら縄を引いた。小柄なフサは腰を突き出して男を扉に押し付けた。
「ん―――」
首を絞められた男は、数秒ほど手足をバタバタと動かして暴れたが、すぐに動かなくなった。フサは縄を外し、男の首に手を当てて脈を確認し、手早く男を縛り、猿ぐつわをかませた。
一連の作業は男たちよりもはるかに手際よく、手馴れていた。
「お兄」
声がした方を見ると、サホが裏庭に通じる扉を開けて入ってきている所だった。寝室の窓から庭に脱出して戻ってきたのだ。
サホはシナツに駆け寄ると、手を縛る縄を解こうとした。幼女の柔らかい手には縄の結び目は固く、苦戦しているとフサがやってきてササッと縄を解き、サホに向き直って言った。
「サホさん。私は、脱出して助けを呼びに行くように
「ごめんなさい…しんぱいで…」
しょんぼりと項垂れるサホに、フサは笑いかけた。
「でも、あの
師に褒められて、サホはニコニコと笑った。
「それでは、これから人の縛り方の訓練です。今から私がやってみせるので、良く見ておいてください」
「はいっ」
サホが元気に返事する。フサは、最初に倒した男を縄で縛って見せ、その後に解いて、シナツに同じように縛るよう命じた。
「そうそう。もっときつく縛っても大丈夫ですよ。ただ、長時間の拘束は命にかかわる場合もあるので、相手を生かしておきたい場合は、こまめに様子を見ましょうね」
フサが、いつも台所で料理の指導をしているときの、「こまめに鍋の様子を見ましょうね」と同じ平和な口調で、物騒なことを言っている。俺は今、なぜ自宅で、妹に見守られながら人間の縛り方を教わっているのだろうかと思いながら、シナツは侵入者を緊縛した。
「あ、ところで、この縄って何か変ですよね。魔力が吸われると言うか…」
「はい。魔力を良く吸う繊維状の鉱物を織り込んだ縄です。この縄は、魔力を吸うので、魔力による強化で引きちぎるのは難しいです。今度、縄抜けの方法を教えますね」
途中、男が目を覚ましかけたが、フサが男の首筋に指を当てると、指からバチッと火花が散り、男は再び気を失った。
先ほど感じた静電気はこれか、とシナツは思った。魔力を電気、いや、雷に変換しているのか。そうやって雷を操って戦う女傭兵の話を聞いたことがある。確か―――
「雷光」
ぼそっとシナツが呟くと、フサは一瞬真顔になり、そして笑った。
いつもの優しい料理の師匠の顔であった。
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