第37話 火垂るの墓

 風薫る初夏萌月の馬場。シナツは父の天馬アサマから下りると、ふらふらと馬場の柵まで歩き、頭から革製の兜を外し、柵にもたれて天を仰いだ。

 頬を撫でる風が心地よく、先ほどまで苦しめられていた吐き気が治まった。


「大丈夫ですか?」


 他の馬を治療した帰りに、馬場で訓練をしているシナツを見かけ、彼の乗馬をしばらく見物していた馬医者のケヌが話しかける。


「…はい…何とか」


 今日はアサマの飛行訓練をしたのであった。天馬の飛行とは、助走をつけて高く跳び、地上に下りる前に蹄から空気の塊のようなものを噴射して宙を蹴って跳ぶことを繰り返す。

 つまり激しく上下に揺れるのである。慣れないものが天馬を飛ばすと、振動で振り落とされたり、目を回して鞍から落ちたりすることが多い。


「騎士の人たちは凄いですよね。あんなに激しく揺れる天馬に乗って剣や弓を使うなんて」

「そんな曲芸、自分にできる日が来るとは思えません…」


 シナツに代わってアサマに乗り、難なく飛行している父キサカの姿を見ながら、シナツが言った。

 だが騎士になるためには、天馬を乗りこなせなければならない。そろそろ本腰を入れて騎士の修行をしなくては。シナツは焦りを感じ出した。


 料理のレシピを売って小金を稼いだり、祖父に馬車馬のように働かされたり、馬医者の研究を手伝って学会発表したり、米祭りに参加している場合ではない。

 元々騎士になったときの副業のためにレシピ販売をしていたのに、そもそも本業の騎士になれなくては本末転倒である。


「ところで、天馬が蹄から出しているのって、風ですか?」

「うん。体内の魔力を気体に変換して打ち出しているらしいね」

「やっぱり魔力!風魔法じゃないですか!」


 風魔法はあったんだー!とシナツは叫んだ。


「人間も風を作れますか?」

 シナツにそう問われ、ケヌは少し考え、手をパタパタと動かして扇いで風を出した。


「そうじゃなくて!天馬みたいに魔力を使って風を出したり、光の球を出したり、雷を落としたり、そういう派手な魔力の使い方をしてみたいんです!」

「うーん、魔力については分かっていないことが多いからなあ…人間と天馬じゃ体の作りが違うし…あ、でも雷の魔法なら実際に使っていた人はいるよ」

「本当ですか?」

「少し前に活躍した女傭兵の『雷光』。彼女は指先から雷を出して戦ったらしいよ」


「すごい!」

 すごくファンタジーっぽい、とシナツは興奮した。


 何年か前の新年の祭りで、吟遊詩人のカガミが女傭兵について教えてくれたことをシナツは思いだした。2つ名持ちの女傭兵として名が挙げられたのは、『馬殺し』と『雷光』。『雷光』はその名の通り、雷の魔法を使うようだ。


「渡来系の人たちの持つ古い文献によると、人間や動物の体には、常に弱い雷が発生しているらしい。『雷光』は魔力を使って指先に雷を集め、それを打ち出したらしいね」

「やってみたい!」

「うーん。傭兵の一族の秘伝らしいね」


「独学は無理か…じゃあ、光魔法の使い手の一族なんて知りませんか?」

「聞いたことないねえ。別に自分の体で魔力を直接光にしなくても、灯りの魔道具という便利な道具があるのだから、それを使えば良いじゃないですか」

浪漫ロマンですよ浪漫ロマン!道具に頼らず自分で光ることができたら格好良いじゃないですか」


 夜中に便所に行くときとか便利そうだなとケヌは思ったが、それを言ったらシナツが「そういうのじゃない!」と激高しそうなので黙っていた。


「蛍も魔力を使って光っているけど、蛍は体内に光る物質を持っていて、それを魔力で光らせ、しかもその光を反射したり透過したりする特殊な発光器がお尻にあるからね。それがない人間には難しいでしょう」

「…蛍の死骸を集めて、そこに魔力を送ったら、光りますかね」

「…その光る物質が腐ってなければ、理論上は可能ですが…」


 また変なことを思いついたな、とケヌは思った。


「ケヌ先生は灯りの魔道具を使えば良いと仰ったけど、魔道具は高価でウチのような貧乏には手が出せないのですよ。蛍の死骸を詰めた籠に魔力を送ることで灯りにできれば、大助かりです」


 前世のデパートの終業時や卒業式によく流れた「蛍の光」。あれは確か、蛍の光や窓の雪明りで夜も勉強したよという歌詞だった。実際に蛍の光で勉強したら目が悪くなること請け合いだが、暗い常夜灯としては使えるのではないだろうか。


 しかし蛍の成虫の寿命は1週間前後。蛍を捕まえて籠に入れてもすぐに光らなくなってしまう。蛍の死骸に魔力を注入して光らせることができれば、灯りの魔道具がない家庭にとってはありがたいことではなかろうか。


「ううむ、確かに。蛍の死骸が腐らないようにできれば、長期間は無理でも、夏の間は使える灯りになるかも…」

「幸い今は蛍の季節です。実験しましょう!」


 先ほど、騎士の修行に本腰を入れようと決意したことも忘れ、シナツは言った。


*****


 数日後、ケヌの休みの日の昼下がり、シナツとケヌは、下区の商店街に来ていた。


「近所の下級騎士のおじさんが内職の達人で、初夏のこの時期は、蛍の幼虫を育てて虫屋に売っているんです。その方に、評判の良い虫屋を教えてもらいました」

「虫屋ですか。秋に鈴虫を売っているのを見たことがありますが、今の季節は蛍を売っているんですね」


 王都には、夏は蛍、秋は鈴虫を自分で捕まえたり虫屋から買って、家の窓辺や軒先に吊るし、季節の移ろいを楽しむ人が多い。


「その方は、鈴虫の養殖もしていました。かなり内職に力を入れていて、庭だけじゃなくて家の中にも大きな水槽や植木鉢が置いてあるんですよ。朝顔の栽培もやっていて、そろそろ種子を植える季節だと言ってましたね」


 その方、養殖や栽培の収入の方が騎士の給料よりも高いんだそうです、とシナツは笑って言った。ケヌは、その人はもう騎士を辞めて農家を本業にした方が良いのではと思った。


 シナツとケヌは、虫屋に入った。店内は薄暗く、棚がぎっしりと並び、いくつも虫籠が置かれていた。


「いらっしゃい。何をお探しですか?」

 店員が出てきて、ケヌに話しかけた。

「蛍を探しているんだけど」


 ケヌが答えると、店員は店の一画の棚に2人を案内した。その棚には黒い布の覆いがかけられており、その布をめくると、棚には蛍の入れられた籠が並んでいた。蛍は、黄緑色の光を点滅させていた。


「こちらは昨日羽化したばかりで長く楽しめますよ」


 店員がケヌに話しかけている隙に、シナツはこっそり籠の隙間に指を入れ、蛍に触れて魔力を流した。蛍は嫌がって逃げて行った。やはり生きているものは抵抗が強くてうまく魔力を入れられない。死骸にしようとシナツは思った。


「新鮮な蛍の死骸を全部ください」

「し、死骸!?」

 シナツの言葉に店員が目を剥いた。


*****


 大量の蛍を飼育していると言うことは、大量の死骸が出ると言うことである。死骸は只で貰うつもりのシナツだったが、店員は1匹ケノ銅貨1枚をふっかけてきた。交渉の末、只で貰う代わりに、蛍を入れる手のひらサイズの球形の竹籠を1つ買った。


 只で貰った死骸は袋に入れて、シナツたちは、馬場の片隅にあるケヌの研究所に行った。


「さあ、実験を始めましょう」


 蛍の死骸は、①そのまま、②アルコールベースの固定液に漬ける、③解剖してお尻の発光器だけにする、④発光器をすり潰す、の4通りを準備した。


「先ずは、そのままの死骸に魔力を入れてみましょう」

 シナツは、今朝死んだばかりの蛍の死骸を手に取り、魔力を入れた。蛍はポウ、とお尻が蛍光色に光った。

「おお、光った。でも灯りにするには弱い光ですね。もっと魔力を入れてみましょう」


 シナツは、流入させる魔力の量を増やした。

 蛍は光を徐々に強め、やがて一際強く光ると、ボフ、と音を立てて崩れた。


「………」

「魔力の飽和ですね。器がたなかったのでしょう」


 シナツは青ざめ、窓から手を出して、死骸の破片を払った。

 キサカが強い口調で他人に魔力を注入するなと注意した理由が分かった。これは危険だ。


「次に、解剖して発光器だけにしたもの」


 発光器も光ったが、すぐに光らなくなり、体全体のときよりも早く光が消えた。

 発光器のすり潰しは、部屋を暗くすれば一瞬弱い光が見えた気もするが、ほとんど光らなかった。

 一番駄目だったのが、固定液に漬けた死骸であり、いくら魔力を込めても光らず、魔力が消費されている手ごたえもなかった。


「現時点での予想としては、解剖やすり潰しによって、光る物質の劣化が早まっているのではないかと思われます。また、生き物を腐敗させず標本作りに使われる固定液ですが、むしろ光る物質にとって良くない作用があり、とどめを刺しているのではないかと推測されます。

 とりあえずの結論。灯りとして使うなら、丸ごとの新鮮な死骸が良い」


 ケヌが実験を総括した。シナツは頷いて、

「そうですね。でも1匹だけだと光が弱いので、10匹以上まとめた方が良いですね」

と言った。


 そこでシナツは、残った蛍の死骸を全て、店で買った球形の竹籠に詰め、竹籠を掌に載せて魔力を込めた。竹は魔力を良く通す素材なので、魔力は蛍に届き、お尻を光らせた。


「なかなか明るいですね。読書は難しいけど、弱めの照明ぐらいには使えそうですね」

 そうシナツが言うと、ケヌも同意した。

「……そうですね」


「これ、灯りの魔道具の代わりに売れると思いますか?」

「……無理だと思います…見た目ビジュアルが最悪です」

「ですよねー」


 竹籠の中に、蛍の死骸がみっちりと詰まっている。これは虫嫌いの女性にウケが悪そうだ。いや、こんなインテリアは、さすがに虫好きだって男性だって嫌だろう。


「これ、いります?」

 ケヌに竹籠入りの蛍の詰め合わせを差し出すが、ケヌはいりませんと断った。仕方ないので、シナツは家に持ち帰ることにした。


 時刻は夕方。そろそろ夏至が近く、日が長くなってきたのでまだまだ明るいが、シナツは手に持った蛍籠に時々魔力を入れて光らせながら家路についた。魔力訓練にはなりそうだ。


「あ、あにちゃだ」


 自宅が見えてきた辺りで、サホの声がした。そちらを見ると、妹のサホと母のアシナが歩いていた。今日は実家の店が休みなのでアシナは家にいて、先ほどまでサホを連れて市場で買い物をしていたようだ。アシナは食糧の入った買い物籠を両手に下げ、サホもお手伝いで小さな袋を抱えている。


「今、買い物帰りですか?」

と訊きながら、シナツはアシナの荷物を1つ預かり、抱えた。


「そうなの。お野菜が安いから、ついいっぱい買っちゃって。あら?それ灯りの魔道具?竹籠の中に入れて、珍しいデザインね」


 アシナがシナツの持つ蛍籠に目を留めて言った。彼女は良く見ようと蛍籠に顔を近づけ、みっちり詰まった蛍の死骸の1匹と目が合った。


「きゃあ!!」

 アシナは悲鳴を上げ、思わず手を払って、蛍籠をシナツの手から叩き落とした。丸い蛍籠は、てんてんと転がって、サホの足元で止まった。


「わあ!」

 サホはしゃがんで、籠の中の蛍を見て歓声を上げた。子供はこういうのが大好きである。


 アシナは、

「捨ててきなさい!」

と、この蛍籠を家の中に入れることを断固として拒否した。


 仕方ないのでシナツは裏庭に穴を掘って蛍の死骸を埋め、その上に適当な石を載せて蛍の墓を作った。

 サホは蛍の詰め合わせを気に入ったので残念がったが、母の拒絶が激しかったので諦め、埋葬を手伝い、庭の隅に咲いていた白いホタルブクロの花を摘んで供えた。

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