第34話 タイトルロール(箱舟の鯨)

「学会でそんな楽しそうなことをしていたのかい。私は別の会場にいたから全く気付かなかったよ」

 刈り取ったばかりの稲穂を手に、クローディアが言う。


「…楽しくはなかったです。精神的にも肉体的にも魔力的にも疲れました」

 稲刈りの手を休め、腰をそらしてストレッチしながらシナツが答える。


 良く晴れた秋の日に、シナツは、学問所のクローディアの田んぼで、頭を垂れるほど実った稲を刈り取っていた。試験圃場なのでそれほど広くないため、クローディアと共同研究者の研究室の学生だけで鎌を使って刈り取りを行っている。


 シナツも手伝うことで、収穫した米の一部を分けてもらう約束をしていた。

(俺、この収穫が終わったら、新米を炊いて梅干しで食べるんだ)

 新米を楽しみにしながら、シナツははりきって稲刈りをした。


 今回の収穫のために、クローディアは南方諸島から脱穀や精米の機械を取り寄せ、使い方を知っている南方出身者に精米までやってもらうそうだ。白米が簡単に手に入りそうで、シナツは喜んだ。


「ただ、プルケル派に恥をかかせてしまったのは、マズイかもしれない…」

 思わしげにクローディアが呟く。

「はい…スハウ先生が頼んで、他の有力者に間に入ってもらい、今回の件は不問ノーサイドとなりました」

「それは良かった」


 ケヌが学問所を追放されることになった過去の事件を思い返しても、プルケル家というのは非常に執念深く、自派に不利益をもたらす相手を決して許さない人たちの集団に思える。


 シナツは禍根を残したくないため、蓄魔石を隠した研究者に厳罰を求めるスハウを宥め、穏便に済ませてもらうように働きかけた。彼には色々根回しをしてもらい、そのお礼に、シナツは干し梅の入った壺をスハウに献上した。彼は、学会発表のときに食べた甘酸っぱい干し梅を気に入ったそうだ。


 初夏に漬けた梅干しをぬるま湯に漬けて軽く塩抜きし、種子を抜き、シリオホラの糖で作った甘いシロップに漬ける。その後に天日に干して乾かしたのが甘い干し梅だ。

 スハウが言うには、あの赤い食べ物は何かと発表を見た観客からの問い合わせがすごかったそうだ。そこで祖父のヒカワに相談し、水饅頭のレシピを売った菓子店に干し梅のレシピを売り、来年からそこで製造販売してもらうことにした。


 シナツたちは、収穫した稲穂を束ねて、物干し台のような稲架にかけて天日干しにした。しばらく乾燥させた後に脱穀するのだ。

 まだ刈り取られていない田が何枚か残っているが、実験のため収穫をずらしているという。

 秋の風が吹いて稲穂を揺らし、田んぼが金色の海のように波打つ。シナツは、日本の里の秋の風景をこの世界でも見られたことに感動を覚えた。


「精米できたら、スハウ先生経由で連絡するよ」

 クローディアの言葉に、シナツは頭を下げた。

「ありがとうございます。楽しみです」

「私も楽しみだ。自分で育てた米はどんな味がするだろう。私は、スライムシリオホラのパンより米の方が好きになったよ」

「スライムのパンなんて食べたことあるんですか?」


 高位貴族は、小麦のパンしか食べないと聞いていたのだが。シナツの疑問に、クローディアは苦笑した。

「そりゃあるよ。学食のスライムのパンは無料だから、懐の淋しい学生時代はお世話になったものさ」


 話を聞けば、意外なことにクローディアは苦学生だったのだ。学問所に入所する女子は毎年数名いる。そのほとんどは高位貴族の娘であり、在学中に縁談が決まり、卒業することなく中途で学問所を去る。

 学問所を中途退所という学歴は、賢い妻や賢い母を望む貴族にアピールする良い『はく』になる。つまり娘を学問所に入れる貴族にとって、学問所とはトロフィーワイフ製造所であり、決して娘に学問を修めさせて卒業させる場所ではないのだ。


 名門ドルヌス家の分家の長であるクローディアの父親もその例に漏れず、娘が学問所に入りたいと言ったときに快く送り出したのは、良い縁談を見つけてすぐに嫁がせる予定だったからだ。

 しかしクローディアは、本気で学問に取り組み、父親の縁談を断り、学内の寮に居ついて実家からの呼び出しにも応えなくなった。怒った父親は仕送りを打ち切った。金がなければ家に帰ってくるしかないだろう。そう思っていた父親だが、クローディアは奨学金(ほぼ平民しか利用しない。貴族は体面のため、経済的に苦しくても利用できない)を申請して苦学しながら卒業し、卒業後は学問所で講師をしながら農業の研究をしている。

 今では父親も諦めて娘と和解し、好きに生きろとクローディアを放し飼いにしている。ドルヌス・クローディア19歳。貴族女性としてはそろそろ嫁き遅れの烙印が押されるお年頃である。


「あと、渡来系の家には、晩秋の頃に『海神祭』って祭りがあってね。その祭りの日は、スライムのパンを食べるんだ」

「へえ、聞いたことないお祭りですね」

 少なくともアフミ家では開催されたことのない祭りだ。


「大々的に賑やかにやるお祭りじゃなくて、各家庭でひっそりとやるお祭りだからね。

 我々の先祖が故郷を追われ、くじらに乗ってこの東の果ての島国にやってきたことを振り返る祭りさ。

 鯨に乗って逃げる間、食糧は乏しく、スライムのパンを分け合って生き延びたことを思い出し、その日はどんな金持ちも、スライムのパンと水だけで過ごして、航海の無事をダゴン様に感謝するんだ」

「ダゴン様?」

「海神様の御名だよ」

「へえ。そんなお祭りがあるんですか」


 渡来系は今も独自の文化を守っているんだな、とシナツは感心した。1年で1日だけスライムのパンを食べる渡来系貴族たち。ほぼ毎日スライムのパンを食べるシナツからすると、そんな食生活はもはや異世界だ。


「鯨に乗るって難しそうですね。イルカやシャチなら乗れないこともなさそうですけど」

 シナツがそう言うと、クローディアはハハッと笑った。


「本物の鯨じゃないよ。船の名前さ」

「船ですか」

「そうそう。建国神話にもあるだろう、海神の姫君が鯨に乗ってやってきたって。見た目が鯨のような真っ黒い船で、甲板もマストもなく、水に潜ることができたらしい。

 人間を百人以上収容し、様々な植物を種子の状態で、様々な動物を胎児よりも小さい状態で凍らせて保存し、海の底を泳いで大洋を渡ることのできる船。名を『箱舟の鯨』という」

「箱舟の鯨」

「天馬も食用スライムも、その箱舟の鯨に乗せてきたそうだ。今の弱ってしまった食用スライムよりも元気に分裂できる食用スライムが、その船には今も残されているはずさ」


 それはさすがに、とシナツは笑った。

「何百年も前のことですよね。さすがに腐っていませんか?」

「いや。当時の技術は今よりもずっと進んでいた。今も稼働する超低温の魔道具の箱の中で凍らされて、生きた状態で保存されている」

 クローディアは断言した。


「元気なスライムがあれば、今の食糧問題は解決じゃないですか!箱舟はどこにあるんですか?」

「箱舟は我々の生命線だった。この島に入植してからは、秘密の場所に隠し、代々限られた人間だけにその場所を伝えてきた。しかしその知識を持つ者たちは、百年前の政変で全員失われた。

 百年前全滅したプルケル家本家。彼らが箱舟を代々管理していたんだ」


 また百年前の政争か、とシナツは思った。食用スライムの危機も箱舟の喪失も、すべてここから始まっている。しっかりしてくれよ王家、とシナツは心の中で毒づき、愚痴を口にした。


「政争や災害で知識を持った人たちが全滅する可能性があるのだから、暗号とかで知識を残してくれればいいのに」

「渡来系貴族の家は、その万が一に備えて様々な知識を記録した家宝の魔道具を持つ。我々の根源ルーツである海の物を模した記録の魔道具を。プルケル家本家の屋敷は全焼してしまい、王家の兵が焼け跡を徹底的に捜索したが、家宝の残骸は見つからなかった」


 ざわざわと風が吹いて、黄金色の穂波が立つ。風の冷たさにシナツはぶるっと震え、クローディアは話を続けた。


「王家は隠された箱舟を捜索しているが未だに見つかっていない。学問所を設立したのも、箱舟捜索の一環さ。測量のできる人材を育成して各地に派遣し、国家プロジェクトとして詳細な地図を作成しているが、本当の目的は箱舟探しだ」

「…箱舟を見つけることができれば大金持ちになれますね」


 おとぎ話のような箱舟の鯨の話に実感が湧かず、シナツは茶化すようにそう言った。クローディアは、至極真面目な顔で答えた。


「お金持ちどころじゃない。王だよ。この国の―――いや、世界の王になれるよ」

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