第33話 頭に入ってこない学会発表(後)

「―――以上で、明暗条件下におけるスライムの行動変化に関する研究の発表を終わります。ご清聴ありがとうございました」


 ケヌの前の演者が発表を終えた。聴衆が、片足をたんたん、と床に打ち付け、机の上を手で叩く。前世の拍手に相当する、賞賛を表す仕草だ。


 シナツはケヌに肩を貸して階段を下り、演壇に向かった。前の演者は、すれ違いざまにケヌとシナツを見て鼻で笑った。


「プルケル派閥の研究者です」

 とケヌが囁いた。なるほど感じ悪いとシナツは思った。

 元々印象は良くなかったが、今ので彼らに対する印象は最悪である。


 ケヌは演壇に立ち、シナツは投影機の準備を始めた。

「あれ?ない!?」

 シナツが声を上げると、近くに座っていた進行役の老教授が様子を見に来た。


「どうかしましたか?」

「蓄魔石が抜かれています」

 投影機の光源の蛍石に魔力を供給する電池の役割をする蓄魔石の紅玉が、投影機からなくなっていた。蓄魔石に不具合があったときのために予備の蓄魔石も付属しているはずなのだが、それもなくなっていた。前の発表者は問題なく使えていた。となれば―――

「前の発表者の方、お待ちください!」


 シナツは、立ち去ろうとする前の発表者、正確にはその発表で投影機を操作していた彼の弟子と思われる少年に声をかけた。

 気弱そうな少年は、びくっと震えてこちらを向こうとはせず、鞄を抱え込んだ。

「誤って蓄魔石がそちらのお荷物に紛れてしまった可能性があります。お荷物を確認してはいただけないでしょうか」


 シナツとしては、「犯人はお前だ!」と言ってびしりと指を突き付けたい気分だったが、事を荒立てたくないため、穏便な物言いをした。


「妙な言いがかりはやめていただきたい」

 前の発表者の男は、弟子を背にかばうように立ち、シナツに言った。

「荷物を確認していただきたいだけです」

「無礼な子供だ。これ以上言うのであれば、プルケル派に対する無礼として正式に抗議させてもらうが」


 男はそう言うと、進行役の老教授に向かって

「しかし困りましたな、先生。蓄魔石が紛失してしまうとは。このままでは発表を続けることができない。事務室に行けば予備の蓄魔石が手に入るでしょうが、今から行って戻るには時間がかかって予定が遅れてしまいます。昼からはこの大講堂で王族の方々も聴講される特別講義が開かれると言うのに。大切な講義を遅らせる訳にもいかないし、困ったことです。

 ただ、私には強い予感があるのです。そこの平民が発表を諦めて去るのであれば、蓄魔石が見つかると言う予感が。いえ、お約束しましょう。この者が立ち去れば蓄魔石をお返しすると」

と言い、男はケヌの方を見た。


(やっぱりお前が持っているんじゃねーか)

とシナツは思った。特別講義を質に取って、ケヌに発表を諦めさせようとしているのだ。


 聴衆はざわめいたが、男に注意する者はいない。この男は身分も学内での立場も上の者であるようだ。聴衆の反応は、不快気にしているが行動を起こさず静観している者、シナツたちに同情してるが逆らえず下を向く者、この状況を面白がっている者に分かれた。


「あの…そういう訳で…」

 気の弱そうな進行役の老人が、ケヌに向かって発表を辞退してくれと目で訴える。ケヌはため息を吐いて、演台を下りようとした。が―――


「お待ちください」

とシナツが言った。プルケル派の研究者は不快そうにシナツを睨んだ。

「何だ。まだ荷物を検めろと言うのか?」

「いいえ。もう蓄魔石は結構です」


 そう言うと、シナツは光源の魔石である蛍石に直接触れた。凄まじい勢いでシナツの指先から蛍石へと魔力が吸われ、蛍石が魔力を光に変換し、投影機が光を放ち、映像をスクリーンに映し出した。シナツは急激な魔力の低下に眩暈めまいがしたが、ぐっとこらえて笑った。


「問題ありません。さあ発表を始めましょう」


 プルケル派の研究者の男の目が驚愕に見開かれ、ざわ…ざわ…と聴衆がざわめいた。


*****


 学問所の学生であるプルケル・ティトゥスは、学内が妙に騒がしいことに気付いた。今日は年に一度の自然科学系の学会発表があり、学内に人が多くいつもより賑わっている。しかしそれにしてもざわざわと騒がしい。ざわめきながら、人々が大講堂の方へ足早に移動している。


「何かあったのだろうか」

 ティトゥスが呟くと、背後に控える護衛のウゼン・イブリが、大講堂に向かう人の中に知り合いの顔を見つけ、その者に声をかけた。

「何だか騒がしいな。何かあったのか?」

 知り合いは、

「いや、大講堂ですごい発表をやっているって聞いてさ」

と言った。


 すごい発表?ティトゥスは首をひねった。今年は特に目玉となるような発表はなかったはずだが。

(いや、1つあったな。何十年も前にプルケル家うちと対立して学問所を追放された平民の男が、本日大講堂で発表するとか)

 学問所の教授である兄のガイウスが、自分の手下を使って恥をかかせてやると息巻いていたのをティトゥスは思い出した。

 ティトゥスは大講堂に向かって歩き出し、護衛はその後ろをついて行った。


 大講堂の中は、人で溢れていた。すでに満席であり、立ち見の客も多い。

 ティトゥスが立ち見客をかき分け(実際にはティトゥスの顔と背後の護衛を見た人々が自発的に横によけて、モーゼの海割のようになったのだが)前の方に進むと、発表者が見えた。背の高い四十がらみの男であり、見ない顔なので学外の者であろう。あれが兄の言っていたかつて追放された平民の男だろうか。何かに焦っているかのように、少し早口になって発表している。


 発表内容は馬の雑種についてだ。系図から天馬と常馬の子供の形質について統計をとって図表にまとめており、そこから法則を導き出そうとしている。面白そうだがずいぶんと難解であり、これだけの聴衆を集めている理由が分からない。


 ふと周囲を見ると、聴衆の視線は、この発表者ではなく、演台の脇にいて投影機を操作する少年に向かっている。ティトゥスと同じくらいの年頃の黒髪の少年だ。


「なん…だと…?」

 ティトゥスは自分の目を疑った。少年は直接蛍石に触れて魔力を補充しているのだ。


「魔道具充填専門の侍女5人がかりで充填した蓄魔石を使って動かす投影機を1人で動かしているのか…?」

「やばいな。あの少年倒れるぞ」

 観客が小声で話す。


 魔力の急激な放出は、眩暈、頭痛、手足の痺れ、吐き気、貧血を伴い、ひどい場合は生命にかかわる。少年も顔色が悪く、汗をかいているのが薄暗い会場でも分かった。


「すみません、通してください」

 その声と共に、立ち見客を押しのけて老齢の男が前の方に出てきた。スライム研究のスハウ教授だ。

 彼は状況を見てとると、投影機を操作する少年の元に向かった。


「交代します」

 スハウ教授はそう言って、少年に代わって蛍石に魔力を充填し始めた。

 少年はその間に、自分の鞄から掌にのるサイズの小さい壺を取り出し、中から小さい赤い物体を指で摘まみ出し、口に入れた。


「何だあれは…」

 ざわ…ざわ…と観客がざわめく。

 しばらくすると、少年の顔に血の気が戻った。


「魔力回復の薬か?普通は蜂蜜漬けのレモンとかだが」

「新薬かもしれないな」


 やがて、スクリーンに映し出される映像がちかちかと点滅し出した。充填される魔力が足りないのだ。今度はスハウ教授の顔色が悪くなり、限界が近いのが観客にも分かった。


「お、また交代だ」

 少年は再びスハウ教授と交代し、蛍石に触れながら、空いている手で小壺を教授に渡して食べるように仕草で伝えた。

 スハウ教授は怪訝な顔で壺の中を覗き込み、赤い粒を1つ取ると、匂いを嗅いでから口の中に入れた。


「!!」


 そのスハウ教授の顔を見て、観客は

「すっぱそう」

「すっぱいんだな」

と呟いた。

 目をぎゅっと瞑ってすっぱそうな顔をしたスハウ教授だが、しばらくすると顔色も戻り、魔力が回復しているのが傍目にも分かった。


「―――以上で発表を終わります。ご清聴ありがとうございました」


 演者が締めの言葉を口にし、投影機の光が消えた。

 観客は、はっとして「そうだ、今は研究発表中だったんだ」と思い出した。

 黒髪の少年は机の上に突っ伏し、スハウ教授が介抱している。発表者も演台から降りて、少年たちの元に足をひきずりながら歩み寄っている。


 しばしの静寂の後、大講堂は割れるような大歓声に包まれた。観客は熱狂的に足を踏み鳴らし、手で机を叩いた。その音は大講堂の外にまで響き、通行人を驚かせた。

「すごいぞ、あいつらやり切った」

「あの赤い食べ物は何だろう」

 観客は興奮して大声で感想を言い合った。


 ティトゥスは、自分の兄の手下の研究者がスハウ教授に詰め寄られ、鞄の中から蓄魔石を出すのを見ながら、「ざまあ」と呟いた。愚かな兄の企みが潰えるのは、見ていて気持ち良い。ティトゥスは良い気分のまま、歓声に沸く大講堂を後にした。


 観客は熱狂したが、肝心の発表内容をほとんど誰も覚えておらず、「何かすごいものを見た」という感想だけが残った。


 この世界初の遺伝学の発表は、人々の理解を得ることができなかった。


 研究内容が先進的すぎたせいでも、発表者のプレゼンが下手だったわけでも、聴衆の理解力が足りなかったせいでもない。ただ、突如始まった魔力充填ショーの方に観客の目が釘付けになってしまったのだ。


 しかしこの発表で馬の遺伝に興味を持った者も何人かいた。彼らは、ケヌたちの『馬の雑種の研究』の論文を読み、遺伝学について理解し、自分たちも研究し、やがて遺伝学は学問の一分野になる。


 それは何年も後のことで、とりあえず直近の反応としては、翌日、「壺に入った赤い食べ物の正体」についての問い合わせが、スハウ研究室に殺到した。

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