第32話 頭に入ってこない学会発表(前)

「―――現在、他の生物においてもこの法則が適用されるか検証中です。以上で発表を終わります。ご清聴ありがとうございました」

 ケヌが一礼する。シナツは、投影機のスイッチを切り、窓のカーテンを開けて光を入れた。


「うん。前回よりも分かりやすくなった。でもあいかわらず君は緊張すると早口になる癖があるから、そこ注意して。いくら内容が素晴らしくても、早口の発表は聞き手の頭に入ってこないよ。姿勢を良くして、口をちゃんと動かすことを意識して」


 メモを取りながらケヌの発表を聞いていたスハウ教授は、発表内容の改善点と、予想される質疑応答についてケヌに伝えた。

 本日は、学問所のスハウ教授の研究室で、ケヌの学会発表の練習をしている。当然のようにシナツも参加しているが、それは、この発表の元になる先日刊行された論文の共著者に、ついこの前8歳になったばかりのシナツの名も入れられているからだ。

 言うなれば、小学生が学術論文の著者に名を連ねているようなもので、論文の信用を落とすのではないかとシナツは恐れて断ろうとしたが、この国の論文は、職業研究者以外の発表も広く受け入れており(審査は厳しいが)、年齢もそれほど気にされないそうだ。


 著者欄にケヌとスハウ教授と共に「アフミ・シナツ」の名が入れられた『馬の雑種の研究』という題の論文が刷り上がり、その論文の収載された科学誌と別刷りを貰ったシナツは、内心

(ヤバい。本格的に巻き込まれている…)

と冷や汗をかくと同時に、おそらくこの世界初の遺伝学の論文に名を連ねることができたことに深い感動を覚えたのだ。実際のところ、シナツの貢献と言えば、前世の統計の知識を教え、集計を手伝ったぐらいしかしていないのだが…


 論文発表の次は、学会発表である。数日後に学問所で学会が開かれる。ケヌはそこで口頭発表を予定している。今日は直前の発表練習をしているのだ。


 学会発表では、投影機の魔道具を使う。

 箱型の筐体の中に強力な光源と鏡とレンズを備えた魔道具であり、専用の紙をセットすると、紙に書かれたものを前方のスクリーンに映し出す。単純な構造だが光源の蛍石に大量の魔力が必要とされるのが欠点だ。蛍石は魔力をほとんど溜められないので、長時間使用するためには、紅玉などの魔力をよく溜める大きな蓄魔石を必要とする。


 この魔道具は、スイッチによって蓄魔石と蛍石との接続を切り替える。スイッチをオンにすると蓄魔石と蛍石が接続され蛍石が光り、オフにすると接続が切れて蛍石が魔力を失い、光が切れる。


 しばらく魔力を充填していなかったようで、蓄魔石の紅玉の赤色が薄くなっていた。

「魔力を充填しておきますね」

 シナツはそう言うと、紅玉に触れた。キサカの持つ時計の魔道具よりも何倍も大きい紅玉は容量も大きく、なかなか満タンにならない。


「シナツ君、そんなに魔力を入れて大丈夫ですか?」

 そうケヌが訊ねるのに頷いて、シナツは

「はい。最近、父と魔力訓練もしており、だいぶ魔力の扱いにも慣れました。あ、充填完了です」

と言って、紅玉から手を離した。


「シナツ君、魔力がかなり大きいんじゃない?6以上はありそう」

 充填された紅玉を見ながらスハウ教授が言う。


「あ、僕、魔力測定していないんですよ」

「ふうん?もし魔力の使い過ぎで気分が悪くなったら、甘酸っぱいものを食べると良いらしいよ」

「甘酸っぱいものですか?」

 初恋かな、などとしょうもないおやじギャグを考えながらシナツが問い返す。

「うん。魔力は専門外だからよく知らないけど、魔道具に魔力を充填する専門の侍女さんは、休憩中に蜂蜜に漬けたレモンの輪切りを齧っていたりするよ。魔力の回復に良いんだって」


 クエン酸とブドウ糖だろうか、とシナツは推理した。体力回復に良いものは、魔力回復にも効果があるらしい。良いことを聞いた。

 しかしレモンも蜂蜜も高級品だ。もっと安くてクエン酸とブドウ糖が豊富な食材はないだろうか。

(あ、干し梅はどうかな?)

 シナツは、先日大量に漬けた梅干しの一部をシリオホラの砂糖漬けにしてから再び干して、甘酸っぱい干し梅に加工したことを思い出した。蜂蜜レモンの代わりに干し梅を魔力回復に使えないか今度試してみようと思った。効果があるなら常備薬として持ち歩こう。まあ、そんなに魔力を使う機会もないけど。


「それではシナツ君、当日はよろしくお願いします」

 学会発表当日、シナツは手習所を休んで学会に参加し、ケヌの発表を手伝うことにした。発表には投影機を操作する者が必要だ。普通は発表者の助手や弟子がやるのだが、ケヌにはそのどちらもいない。そこでシナツが投影機のスイッチを入れたり用紙をセットしたりすることにしたのだ。


「2人とも、当日は私の傍を離れないでくださいね」

 帰り際に、スハウ教授が真剣な顔でシナツとケヌに言った。


「プルケル家の妨害が予想されます」


*****


 学会発表は、秋祭りが終わってしばらく経った、秋の紅葉月に行われる。ケヌの発表当日は、雲1つない秋晴れであった。

 その晴天の下、ケヌとシナツは呆然と立ち尽くしていた。


「まさかこんな手でくるとは…」

「プルケル家、執念深い」


 その日の朝、ケヌとシナツは、学問所の正門でスハウ教授と待ち合わせ、構内に入った。


 食用スライムを管理するプルケル家は、学問所内に最大の学閥を築いている。ケヌとスハウ教授の発表した食用スライム分裂回数低下の論文と、それに続く卒業式の階段落ち事件で、スハウ閥とプルケル閥の対立は決定的になり、以降現在に至るまで、両者は何かと争っていた。


 ケヌの学会発表は、スハウ陣営にとっては、かつて謀略によって学問所を追放された自陣営の者が帰ってくる吉事。

 対するプルケル派閥にとっては、彼らにとって不都合な真実を無遠慮に暴いた忌々しい平民が舞い戻ってくる凶事。


 プルケル派が何か仕掛けてきそうな予感がしたスハウ教授は、他の学生の世話は助手に任せ、今日はケヌの発表に付きっきりになる予定でいた。しかし―――


「先生、大変です」

 スハウ研究室の助手の1人が青い顔でスハウ教授の元に駆け寄り、学生同士の喧嘩でスハウ研究室の者に怪我人が出たと言った。

「申し訳ないが、ちょっと行ってくるよ。先に会場に入って準備しておいて。すぐ戻るよ」


 スハウ教授と助手が足早に立ち去り、シナツとケヌは嫌な予感がした。さっそく教授と引き離されてしまった…


「とりあえず、会場に入りましょうか」

「…そうですね」


 会場は大講堂であった。大講堂は、ケヌが卒業式で大怪我を負わされた事件現場である。シナツはケヌの様子を窺うが、特に精神的な負担を感じている様子はない。彼は卒業式のトラウマを克服したようだ。


 しかしトラブルは続く。大講堂の正面階段の下で、ケヌは、構内の治安を守る衛兵に呼び止められた。

「大講堂に入るのであれば、安全のため、杖をお預かりします」

 ケヌは、左足の古傷が元で、杖なしで歩くのが困難だ。大講堂の正面階段は手すりのない不親切な設計だ。杖なしで上がるのは難しい。


「杖を持っている方もいらっしゃいますが…」

 シナツは言った。学問所の教授は高齢者が多い。杖をついている人も何人か見える。

「あの方々は、学問所内の方なので。外部の方の危険物の持ち込みはご遠慮ください」

「そんな…」


 シナツはなおも抗議しようとしたが、ケヌが止めた。衛兵はプルケル派の命令に従っているのだろう。ここで杖を預けなければ、大講堂に入れてくれないに違いない。むしろここで騒げば、それを理由に学問所の敷地から追い出されるかもしれない。騒動になれば、部外者2人のこちらが不利だ。

「分かりました。杖をお預けします」

 ケヌは衛兵に杖を預けた。そしてシナツと小声で話す。


「まさかこんな手でくるとは…」

「プルケル家、執念深い」


 そして、ケヌの荷物は全てシナツが持ち、シナツはケヌに肩を貸して(肩を貸すというより、身長差があるため、ケヌがシナツの肩に手を置いて)、ゆっくり階段を上がった。


 会場入りするだけで、シナツとケヌは、肉体的にも精神的にもずいぶんと疲弊してしまった。


 階段を上がって、大講堂の入口の扉を開けると、中はカーテンが閉められて薄暗くなっていた。大講堂は、内部全体が大きな下り階段になっている。各段に長机と椅子が置かれ、机と机の間が通路となっており、そこを通って下に向かうと、一番下には演台があり、その後ろの壁には大きな白いスクリーンが張られて、投影機の映像を映している。


 シナツとケヌは、前の方の空いている席に並んで腰掛けた。

 ケヌの発表は、今発表している人の次の次の次だ。シナツは投影機にセットする用紙を鞄から出し、順番を確認し、それが終わると暇なので、学会発表を視聴することにした。


「―――このように、主島西部の沿岸地方のヤブツバキと、南方諸島のヤブツバキの葉の形には違いがみられ―――」

 生物関連の学会発表の内容は、どこの地方のどの植物の花の形がどうである、鳥の骨格がこんなである、と博物学や生態学の研究がメインのようだ。


 それらと比べて、ケヌの馬の遺伝の研究は、最先端が極まって異端である。今回の発表では、その真価を理解できる人は少ないかもしれないとシナツは覚悟した。前世のメンデルさんは、エンドウマメの遺伝の研究結果を発表したけど、彼が生きている間は誰にも理解されなかった。異世界メンデル(命名者シナツ)ことケヌの研究も、世間に受け入れられるには時間がかかるかもしれない。


(無事に発表できればだけど…)


 大講堂に入った時から、そして今も、シナツは自分たちが殺気混じりの注目を集めていること気付いていた。

 まさかこんな衆人環視の中で刃物を振り回して襲ってきたりはしないだろうが、発表中にブーイングと共に靴の1つや2つは飛んでくるかもしれない。


 とっさに走れないケヌをガードできるよう、いつでも身体強化できるようにしなければ、とシナツは思い、キサカに教わった魔力を溜める呼吸を始めた。


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