第31話 窓に!窓に!

 シナツたちは、こんな風に、午後はイサガ王ごっこしたり、木苺摘みをしたり、ゴザの上で寝転んだりして過ごした。

 そして、まだ日が高いうちに帰り支度を始めた。大人の足ならば大した距離ではないが、幼女連れで森の中を歩くのは時間がかかるからだ。

 西の森を出てアキ川の上にかかる橋を渡って市街に戻る頃には夕焼け空になっていた。


 橋の上から、王城の北側にも大きな鬱蒼とした森があるのを見たシナツは、

「ねえ、今度はあの北側の森に行かない?」

と提案した。

 スルガとハヤヒトは絶句した。そして(そういえばこいつは非常識だった)と、シナツの常識のなさを再認識した。


「いや、さすがにまずいだろ。あそこは王家の森だぞ」

「まずいの?」

「絶対あの森には近づいちゃ駄目だ」

「お城の警備上の問題?」

「それもあるが、あの森は別名『入らずの森』。許可のない者が勝手に入ると呪われるんだ。有名な話だけど知らないのか?」


「のろい…」

 シナツはゾッとした。前世も今世も、そういうオカルト話は苦手なのだ。その様子を見たスルガは、にやりと笑って物語りを始めた。


「言い伝えによると、あの森には、秋だけじゃなくて春も夏も、冬でも、赤い彼岸花リコリスが咲いているという。ある夏の日、怖いもの知らずの乱暴者の貴族家の少年が、自分の勇敢さを示すため、1人で禁じられた王家の森に入って狂い咲きの彼岸花を取ってくることにした」

「いや、もういいよ。何か怖そうな話」

 突如始まったスルガの物語をシナツは遮ったが、スルガは止まらない。


「少年は森の中を歩き回って彼岸花を探したが、どこにも見当たらない。日も暮れてきて風も吹いてきた。風が木の枝を揺らしてザワザワと音を立てる。少年は、自分が見えない何かに囲まれているような気分になってきた」

「もういいって!」

「少年は彼岸花を諦めて、家に帰ることにした。帰り道、ずるり…ずるり…と何かが這いずるような音が後ろをついてくる。少年は振り返ったが何もいない。少年は走って家に入った」

「やめて!」


「少年は自分の部屋に入ると、中から鍵をかけた。布団の中で震えていると、先ほどのずるり…ずるり…という這いずるような音がどこからか聞こえてくる。部屋の中ではない。外だ。窓の外から音がする。少年はガラス窓を見た。すると――


 窓に!窓に!」


「ぎゃー!!」

「いやー!!」


 スルガが大声で「窓に!窓に!」と言ったのに驚いたシナツとユラが絶叫して、サホにしがみついた。


「『窓に!窓に!』という少年の声に驚いた家族は、少年の部屋の扉を開けようとしたが、内側から鍵がかけられて開かない。マスターキーを取ってきて扉を開けると、中には誰もいなかった。鍵のかかったガラス窓には、内側から赤い血が飛び散り、赤い彼岸花がいくつも咲いているように見えたそうだ。

 少年の姿はどこにもなく、彼の行方は今も分かっていない…」


「ひい…密室サスペンス…」

 よく分からない言葉を呟く兄と友人にしがみつかれたサホは、少し考え、

「ずるり、ずるり、の音は、おばけのたてた音なの?」

とスルガに聞いた。

「え?多分そうなんじゃないかな」


 スルガの答えを聞いたサホは頷き、震えるシナツとユラの肩を優しく叩いた。

「だいじょぶよ。音を立てるものなら、いくらでもたおしかたがあるって、フサさんが言ってたのよ」

「ひい、頼もしい」


 フサさん、うちの妹に何を教えているんだろう、とシナツは思った。昼過ぎにシナツが手習所から帰ってくるまで、家はサホとフサの2人きりだ。その時間、サホは最近フサに何かを教わっているらしい。シナツが聞いても教えてくれない。秘密なんだそうだ。


 ともあれ、シナツは、絶対に北の王家の森には近づかないぞと心に誓った。


*****


 市内に入り、ハヤヒトとユラ、それにスルガと別れ、それぞれの家に向かった。


 カサカサ、と背後で音がした。

「ひい!」

「あにちゃ、だいじょぶよ。かわいたはっぱ(枯葉)よ」

「にゃーん」

「ひい!」

「あにちゃ、だいじょぶよ。にゃんにゃん(猫)よ」


 先ほどのスルガの怪談のせいで感受性が鋭敏になったシナツは、びくびくと怯え、少しの物音にも飛び上がって驚き、その度にサホが兄を宥めている。おかげで家に帰るのに、いつもより時間がかかってしまった。


「ただいま戻りました」

「お帰りなさい」

 家に戻ると、フサが出迎えてくれた。


 精神的に疲弊したシナツは、西の森で収穫した木苺を台所に置くと、すぐに自分の部屋に入った。子供部屋は、今はシナツ1人が使っており、サホはまだ両親の部屋で寝起きしている。


ドンドンドンドン


 激しく玄関の扉が叩かれる音がした。驚いたシナツは飛び上がった。

 どうやら珍しく来客があったようだ。フサが対応している声が切れ切れに聞こえる。サホも玄関に出てきたようで、大きな声で「かえってください」と塩対応している。押し売りだろうか。

 客は帰ったようで、静かになった。


 静かになると、シナツは心細くなった。サホたちのいる居間に行こうとすると、ガサッ、ガサッと物音がした。部屋の中ではない。庭に面した窓の外からだ。『窓に!窓に!』というスルガの声が脳裏に甦り、シナツは震えた。


 アフミ家の窓はガラス製ではなく、木製の観音開きの窓だ。夏なので、半開きにして風を入れている。窓を閉めようと思い、シナツが窓に手をかけようとしたその時。


 ギィ…と音を立てて窓が開いた。


「ギャ――ッ!!!」

 たまらずシナツは絶叫した。

「あにちゃ?」

 悲鳴を聞いたサホが部屋に入ってくる。サホは状況を見てとると、椅子を窓辺にひきずり、その上にのって窓を閉めようとした。


「ちょ、サホ、待て。シナツと話をさせてくれ」

「いけません。かえってください」


 窓の外には祖父のヒカワがいた。

 サホが椅子の上にのって窓を閉じようとするのを、外から手を入れて抵抗している。もちろんヒカワの方が力は強いのだが、力押しして孫娘がケガをしては大変なので全力は出せず、押し負けて窓を閉められそうになっている。


「じじちゃは、あにちゃをいじめるから、きちゃだめ!」

「頼む!来春の米祭りとやらにシナツが関わっていると商工会の連中に聞いて、詳細を教えてもらいに来ただけじゃ」

「かえってください!」


 新年に、ファスナー開発の件でヒカワに馬車馬のように働かされ、ボロ雑巾のようになったシナツを目撃したサホは、ヒカワをシナツに近づけてはいけない、と祖父を要注意人物のリストのトップに入れた。

 以後、ヒカワがシナツに近づくのを何かと邪魔し、祖父母の家に泊まりに行く日はずっとシナツの膝の上にのり、ヒカワを牽制し続けていたのだ。

 ヒカワも反省し、サホの怒りがおさまるまでシナツとの接触は避けていたのだが、米祭りの詳細がどうしても知りたくなり、本日アフミ家を訪問した。しかし玄関でサホにブロックされ、仕方なく庭に回ってこっそりシナツと話をしようとしたのだ。


 シナツは恐怖の余り床にへたりこんだまま、祖父と妹が争うのを聞いた。

(頼むから普通に訪問してくれ!)


 その後、ヒカワはサホの前で改めてシナツに謝罪し、二度とムチャな働かせ方はしないと誓い、ようやくサホの怒りがおさまったのだった。


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