第29話 ご飯のお供計画
「先生!ありがとうございます!」
「また君か。気を付けて歩きたまえ」
クローディアは細長い棒を差し出して、田んぼにはまった
だらしない顔で笑いながら、
「ご迷惑をおかけします」
と言ってクローディアの手を握る男子学生を見て、シナツは
(この光景、どこかで見たな。ああ、アイドルの握手会だ)
と前世を思い出した。
学問所の学生はほぼ男子だ。毎年数人女子も入ってくるが、そのほとんどが卒業できず、何らかの理由で中途退所する。教師に至っては、女教師はクローディアを含めて3人しかいない。
貴重な女教師の中でも若く美しいクローディアは、アイドル的な人気を得ているようだ。
「すまなかったな。何の話をしていたか…梅のことだったな」
男子生徒を救出したクローディアがシナツの元に戻ってくる。田んぼの近くでクローディアとシナツが立ち話をしていたところ、学生が田んぼにはまり、クローディアが救助に向かったため、話が中断してしまったのだ。
「いえ、お疲れ様です。よくあるんですか?ああして学生が田んぼにはまることって」
「ん?そうだな。1日に3人ほどはまるな。看板を立てて注意を促してはいるんだが…」
畔に立てられた『ぬかるみ注意!』と書かれた看板を示しながらクローディアが言う。
「はまる人って、毎回違う人ですか?」
「いや…?そう言えば、よくはまる者が何人かいるな。さっきの彼は、1日置きぐらいではまっている」
(はい
シナツは心の中で、先ほど救助された男子学生に有罪宣告をした。
間違いない。彼らにとって田んぼは、アイドル女教師クローディアちゃんの手を握ることのできる握手会会場になっているのだ。
真面目系天然令嬢のクローディアちゃんは気付いていないが。
「先生、提案なのですが、しばらく救助する役目を他の人に代わってもらっては?」
「うーん、たしかに他の仕事ができなくて困っているんだが、米は私が主体になってやっている研究なので、他の先生に頼みづらく…」
「別に先生じゃなくてもいいんです。学生か外部の方を雇って、数日の間、その棒を持って見回りしてもらうんです」
「数日でいいのかい?」
「はい。できればガタイが良くて強面の男の方に見回りしてもらってください。数日後には田んぼに落ちる人はいなくなりますよ」
半信半疑のクローディアだったが、実家の王都屋敷の護衛を引退した元騎士の老人に依頼し、見回りを代わってもらった。
効果は
額に傷のある、眼光鋭い歴戦の勇士といった風体の老爺が棒を片手に見回りを始めると、3日目には田んぼに落ちる人はいなくなった。
*****
「豊漁豊漁」
その日の夕方、ほくほくとした顔で、シナツは自宅の居間の机の上に、収穫物――背負い籠に入った大量の梅の実――を置いた。甘酸っぱい梅の実の香りが居間に広がる。
くんくんと匂いをかぎながら籠の中を覗き込むサホに「生で食べたらお腹壊すからだめだよ」と言いながら、シナツは本日の収穫祭を思い出した。
*****
今日は、ケヌがスハウ研究室で仕事をしている間、シナツはクローディアにあることを相談しに来たのだ。ケヌはもう1人で学問所に入れるようになったが、シナツは時々彼に同行して学問所を訪れていた。
クローディアへの相談とは、「学内に植わっている梅の実を収穫させてほしい」であった。
学問所の構内には梅の木が多く植えられており、早春に優しく香る小さい花を咲かせて学内の人々の眼と鼻を楽しませた後、葉を茂らせ、初夏の今、たわわに実をつけている。シナツが見るところ、誰も実を収穫しておらず、熟した実が落ち始めている。誰も取らないならば使わせてほしい。『ご飯のお供計画』に必要なのだ。
米が王都で食べられるなら、ぜひともご飯のお供も食べられるようにしたい。クローディアの米研究に光を見出したシナツは、ご飯のお供計画を発動した。
シナツにとって、ご飯のお供と言えば、納豆、卵、海苔に梅干しである(個人の意見です)。
納豆は作ろうと思えば多分作れる。これからクローディアの田んぼでできる稲わらと大豆を使えば、それらしき物は作れる。稲わらがなくても、その辺のススキとかの枯草で煮豆を包めば、きっと糸を引いた豆はできる。この世界にも枯草菌はいる筈だから。
ただ、食用に値するモノができるかについては保証しない。
あと、見た目が腐った豆なんて、そんな物を作っているのをフサさんに見られたら、確実に捨てられる。この国の人たちは豆に関して保守的であり、甘い豆(あんこ)ですら、あれほど拒絶されたのだ。腐った豆を作っているのを目撃されたら袋叩きにされるかもしれない。
そうなると、こっそり作ってこっそり食べるしかないが、隠れて試食して、その納豆に危険な菌が混ざっていて食中毒を起こしたとき、誰にも発見されずひっそりと天に召される危険がある。それは哀しい。シナツは納豆をご飯のお供計画のリストから外した。
卵は普通に市場で売られているが、鮮度が問題だ。生で食べられる卵を手に入れるには、養鶏を営んでいる農家から直接買い付けるしかない。1人で王都外の農村に出られる年齢になるまで、卵かけごはんは保留にしよう。
海苔は、これまでシナツの調べた限りでは、それらしき物は市場で扱われていない。テングサが海辺の村で食べられていたように、海苔を食する地方もあるかもしれないが、今のシナツには入手できないのでリストから外した。
そうなると梅干しだ。梅はあるし、塩もある。紫色の紫蘇も市場で普通に売っている。シナツは梅干しの開発を進めることにした。
アフミ家の小さな庭には梅の木が1本あって、今年も実をつけたが、いかんせん数が少ない。シナツは梅干しだけでなく、梅酒や梅ジャムも作る予定であった。
これらの梅仕事は前世の母方の祖母に仕込まれており、アパートで独り暮らしをしていた大学生時代も自分で梅干しや梅酒を漬けていた。アパートに遊びに来た、ちょっといい感じになりそうだった女の子にお手製の梅干しを見つけられてドン引きされたのも、今となっては良い思い出だ。
そこで目を付けたのが、学問所の構内のあちこちに植えられた梅の木である。
梅は春を呼ぶ縁起の良い花として、特に王侯貴族に好まれている花木だ。王宮でも毎年、梅の花を愛でる宴が開かれている。貴族の子弟が多く通う学問所にも多くの梅の木が植わっている。ただ、好まれるのは花だけのようで、実は放置されている。
その日、シナツはクローディアに構内の梅の実を収穫しても良いかと伺いを立てた。
クローディアはシナツを連れて学問所の事務室に行き、梅の実について尋ねた。事務の責任者が、構内を管理している庭師を呼び出して聞くと、庭師は、毎年ごく一部を学食の料理人が収穫してジャムを作っているくらいでほとんど誰も手を付けず、鳥も食べないので熟すと落ちて景観を損ねている。木を傷つけないなら実を収穫してもらって構わない。むしろ掃除が楽になるのでお願いしたいと言った。
権力者に頼むと話が早い。トントン拍子に話が進み、その日のうちに梅の実の大収穫祭が始まった。参加者は、シナツとクローディア、話を聞きつけた食堂の料理人や庭師、それに用事を済ませたケヌやスハウ教授も巻き込んで、構内の梅の実を収穫した。ケヌは「どうしてシナツ君は何でも
仲良くなった料理人に聞いたところ、この国に梅干しは存在しないようだ。梅の実は、緑色の実には毒があると言われており、誰も食べない。加工することもない。完熟した実は食べても大丈夫だが、あまり生で食べる者はいない。
完熟した実でジャムを作ってパンにつけて食べることが多いそうだ。あとは完熟した実のドライフルーツも市場で売られているらしい。
収穫した実は、熟したものは参加者で山分けし、青い実は誰も欲しがらなかったため、シナツが総取りした。庭師のお爺さんから借りた背負い籠一杯の梅の実の内訳は、完熟梅が1に半熟梅が1に青梅が3の割合であった。
大収穫に、ほくほく顔で自宅に戻ったシナツだったが、冷静になると、この大量の梅の実を洗ったり塩に漬けたりと加工しなければならないことに気付き、げんなりした。
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