第26話 聞け、米の声

 ケヌの恩師、スハウ・ウガヤ教授は、白髪に水色の眼の穏やかそうな老人であった。シナツの同行も事前に連絡していたため問題なく受け入れられ、シナツの手土産の、上区の菓子店で売り出されて人気の出てきた水饅頭『スライム』も喜んでもらえた。


「フツちゃんは元気にしているかい?」

 ウガヤは早速スライム菓子を皿に取り分け、2人の客と自分の前に置きながらケヌに訊ねる。

「はい。時々やってきては文句を言いながら家の掃除をしています」


 フツちゃんとは誰だろうかという疑問が顔に出ていたのだろう。ケヌはシナツに向かって、

「私の娘です。上区でお針子をしています」

と言った。


「え!?」

 シナツは驚愕した。何となくケヌは独り者だと思っていたのだ。だって、休日でもいつも職場にいて変な研究していたし。変人だし。シナツは何故か裏切られた気持ちになった。


「妻を早くに亡くして父娘2人で暮らしていたのですが、娘が去年独り立ちしてお針子になり、お店の寮に入ってからは気楽な独り暮らしですよ」


 スハウとケヌの打ち合わせは順調に進み、細かい点をまとめて終わった。シナツはその間、スハウの蔵書を見せてもらい、スライムの生態について書かれた本を読みながら、おとなしく待っていた。


 打ち合わせが無事に終わり、シナツとケヌはクローディアを誘って食堂に向かった。


*****


 昼時を少し過ぎたため、食堂に学生の姿は少なかった。入口に『一般学生用食堂』と書いてあるので、部外者の自分たちが利用しても良いのかと聞くと、クローディアは、

「別に構わん。教職員も外部のお客も利用している。『一般学生用食堂』は、誰が利用しても良いんだ」

と言った。


 食堂入口に石板が置かれ、今日のメニューが書かれている。入口入ってすぐに会計所があり、そこで注文し、前払いすると、後でテーブルに届けてくれるスタイルだ。

 会計所の横には長机が置かれ、その上には水の入った水差しと、スライムシリオホラのパンを盛った大皿と、野菜のスープの入った鍋が置かれている。これらは無料で提供されており、誰でもセルフサービスで取っていくことができる。貧乏学生には嬉しいサービスである。


 その無料コーナーに今年の春から加わったのが、米だ。皿の上に何かの葉で巻かれた包み、いわゆる『ちまき』が数個載っている。毎日物好きが1~2個取っていくが余ってしまい、学内の研究室で飼育されている家畜の餌になっている。


「米だけでは足りないだろう。他に食べたいものがあれば注文してくれ。お近づきの印に私がおごろう」

と、クローディアが言う。高位貴族に借りを作りたくないケヌは遠慮しようとしたが、シナツが、

「本当ですか?ありがとうございます。本日のメニューは、豆コロッケ、蒸し鶏、鰯の煮つけですか。じゃあ、僕は鰯をお願いします」

と言うので断りづらく、

「で、では、豆のコロッケを」

と注文した。


 やがて注文の品が届き、3人は遅めの昼食を始めた。


「これは笹の葉ですか?」

 米料理は数枚の緑色の葉で巻かれ、イグサのような草紐でくくられている。その紐を解き、葉を広げながらシナツが訊ねる。


「うん。南方では、生姜の仲間の植物の良い香りのする大きな葉で巻かれているらしい。こちらには自生していないので、手に入りやすい笹で代用した。笹の葉は、普通に肉や魚を巻いて蒸し料理に使われるしな。

 後は、南方出身者に教えてもらった通り、米を笹の葉にくるんで茹でたのだ」

「なるほど」

 ちまきのような調理法だな、とシナツは思った。


 最後の葉を開くと、今世では初めて見る米が姿を現す。

 ふわりと米の香りがシナツの鼻腔に吸い込まれると、シナツの意識は前世の夏に飛んだ。


*****


 うだるような暑さ。真夏の太陽光とアスファルトの照り返しのコンビに上と下からじっくりと炙られ、ローストされる肉の気分が味わえる日本の夏。

 どこかの家の開け放った窓から聞こえるテレビのニュースキャスターの声が、連日の猛暑日を伝え、熱中症の予防を呼びかける。


 シナツは駆け足で自宅アパートに入ると、何はさておき先ず部屋中の窓を開け放った。

 窓からぬるい風が入り、数日間閉め切った部屋の熱気と湿気と臭気が窓の外に逃げ出す。


 シナツはTシャツの裾で顔の汗を拭うと、台所に入った。しばらく躊躇した彼は、やがて意を決し、炊飯器に手を伸ばす。

 震える手で炊飯器の蓋を開けると…


*****


「ふおっ!」


 一瞬記憶が飛んでいた。

 その香りを嗅いだ途端、かの有名なマドレーヌ入り紅茶の人のように、過去前世の記憶が鮮明に蘇った。


 あれは大学1年の夏休み。実家に数日帰省し、アパートに戻って、帰省前に忘れて放置していた炊飯器の中で腐敗したご飯と対面したときのこと。


 そう。笹の葉にくるまれた米は、腐ったご飯の香りがしたのだ。


「これは食べられるのですか…?」

 シナツの前に置かれた米を見ながら、おそるおそるケヌが訊ねるのに、クローディアが答える。

「匂いは酷いが、こういう食べ物だ。今のところ食べて腹を壊した者はいない」


 シナツは木匙を手に取り、薄茶色の米をすくった。そして意を決し、鼻呼吸をしないように気を付けて、米を口に入れた。


*****


*****


 一瞬意識が飛んだ。またしても何かを思い出した気がしたが、今度は覚えていない。何かの深淵を覗き込んだ気がする。

 シナツは水をあおり、口内の米を食道に流し込んだ。


 笹の葉に接している部分は水っぽくどろどろして粥状になっているのに、中の方は米一粒一粒に芯が残って固い。鼻呼吸していないのに、口の中から生臭さが鼻腔に伝わる。

 端的に言うと不味い。ひどく不味い。


 シナツは機械的に手を動かして黙々と米を口に運ぶ。米農家の前世のじっちゃんの名にかけて、残すことはできない。

 シナツは米を完食すると、水を飲んだ。気分はフードファイターだ。


「…それで、米の声とやらは聞こえたのか?」

 クローディアは、シナツの鬼気迫る食べっぷりを眺めながら、自分の昼食を取っていたが、彼が落ち着いたのを見て言った。


「そうですね…米はこう言っています…『言いたいことは色々あるけど、とりあえず精米して』と」

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