第24話 楽しいキャンパスデート

 事の始まりは馬医者であった。


「頼みます、一緒についてきてください」


 そう言って頭を下げる馬医者の頭頂部を見ながら、シナツは困惑していた。


「いや、僕がついて行っても何の助けもできませんよ」

「この天馬の系図の研究は、シナツ君の助言なしには完成しなかった。君はれっきとした共同研究者です」

「ええっ!?」


 この世界に灯ったばかりの遺伝学の灯火をうっかり吹き消してしまいそうになったことに怯えたシナツが、馬医者イナハ・ケヌを過剰なほどに励まし、発見した遺伝の法則を論文にまとめ、学会に発表するように勧めたのが去年の秋のことであった。

 その後も論文の添削や口頭発表のデータのまとめ方を助言したり、確かに手伝いはした。といってもシナツは専門知識どころか一般知識も怪しい7歳の子供。ケヌの話を聞いて分からないところを質問したり、話の流れがおかしいところを指摘するぐらいしかできていないが。


「お願いします。学問所の恩師の研究室に論文の打ち合わせに行くのに付き合ってください」

「ですから、部外者の僕が行っても門前払いですよ」


 前世の大学と違って、学問所は人の出入りが厳しく管理されている。国の知を結集した最高学府にして最大の研究所である。機密も多い。


「事前に申請すれば入所許可がおります。シナツ君の分も申請して許可が出ました」

「早!何でそんなに独りで行くのが嫌なんですか?恩師の方ってそんなに怖い方なんですか?」

「恩師のスハウ先生は穏やかで優しい方です。怖いのは学問所の方です」


「どゆこと?」

「話せば長いことになるのですが…」


 そう前置きしてから、ケヌは語り始めた。


*****


 イナハ・ケヌは、王領の南西地方にある山あいの小さな村の農家の三男に生まれた。幼いころから利発であったケヌ少年は、近くの町の手習所を優秀な成績で卒業すると、教師の推薦を受けて王都の学問所に進学した。


 学問所は、身分を問わず優秀な人材を受け入れることを100年前の設立時に宣言し、平民の学生には支援制度もある。しかしそれは建前であり、所内の学生はほぼ貴族の子弟である。1割にも満たない平民の学生は息をひそめ、空気のように存在を薄くして卒業まで過ごしている。


 高位貴族の子弟は平民に積極的に関わってこない。興味本位でちょっかいを出す者もたまにいるが、学業や実家の社交に忙しく、基本的に違う世界の生き物だ。

 平民、しかも王都外の田舎の村出身のケヌ少年に構ってきたのは、低位貴族の子弟であった。彼らの多くは三男以下であり、家を継ぐ見込みはほぼなく、自力で職を得なければならない。学問所卒業と言う学歴は、彼らのような子弟が役所に就職するのに有利であった。


 貴族の中では最下位。だが下には下がいる。身の程知らずにも学問を修めようとする平民の子供だ。


 特に彼らが苦々しく思ったのは、平民の学生は教材などが無料で支給される支援制度だ。彼らは家の援助も少なく苦学しているというのに。

 身分社会の不条理に苦しんできた彼らは、その鬱憤を晴らすかのように、平民の中でも特に貧しいケヌ少年を蔑んだ。


「貧乏人が」「何を学ぼうというのか」「国の税を吸う」「寄生虫が」


 嘲笑、罵倒、暴言、教師の見ていない所での暴力、持ち物を隠す、捨てる、連絡事項を伝えない。

 閉じた世界で先の見えない将来への不安が煮詰められる。煮詰まって溶岩のようになった不安は、心から流れ出て暴力衝動となる。

 低位貴族の子弟数人によるケヌに対するイジメは常態化した。


 しかし、学問で身を立てるという強い意志を持つケヌ少年は、彼らの妨害にもめげず、学問所で頭角を現した。


 並み居る高位貴族の子弟を抑え、成績はトップ。スライム研究の第一人者スハウ・ウガヤ教授に気に入られ、学生ながら助手として雇われ、既に共著で論文も出している。卒業後はそのままスハウ研究室の助手の職を得るという。


 一方、イジメる側の学生は、平民を迫害するのに時間を取られ、勉学に集中できていない。成績は底辺だ。

 隠れてやっているつもりだったがイジメのことは周囲にも知られ、評判を落としていた。良い就職先は望めないであろう。

 自分たちは高位貴族と平民に挟まれた中間層だと思っていたのに、気が付けば最下層だ。そこで自分の行いを改め勉学に発奮すればまだ救いはあったのだが、彼らは自分が上に這い上がることを諦め、他人を引きずり下ろすことを選んだ。


 卒業式の日に事件は起きた。


 大講堂の式典で大勢の前で首席の学位を得たケヌは、高台に建つ大講堂の出口から続く大階段の上で声をかけられた。


「お前が悪いんだぞ」


 そう言って自分を突き飛ばしたのは、プルケル家陪臣の低位貴族の五男坊であった。仰向けで階段から落ちながら、泣きそうな彼の顔が小さく遠ざかるのを、ケヌは他人事のように眺めた。


*****


「…乙女ゲームのヒロイン…?」


 ぼそっと呟いたシナツは、慌てて自分の口を手で覆った。場違いな台詞は幸いにも、話に集中しているケヌには届かなかった。


 貴族の通う学園に平民または貴族庶子の少女(ヒロイン)が通い、見目麗しい高貴な男子生徒/男性教師と身分違いの恋に落ちる(落とす)乙女ゲーム。

 恋のお相手の男には婚約者がおり、嫉妬に狂った彼女はヒロインに嫌がらせを繰り返し、悪役令嬢の異名を取る。

 暴言暴力、物を隠す、ならず者を雇っては襲わせ、とどめは定番の卒業式階段落ちセレモニーである。


(え?ここって、馬医者先生がヒロインの乙女ゲームの世界だったの?)

 混乱したシナツは、益体もないことを考える。


「落下の際にとっさに頭をかばったため大事はなかったのですが、左足がこのように」


 ケヌは愛用の杖で自分の左足を軽く叩いた。


「歩く分には支障ないのですが、走ったり激しい運動をすることが難しい体になってしまいました。おまけに、卒業後に助手として残るという話もなくなりまして」

「何で!?」

「喧嘩両成敗だそうです。私を突き落した彼は、卒業資格を取り消され、領地で謹慎。もめごとの相手である私にも何らかの罰が必要と言うことらしいです」

「喧嘩じゃないでしょ!一歩的な傷害の被害者じゃないですか」

「貴族と平民との間にもめごとがあれば、それは分をわきまえない平民の非なんです。命があるだけ幸運でした」

「………」


「スハウ先生も手を尽くしてくださったのですが、加害生徒の実家が私だけ何も咎めがないのは納得できないと強硬に抗議し、結局私は学問所を去ることになりました。

 騎士団の馬医者の職は、先任の馬医者の方が後継を探していることを知ったスハウ先生の紹介で見習いから始めました。実家で馬の扱いに慣れていたので、すぐに馴染むことができました。

 業務の傍ら空いた時間で研究を続けることが許され、これまでもスハウ先生と共同で論文を出しましたが、資料は郵送で届け、卒業後は学問所に足を踏み入れることもありませんでした。

 しかし今回の天馬の研究は私がメインということで、打ち合わせを学問所内で行うことになりました。

 ですがご存知の通り、私、学問所に良い思い出がなく、門の前までは行けるんですが、どうしても足がすくんでしまい…」


「うーん…」

 確かにトラウマになるような過去の出来事であった、とシナツは思った。


「お願いします。一緒にいてくれるだけで良いんです。お守りのようなものです。

 どんな状況でも空気を読まず平然としているシナツ君が隣にいるだけで、恐怖心が薄らぐ気がするのです」

「それ、褒めてます?」


 どうやら次の休みは馬医者とキャンパスデートすることになりそうだ。

 世の異世界転生者は半自動でハーレムを構築しているというのに、何故自分には厄介なおじさんとおじいさんばかりが寄ってくるのだろう、とシナツは思った。

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