第23話 もしも魔法が使えたら(後)

*****


 海の近い王都では、海産物を加工した雑貨が多く見られる。

 特にハマグリに似た二枚貝の貝殻は、女性用の小物入れや紅入れとして利用され、貴族の姫君が嫁入り道具に持っていく金箔や蒔絵の入った豪奢なものから、貝殻をそのまま用いた素朴なものまで幅広い。


 キサカの手の中にあるそれは、一見すると、海岸から拾ってきた大ぶりのハマグリにしか見えない。しかしよく観察すれば、貝ではなく金属を加工してできた精巧な工芸品であり、本物に似せて彩色してあることが分かる。海に沈めたら、タコがこじ開けて食べようとするのではないかと思わせるほど、巧妙に貝に似せて作られている。


 キサカは作り物の貝を両手で包み、わずかに捻って上下の貝をずらした。カチリ、と音がして、蝶番で繋がった二枚貝が開く。スライド式の留め具が付いているようだ。

 貝の内側は、色鮮やかな美しい花模様の縮緬生地が貼られており、下の貝の中には円形の時計が収められている。素朴な貝殻の小物入れに見せかけた、贅を尽くした懐中時計である。


 白地の時計円の中央には大きな赤い石が嵌められ、そこに黒い針が1本止められて、右回りに回っている。時間を表す10個の数字すべてが金で象嵌されて円周を彩る。


 そう、10文字の文字盤。この世界の時間は1から10の数字で表されるのだ。


 ぜんまい仕掛けの時計自体はそう珍しいものではなく、さすがにアフミ家には置かれていないが、祖父母の家のような大きな商家や貴族の家には置いてあるし、王城近くの時計塔には大きな時計が掲げられ、毎日定時に鐘が鳴らされ、王都民に時を報せている。


 シナツは覚醒前からこの時計に違和感を覚えていたようで、

「何で11と12の数字がないの?」

と大人に聞いていたらしい。何でと言われても、1日が10時までしかないからである。


 1日を10等分し、深夜を10時(または0時)とし、そこから等間隔で1時、2時と増えていくうちに朝となり、5時が真昼、太陽が一番高く昇る時間である。そこから6時、7時、と夕方になり、また深夜の10時に戻る。

 前世の時刻に直すと深夜10時が24:00(0:00)であり、真昼の5時が12:00になる。時と時の間、すなわち1時間は前世の2時間24分。この1時間を100等分したのが1分間(前世の1.44分)であり、1分間を100等分したのが1秒間(前世の0.864秒)である。


 前世の時間表記や時計と微妙に似ているのが覚醒直後のシナツを混乱させたが、使っているうちに慣れた。習うより慣れろである。


「貝の小物入れかと思ったら、時計なんですね」

「私の母、つまりお前たちの祖母は、渡来系貴族ブルトゥス家に連なる旧家の一人娘であったらしい。これは私が母から受け継いだ、我が家唯一の家宝だ」

「ブルトゥス家と言えば、養蚕で有名な西のブルトゥス領のご領主?めちゃくちゃお嬢様じゃないですか。何でうちはこんなに貧乏なんですか?」

「…私の父と駆け落ちして王都にやってきたらしい。最終的に結婚を許されたが、実家からの援助はなく、持ち出せたものはこの時計と数点の衣類だけだったらしい」


 父方の祖父母は父の成人前に亡くなったと聞いたことがあるが、まさかそんな波乱の人生を送っていたとは。慣れない土地での貧乏暮らしが寿命を縮めたのだろうか。


「衣類は全て売り払われて生活費になったが、この時計だけは最後まで残された。これはいずれお前の物になるが、決して手放してはならない」

「はい!」


 そんな重いエピソードを聞いたら売れない。というか、普通のルートでは売りたくても売れないであろう。素人目で見ても贅を尽くした高級時計であり、下級騎士の子供が質屋に持ち込めば、衛兵が呼ばれるに違いない。


「あと、この時計の事は、他の人に喋っていけない」

「分かりました。でもうちに時計があるなんて友達に言っても信じてもらえませんよ」

「友人だけではない。サホやアシナ、義父上や義母上にも言ってはならない」

「母上やおじい様たちにも?」

「そうだ。分不相応な宝の噂は災いを招く。我々だけの秘密だ」


 真顔でじっと視線を合わせてそう言うキサカに気圧され、シナツは頷いた。

「だ…誰にも言いません」

 美形が真剣な顔で迫ると怖い。


「この時計は、我が家唯一の家宝にして、我が家唯一の魔道具でもある」

「魔道具!?ぜんまい仕掛けではないのですか?」

「ぜんまいではなく魔力で動く。この中央の赤い石に触れなさい」


 キサカは時計をシナツの左の掌に載せて言った。


 時計の針は、6と7の間を指している。シナツは針に触れないよう気を付けて、右手の人差し指と中指と薬指を揃えて、指の先を赤い石に付けた。

 すると、ぼんやり光っていた赤い石の光が少し強くなった。


「この石は紅玉カルブンクルスと言い、魔力をよく吸収して溜める性質を持つため、魔道具に良く使われる。魔力を含むと発光することから、古くは灯りに用いられたと言う。我々の祖先がこの島国にやって来たときの船にもこの紅玉の灯りが灯されていたそうだ。今ではもっと改良された明るい白い光の灯りが出回っているので、紅玉の灯りは使われなくなったが」


 シナツは、赤い光でほのかに照らされた暗い船室を思い浮かべ、潜水艦の夜間照明みたいだと思った。


「今、僕からこの時計に魔力が流れているのですか?」

「そうだ。水が高いところから低いところに落ちるように、魔力も高い方から低い方に流れる。今、お前の指先から時計に魔力が流れている」

「全然分かりません」

「指先の感覚に集中しろ」


 シナツは目を閉じて、紅玉に触れている自分の指先を感じた。硬い石の感触。冷たくはない。少し温かいくらいだ。指先にぴりぴりと静電気のような刺激があるような気もするが、気のせいのような気もする。


「あ」


 指先の刺激がなくなり、石の温もりも消えた。

 目を開けると、紅玉の色は赤色が濃くなり、光も強くなっていた。


「魔力の移動が止まった。紅玉の魔力容量の限界に達したのだ。石が、これ以上の魔力が流れ込むことを拒んでいる」

「自分から何かが流れて減った気はしません」

「時計に使う魔力はそれほど大きくない。大型の魔道具の中には、数人がかりで魔力を充填しなければ動かせないものもあるが」

「魔力って、生き物は皆持っているんですよね。犬とか猫に充填してもらうことはできないんですか?」


 シナツは、犬や猫が、肉球を付けて魔道具に魔力を入れる様子を想像してほっこりした。


「可能だが効率が悪い。人間が一番魔力の充填に適している」

「人間は他の生き物よりも魔力が多いのですか?」

「それもある。だが一番の理由は…何と言えば良いのか…そう、人間は魔力の出口が壊れているんだそうだ」

「……壊れ…」


「生き物は、呼吸をするたびに息とともに微量の魔力を吸収し、放出している。体の表面からも常時わずかに魔力が放出されている。

 だが、今お前がやったように、体の一部から大量の魔力を放出することはしない。魔力は生きるのに必要な生命力だ。生き物は大量の魔力の移動を本能的に拒絶するんだ」


 どうやらこの世界のMPはHPと同じものらしい。それともHPをMPに変換しているのだろうか。


「人間はその本能が壊れている…」

「石などの無機物は自分で魔力を作ることはできないが、魔力の入口も出口も壊れているので、生き物の魔力を自分の容量まで受け入れて溜めることができる」

「容量を超えて魔力を注ぐことはできないんですか?」

「魔力容量の限界に達した物体は、それ以上の魔力の流入に抵抗する。今の紅玉がその状態だ。普通に触れても魔力の移動は起こらない。その抵抗を上回る強さで魔力を注入すれば魔力は入るが壊れる。例えば…」


 キサカは庭の小石を拾い、左の掌に載せ、魔力を注いだ。

「普通の石は容量が小さいため、ただ触れただけではほとんど魔力を吸収せず、魔力の移入に抵抗する。…ああ、もう抵抗が来た。だがこの抵抗を上回る強さで魔力を注げば…」


 キサカの掌の上の石にヒビが入り、2つに割れた。


「内側から崩壊する」


 シナツの目には、父親が小石を掌に載せ、何もしていないのに石が勝手に割れたように見えた。


「す、すごい!それを人間にやったらどうなります?」

 気功や北○神拳というワードが思い浮かんだ。


「絶対にやるな!私は自分の息子を人殺しで捕縛したくはない」

「はい…」

「騎士団でも賊を行動不能にするときに用いることもある。が、不慣れなものがやれば相手は死ぬ。あと、私は実戦で使ったことはない」

「危険だからですか?」

「発動するまでに時間がかかる。殴った方が速い」

「使い勝手が悪いんですね。他に魔力を使った戦い方ってないんですか?」


 キサカは少し考えて、自分の左腕の袖をまくり、シナツの指先を肌に触れさせた。


「魔力の動きに注意するように」


 しばらくすると、指先に静電気のようなぴりぴりした感覚が来た。


「何かぴりぴりします」

「今、体内の魔力を左腕の表面に集中させた」


 キサカは左腕を横に伸ばし、訓練用の樫の木剣をシナツに渡し、左腕に打ち下ろすように言った。


「大丈夫だから思い切り打ちなさい」


 そう言われ、シナツは構えを取り、木剣を振りかぶり、一歩踏み込みながらキサカの左腕を打った。

 ゴッと音がして、木剣にヒビが入った。シナツは反動で手が痺れ、木剣を取り落した。


「ああ、木剣が…」


 シナツの子供の力では木剣にヒビが入っただけであったが、これが大人の力と高さからの打ち込みであれば、木剣が砕けたはずだ。それくらいキサカの腕は硬かった。全く力を入れているようには見えないのに。


「…本当に思い切りよく振ったな」

「身体強化ってやつですね!魔力を纏うと、身体が岩のように硬くなるんだ!今、すごい音がしましたけど、痛くないですか?」


 これ、剣と魔法のファンタジー世界でよくあるやつだ、とシナツは興奮した。


「痛みはない。魔力の鎧を纏うと考えればよい。この状態で殴れば鈍器に、受け(ガード)に使えば盾になる」

「力が強くなったりはしないんですか?」

「表面に纏う場合は硬くなるだけだ。力を上げるには、魔力を内側に、筋肉に集める。例えば、足の筋肉に集めると…」


 キサカは軽くジャンプした。ほとんど膝を屈伸させず、普通であれば数センチ浮くぐらいのジャンプしかできないはずなのに、平屋のアフミ家の屋根に飛び乗れるほどの高さまで届き、かなりの高さからの落下なのに、ほとんど音もなく着地した。


「す…すごい」


 これはぜひとも習得したい、とシナツは思った。


「慣れないものがやると体がついていけず、肉離れや骨折、ひどい場合は一生歩けない体になる。決して独りで練習などしないこと」

「はい…」

「これらの技を使いこなすには、先ず魔力の扱いに慣れなければならない。今日はその訓練をする」

「はい!」


*****


 目を閉じたシナツが、庭の草地に座っている。


(1、2、3、4…1、2…1、2、3、4…)


 4カウントかけて、鼻からゆっくり空気を吸い込む。2カウント息を止める。4カウントかけて鼻からゆっくりと息を吐き出す。2カウント息を止める。これの繰り返しだ。

 呼吸は胸式呼吸。肺に空気を溜めては吐き出すことを意識する。


 空気中には微量の魔力がある。それを呼吸で体に取り込むことを生き物は無意識のうちに行っている。それを意識して行い、より多くの魔力を取り込むのがこの呼吸法だ。

 吸ってから吐き出すまでの2カウント。この間に肺の中の魔力を感じ、それを捕えて体に浸透させる。


(いや、さっぱり分からん)


 そのうち魔力を取り込む感覚が分かるようになるというキサカの言葉を信じ、シナツは教えられた呼吸法を練習する。

 これからしばらく、魔力訓練の日は時計の魔力充填と呼吸をひたすら続けることになるらしい。


(地味だ…)


 訓練も地味だが、キサカの実演してくれた魔力を使った戦い方も地味であった。基本的に身体強化しかないらしい。


(思ってたんと違う…)


 火を出したり、風の刃で切り裂いたり、高圧放水したり光ったり。

 そんな派手な魔法は、この世界には存在しないようだ。


(元素分離の魔法もないんだろうな)


 水から酸素と水素を分離する魔法の出てくるファンタジーを読んだことのあるシナツは、密かに魔法で水素が分離できたらいいなと期待していた。


 シナツには壮大な野望があった。

 もし水素が分離できたら、植物油やスライムシリオホラ油に添加してマーガリンを作るのだ。そうすれば、酪農が未発達でバターが入手困難なこの国の料理に革命をもたらすことができたのに。トランス脂肪酸の害は怖いが、それでもシナツはマーガリンを料理に使いたかった。


(パンに塗ったりお菓子を作りたかったな…)

 そんな益体もないこと考えながら、シナツは呼吸法を続けた。


 水素を爆発させたり軍事利用しようと考えるのではなく、料理に使おうと考えるあたりシナツは基本的に平和な人間であり、騎士に向いていないと見抜いた祖母の慧眼はさすがであった。


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0時(10時)    0:00(24:00)(だいたい)

1時         2:24

2時         4:48

3時         7:12

4時         9:36

5時        12:00

6時        14:24

7時        16:48

8時        19:12

9時        21:36

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