第22話 もしも魔法が使えたら(前)
シナツは、スライムとこの国が崖っぷちにあるという事実をひとまず保留にすることにした。今の自分にできることはあまりないし、とりあえずあと100年は保つようだし、今は力を付けて立派な大人になることを考えるべきだ。
そう、力。
これまでシナツは、自分が身に着けるべき力と言えば、体力、知力、財力、免疫力や鈍感力ぐらいしか思いつかなかった。しかしそこに新しい力、
(魔力ですって。奥さん聞きました?)
シナツは、心の中で謎の奥さんに話しかけた。
浮かれている。はしゃいでいる。自覚はある。
しかしはしゃがずにいられるであろうか。魔力ですよ魔力。おらワクワクすっぞ!
シナツは、手習所から帰宅すると、フサとサホに挨拶し、荷物を置くと運動着に着替えた。運動着と言っても特別なものではなく、着古して穴やほつれのあるゆったりとした古着である。
今日は午後から休みの父親に稽古をつけてもらう日であり、フサには予め料理の手伝いができないことを伝えてある。
7歳の秋から本格的に始まった稽古は、馬術、格闘術、剣術、弓術の基礎であり、今年の夏からはこれに水練(水泳)が加わる。
水着なんてない世界なので、水泳は基本的に裸か着衣水泳であり、最終的には流れの速い川で着鎧水泳を習得させられるらしい。
(それ、死ぬのでは…?)
とシナツは思った。
夏が来るのが楽しみなような不安なような…
しかし、今日シナツが父親からつけてもらう稽古は、そのいずれでもない。魔力だ。魔力訓練だ。
ここに至るまでの困難な道のりに思いをはせたシナツは、遠い目になった。
*****
この世界に魔力という謎の力が存在し、魔力を利用した銀行システムが存在し、7歳の秋祭りに希望者は高額のお布施を払えば魔力測定という異世界モノの創作でお馴染みのイベントが存在することをシナツが知ったのは、今年の年明けの銀行でのことであった。
銀行に行った翌日、シナツは、ファスナー開発を手伝わせようとする祖父を振り切り、神殿に駆け込んだ。
「魔力測定をお願いします!」
冬至の翌日に比べれば人出も落ち着いてきたとはいえ、まだまだ多い参拝客の対応に追われていた老齢の男性神職は、キラキラした眼でこちらを見ながらそんなことを言う少年を見つめた。
「…7つになれば、秋祭りで測定できる。その時を待ちなさい」
「7つの秋祭りは去年終わってしまったのです。今からでもできませんか?」
「できぬ」
神職は重々しく言って首を横に振った。シナツはなおも食い下がる。
「今年の秋祭りに年下の子と一緒に測定させてもらうのでも良いです」
「魔力測定は一生に一度、7歳の秋祭りにしかできぬとショゴス様が定められたのじゃ。諦めよ」
「ショゴス様ってどなたですか?」
「この神殿の主神であるスライムの神の御名である」
この国は基本的に多神教である。それぞれの町や村に神殿や祠を建て、それぞれが信仰する神を祀る。王都の神殿は重要作物スライムを司る神を祀っているようだ。
「そこを何とか。ショゴス様に倍の寄付金を払いますから!」
「…帰りなさい」
「賄賂ですか?賄賂も必要ですか?」
シナツは神職の手を取って、銀貨を握らせようとする。老齢の神職は、手を振り払って言った。
「お願い、帰って!」
衛兵を呼ばれそうになり、シナツは慌てて神殿を出た。宗教関係者を敵に回して良いことはない。
これ以上は交渉の余地はなさそうであり、シナツは魔力測定を諦めて帰った。
*****
その後はファスナー開発に忙殺され、シナツは魔力測定について忘れた。
しかし春になって、ファスナーが売り出され、自分の手を離れて時間に余裕のできたシナツは、再び魔力測定について考えるようになった。
手習所の友人のハヤヒトやスルガに聞いてみると、2人とも魔力測定を受けていないことが分かった。下区の子供は測定を受けない子供がほとんどである。庶民にとって魔力とはそれほど重要視される能力ではないようだ。
しかし数少ない測定経験者も手習所にいた。ヲシマ・イヨである。
ファスナーの件で仲良くなったイヨとは、あれから教室で雑談をするくらいには仲良くなった。
イヨの話によると、秋祭りで別室に連れて行かれたイヨは、部屋の中央の机の上に置かれた白い板に描かれた同心円の中央に手を置くように神職に言われた。すると手の触れている所から黄色い色がにじみ出し、色は板の上をしばらく放射状に広がった後に止まった。
「梔子の4」
神職が色見本を見ながら色と数字を告げ、それを木札に書いたものが渡された。「梔子の4」が、ヲシマ・イヨの魔力の色と量である。
「それだけのことよ。正直イサガ金貨1枚の値打ちはないと思うわ。でもお父さんが、侍女や女中として奉公する機会があるかもしれないからやっておけって。侍女は魔力が分かっていた方が有利なんですって」
「侍女って魔力がいるの?」
「魔道具に魔力を充填する仕事があるからね」
魔道具、と聞いたシナツは、え、そんなファンタジーな道具を見たことがないぞ、と思った。
「この灯りも魔道具よ」
イヨが天井を指すのを見上げれば、教室の天井から吊り下げられているランプが見えた。注意してみると、炎の灯りではない。電灯のように白っぽい光だ。
「上区の街灯は全て魔道具よ。あと高位貴族のお屋敷の灯りや台所の竈もお風呂も魔道具らしいわ」
そう言えば、銀行のシステム、あれも魔道具か。
「魔道具は、基盤に直接魔力を充填するか、魔力を溜めることのできる石に魔力を充填することによって動かすことができるの。大きなお屋敷では使用人の仕事の1つよ。
魔力の多い侍女や女中は、就職先に困らないと言うわ。
あと、貴族は魔力を尊ぶから、結婚相手に魔力が多いことを望むお家も多いらしいわ。高位の貴族は魔力測定が義務付けられているとか。
ああ、そうそう、騎士の方も、魔力を戦いに用いると聞いたことがあるわ」
「え?魔力を用いた戦い?何それ」
「詳しくは知らないわ。というか、何でアフミ君が知らないのよ」
お父様、現役の騎士でしょ。イヨにそう言われたシナツは、その日の夜、仕事から帰ってきたキサカを質問攻めにした。
「父上、魔力を使った戦い方を教えてください。どんな魔法があるのですか?風魔法?水魔法?闇や光なんかもありますか?水素や酸素といった元素を操る魔法とか聞いたことありませんか?」
部屋着に着替えている所に突撃してきた長男をちらりと見ると、キサカはため息を吐いて帯を締めた。
「お前にはまだ早い。もう少し成長してから考える」
今日は王宮で梅見の宴が催され、近衛のキサカは会場の警備の任にあたっていた。春は名のみの寒さの中、火のない廊下でずっと立ちっぱなしであったため、身体の芯から冷えて疲れている。
「せめてせめて、魔力の使い方を教えてくださいっ」
シナツはキサカの足にしがみついた。サホがよくやるコアラハグである。
自分の
「コラッ!シナツ!お父さん疲れているのよ。いい加減にしなさい!」
キサカの着替えを手伝っていたアシナが息子を叱るが、シナツはキサカから離れない。
「なにとぞなにとぞ…」
困惑したキサカとアシナが目と目を見交わした。
この子がこんなに我が儘を言うのは5歳の頃に倒れて以来ではないだろうか。
2年前、高熱を出して倒れるまで、シナツはどちらかと言うとやんちゃで生意気な少年であった。自分の思い通りにいかなければかんしゃくを起こし、叱れば泣き喚く、ごく普通のクソガキであった。
それが、高熱から復活して以降、シナツは全く我が儘を言わなくなったのだ。
言葉を話せなくなるという異常事態に気を取られて気付くのに遅れたが、実はこちらの方が異常度は高かった。いや、子育てする方は楽ではあるのだが…
妙な言動で周囲をかき回すが、こちらが「そうではない」、「そうしてはならない」と諭せばあっさり了承し、言動を改め、二度と同じ過ちを繰り返さない。騒動を起こす割に実害は少ないのだ。
その『良い子』のシナツの久々の我が儘に、両親は困惑しつつ、どこか安心していた。
シナツがこれほど必死になっているのは、去年、一生に一度のビッグイベント魔力測定のチャンスを知らぬ間に逃していたことに忸怩たる思いを抱いていたからだ。
(現役騎士の父親から魔力について学べるチャンスを逃してなるものか!)
自分の足にしがみつく息子に困惑しているキサカの手をトントン、と叩くものがあった。娘のサホである。
「ととちゃ、サホからもおねがい。まほう?をあにちゃにおしえてあげて」
そして、「イ…イケメン…」と感動しているシナツの肩をポンポン、と叩き、
「あにちゃ、ととちゃがあるけないから、はなしてあげて。あぶないのよ」
と、普段の自分の必殺技であることを棚に上げて言った。おまゆう、と思いながら、シナツは父の足から離れた。
キサカはため息を吐くと、シナツに向き合った。
「次の訓練の日に魔力の扱い方について教える」
「ありがとうございます!」
「自分独りで練習したり、他人に向けて用いることは許さない」
「はい!」
「あと、神職にご迷惑をかけないように」
「………」
シナツは目を泳がせた。何故ばれているのだろう…
「お前が新年に神殿で暴れたことを教えてくれた方がいる」
「…申し訳ありませんでした…」
新年に神殿で魔力測定について神職のお爺さんと揉めているのを見た人がいたらしい。新年の参拝客も多かったし、その中に近所の人でもいたのかもしれない。気を付けよう、とシナツは思った。
*****
そんな訳で、今日は待ちに待った魔力訓練の日である。
家の庭で訓練するというので、シナツは庭を片付け始めた。
下区の住宅地にあるアフミ家の、通りに面していない裏手に、塀に囲まれた小さな庭がある。庭木が何本か植えられた他に、木製の物干しがある。
庭木は梅や柘榴、青木などがあり、梅は花が終わり、葉を茂らせて小さな実を付け始めている。
(そう言えば、この世界に梅干しってあるのかな)
今年は梅の実を収穫して、梅干しや梅酒を漬けてみようかな、とシナツは思った。
朝に母親が干して行った洗濯物が乾いていたので、籠の中に取り入れる。お手伝いしたそうにサホが付いて来たので、
「おてつだい~おて~つ~だい」
サホは自分で作詞作曲したお手伝いの歌を歌いながら、手巾を丁寧に、時間をかけて、しかしよれてぐちゃぐちゃのしわしわに畳んだ。
「ありがとう」
と言いながら、シナツは後でやり直さねばと思った。
サホと一緒に居間で洗濯物を畳んでいると、キサカが帰ってきた。今日は午前で仕事が終わる日だ。キサカは部屋着に着替えると、訓練用の木剣を持ってシナツと共に庭に出た。
当然のようにサホもついて行こうとしたが、キサカに居間に残るように言いつけられ、無情にも彼女の眼前で庭につながる扉が閉じられた。
「ぬー!」
怒ったサホは、籠の中の洗濯物の小山の上でふて寝した。
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