第16話 戦士の休息

 冬至は1年の終わり、太陽が一番弱くなる日であり、災いが近寄りやすい。その日は王族も平民も外出を控え、暖かい家で家族や友人と過ごす。

 普段よりも皿数が多く豪華な夕食を楽しんだ後は早めに就寝し、夜が明ければ新年である。


 冬至の前後10日ほどは手習所の冬休みである。

 シナツは、冬至と翌日は家で過ごすことができたが、新年2日目にヒカワに拉致され、彼の工房に監禁された。以来、ひたすら面ファスナーの剥離耐久試験を繰り返していた。


 まだ学生なのに社畜と化したシナツを哀れに思い、ヒカワを止めようと、翌日シナツの両親と妹が工房を訪れた。


*****


「お父さん、いい加減にして!シナツはまだ子供よ。こんなになるまで働かせないで!」


「20、21、22」


 虚ろな目をして面ファスナーを剥がしては貼るを繰り返す息子の姿を見て、アシナは声を荒げた。


「し、しかし、あと少しで完成なんじゃ」


「23、24、25」


「お義父さん、私に手伝えることはありませんか?シナツが今やっている作業なら、詳細を知らない私が代わっても大丈夫ではありませんか?」


 サホを抱えたキサカが言う。ヒカワはしぶしぶ頷き、キサカに作業の手順を教える。

 サホはキサカの腕から下ろされると、シナツの作業する机の方にとことこと歩いた。


「26、27、28」

「あにちゃ」

「29、30、31」

「あにちゃ、もういいの」


 サホはそっとシナツの腕に触れた。シナツはびくっと震えて数えるのを止め、サホを見た。


「[面ファスナー]が、[面ファスナー]の山が終わらないんだ…」

「だいじょうぶよ。ととちゃがかわってくれるの」

「父上が…」


 シナツはのろのろと顔を上げ、工房にキサカとアシナがいるのを認めた。


「少し休みなさい」


 キサカに言われ、シナツは机に突っ伏した。


「あにちゃ?」

「…なんだか眠いんだ…」

「あにちゃー!」

「お父さん!どれだけ働かせたの?食事や睡眠はちゃんと取らせたんでしょうね」


*****


 イハセ家の居間に運ばれたシナツは、目を覚ますとクッキーとお茶の軽食をつまんだ。


「ちょっとお母さん、まさかシナツの食事を抜いたり、眠らせなかったりしていないでしょうね」

「ちゃんと食事とトイレと入浴と就寝の時間は取りましたよ」


 緑茶をカップに注ぎながらキクリが言う。


「…つまりそれ以外はずっと作業していたの?お父さんはともかく、7歳の子供にそれはひどい」

「この店には今、追い風が吹いてます。商機ってのは、見逃したら次に来る保証はありません。商売人なら多少無理しても、この機会を掴まなきゃ」


 茶を飲みながら、シナツは、

(バアさんもたいがいに体育会系社畜だな…)

と思った。


「シナツは商売人じゃありません!騎士の子です。そもそもまだ子供です!」

「この子に騎士は向いていません。商売人や職人向きですよ」

「そんなことは…」


 あるかもしれない、とアシナは思った。妙な言動の多いこの子が、騎士団の縦社会でやっていけるのだろうか。アシナは不安に思った。


「と、とにかく、この子は今日は休ませます」


「そうですね。それがよい」


 母と祖母が言い合うのを聞きながら、シナツは小麦のクッキーをかじった。バターの代わりに植物油を使ったクッキーは、サクサクホロホロした軽い口当たりである。前世のイタリアのお菓子タラリーニに似ている。

 これはこれで美味しいが、どっしりした前世のバタークッキーが懐かしい。酪農が発達していないこの国のお菓子は、どうにも風味が弱い。


「サホも食べなよ。美味しいよ」


 シナツがクッキーを差し出すと、サホはシナツの足にしがみついたまま、顔を上げてぱくりとクッキーを咥えた。


「おいちい」


 もむもむと口を動かしながら、サホが言う。


「ほら、お白湯も飲んで」


 シナツが冷めたお湯の入ったカップを差し出すと、サホはカップの縁を咥える。シナツは少しだけカップを傾けてサホに飲ませる。


「誤嚥とか怖いんで自分で飲んでくれない?」

 と、シナツが言うが、サホは「や」と拒絶をする。


 サホの両手は、シナツの足を掴むという大事な仕事があるのだ。


 祖父に拉致された兄は、翌日、やつれ、虚ろな目で数を数えていた。その上、サホの目の前で倒れたのだ。この出来事はサホの心に傷を残した。

 自分が兄を守らねば、とサホは心に誓った。


「急に暇になってしまった…」


 シナツはクッキーをかじりながら呟いた。この冬休みはヒカワとファスナー開発をするつもりで、他に予定を入れていない。

 休日の社畜のように手持無沙汰になってしまった。


「暇なら、銀行に行ってきたらどうかしら。銀行は今日からやっているはずよ」


 祖母がお茶のお代わりを淹れながら言った。


「銀行?」

「手形、作ってからまだ確認していないでしょ?

 今回の[ファスナー]とやらのアイデア料も入れておいたから確認しておきなさいな」


 キクリは今の棚を探ると、紐でまとめられた小さな巻物スクロール――シナツにはそれが前世のレジのレシートロール用紙に見えた――を差し出した。


「銀行に行って、受付にこれを出せば確認できますよ」

「へえ」


 前世の通帳の代わりになるものだろうか。シナツは巻物を受け取った。


「じゃあ、暇なんで銀行に行ってきます」


「今日は新年の市が立っているから、人が多いよ。スリも多いから気を付けて。夕食までには戻りなさい」


 祖母に声をかけられ、シナツはサホと新年の街に出ることにした。

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