第15話 やがて悲しきR&D

 無数の輪が飛び出たループ面と、先端の曲がった細かい鉤が並ぶフック面。この2種類の布表面を貼り合せるとループにフックがひっかかり、くっついてしまう。と言っても糊付けしたときのように固く接着することはなく、手で簡単に引き剥がせる。


「48」


 貼り合せ、引き剥がす。


「49」


 貼り合せ、引き剥がす。


「50!終了!」


 そう言うと、シナツは机に突っ伏した。

 ヒカワは孫の手から布を取り上げ、じっくり検分した。


「ふむ、フックの形も保たれている。条件3-15の蜘蛛絹糸も合格だ」


*****


 事の発端は、例のシナツ袋であった。


 シナツ袋、いわゆるシームポケットの付いた下衣ズボンを売り出すにあたって、ヒカワは王都の有名劇団の売出し中の若手俳優とスポンサー契約を結んだ。資金援助をする代わりに、その俳優が主演の演目の劇中でシナツ袋付き下衣を穿くこと。シナツ袋付き下衣を穿いた姿絵を描かせること…などなど。


 その宣伝効果は絶大なものとなった。


 その俳優が主演の劇は、古典的な恋愛モノであった。そのクライマックス、主人公が恋敵に殴られ、恋敵に決闘を申し込むシーンで、俳優は、シームポケットから手巾ハンカチを出し、殴られ出血した口の端を拭うと、恋敵の顔に手巾を投げつけるというアドリブを入れた。これが観客に大いに受け、彼に憧れた若者が大挙して、シナツ袋付き下衣を買い求めにイハセ商店にやってきた。


 姿絵もまた評判になった。俳優がシームポケットの縁から親指だけ出した状態で両手をポケット入れ、物憂げな様子で柳の木にもたれる姿絵は発売即日に完売した。彼に憧れた若者が大挙して…以下同文。


 シナツ袋まさかの大ヒットであった。


 こうして若者の間で人気が出たシナツ袋付き下衣だったが、単純な構造のため、やはり模倣する店が出てきた。

 「元祖シナツ袋の店」として優位は保っているものの、一時に比べて売り上げは落ちている。


「簡単に真似のできない新商品が欲しいのう」


 ため息をつきながらそう呟いた祖父に、泊まりに来ていたシナツは、

「いやいや、そんな都合の良い新商品なんてありませんよ」

と笑って言った。

 するとヒカワは、そんな孫の両肩を掴み、顔を覗き込んで言った。


「いや、あるぞ。ほら、あれじゃあれ。お主が以前言っておったあれ」

「記憶にございません…」

「なんて言ったか、そう、[ファスナー]とやら」

「………」


「[ファスナー]開発、やろう」


 そうヒカワが言ったのが、秋の終わり、そろそろ冬の足音が聞こえる頃のことであった。


 線ファスナーと面ファスナー。

 いわゆる商品名ジッパーとマジカルなテープのことである。


 前世の大学の特許の授業で、この2種のファスナーの特許についてレポートを書くために調べていたことを思い出したシナツが、以前うっかりヒカワに教えてしまったのが運の尽きである。


 線ファスナー(ジッパーあるいはチャック)については、可能な限り構造を思い出したシナツが図面を起こし、それを元に、金属ボタンなどを作ってもらっている専属の鍛冶職人に試作してもらうことにした。


 面ファスナー(マジカルなテープあるいはベルクロファスナー)も専属の織物職人に丸投げしたかったのだが、ヒカワが秘密保持のため関わる人間を減らしたいと言うので、ヒカワとシナツが中心となって開発することになった。


 技術上はあまり問題がなく、既にタオルに使われているパイル生地の織り方が確立されているため、それを応用すればループ面は簡単に作れた。そしてそのループを頂点から少し外れた1点でカットすれば、フックもできた。


 問題は、すぐに形が崩れてしまうことであった。

 この世界には、ナイロンのように強度や弾力性、耐摩耗性に優れた合成繊維がなく、あるのは葛や麻や綿などの植物繊維、絹や、ほぼ輸入品だが羊毛などの動物繊維だけだ。


 商売柄様々な繊維が揃っているヒカワの工房で、2人は面ファスナーを試作した。その結果、有望な素材が見つかった。


 この国には、ナイロンのような合成繊維は存在しないが、その代わりに、前世になかった不思議繊維があるのだ。


 蜘蛛絹糸である。


 蜘蛛絹糸は、主島の北西部に位置するブルトゥス領の特産品である。蜘蛛蚕アラクネと呼ばれる特殊な蚕の出す糸は、蜘蛛糸のように細く丈夫であり、それを紡いだ蜘蛛絹糸で織った布を熱などで処理すると、非常に硬くなる。蜘蛛絹糸の防具は鎖帷子よりも軽く頑丈な防刃ベストとして騎士が身に着けている。


 この蜘蛛絹糸で面ファスナーを試作したところ、非常に性能が良かった。


「しかし蜘蛛絹糸か…高価な糸だからのう…どうしても製品が高くなってしまうな」

 と、ヒカワが言うので、

「蜘蛛絹糸の2級品とかないんですか?」

とシナツが聞いたのが本当の地獄の始まりであった。


「ある。育てる地方や季節によってランクが色々あるから、お手頃な糸も探せばある」


 そこでヒカワは様々な等級の様々な太さと撚りの蜘蛛絹糸を取り寄せ、様々な条件で面ファスナーを作製し、様々な試験を行った。


 これを人海戦術でやれば時間もかからないのだが、秘密保持を望むヒカワは他人に知られることを嫌い、全工程をシナツと2人きりでやることを選んだ。


 イハセ家の主人のヒカワであるが、実は最初から跡取りだった訳ではない。


 主島の東の地方の庶民は昔から「姉家督」といって、性別を問わず最初に生まれた子が家を継ぐ習慣があった(もちろん最初の子が男ならその子が継ぐ。兄家督でもあるが、こちらは一般的なので言及しない)。


 ヒカワは長男であったが上に姉が2人いて、家を継ぐ見込みがなかったことから、同業他家に修行に出され、下働きから始めた。そのため、機織りや裁断縫製が一通りできるのである。しかし跡取りの長女が若くして病死し、次女は駆け落ち同然で嫁いでしまったため、急遽ヒカワが呼び戻され、すったもんだの末にイハセ家を継ぐという一幕があったのだ。


 現場の経験が長かったヒカワは経営者というより職人気質であり、経営に関することは妻のキクリに任せ、衣類の開発をしていたいと常々思っている。彼の工房は、織機や足踏みミシンといった機器を備えた研究開発の拠点である。[ファスナー]という新商品の開発に燃える彼は、孫と2人で工房に籠ることにした。


 選ばれたシナツはたまったものではなく、たびたび脱走するのだが捕まって、地獄の研究開発(R&D)に付き合わされることになった。

 さすがに手習所には行かせてくれたが、手習所の帰りにヒカワの工房に連行され、社畜のように働かされた。


 そうこうしているうちに、年末を迎えることになった。

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