第13話 異世界メンデル無双

 シナツは馬房の掃除を終えると、

「アサマ姐さん、掃除終わりました」

と父の天馬にへりくだって報告した。アサマは、ご苦労、と言いたげにブルルと鳴いた。


 馬と少年の間に上下関係が確立されていた。もちろん馬が上で少年が下である。

 しばらく待っていると、キサカが馬医者を連れて戻ってきた。


 馬医者は、年の頃は40前後の背の高い痩せた男であった。作業着なのであろう生成りの割烹着のような白衣を着て、大きな鞄を下げている。足が悪いのか、杖をついて歩いている。


 馬医者はアサマの診察を始めた。

 邪魔をしてはいけないので、シナツは父と並んで少し離れてその様子を見守った。


 厩舎の外では、名も知らぬ鳥がチュビチュビと鳴いている。そろそろ昼だ。シナツはお腹が空いてきた。


「…夕方から雨が降るな」


 ぽつりとキサカが呟いた。今日は朝から雲ひとつない快晴だ。だが父が雨と断言するのであれば、降るのであろう。キサカの天気予報というか予知はかなりの精度なのだ。


「アフミ殿がそう言うのであれば、これから雨でしょうね」

 アサマの蹄を見ながら馬医者が言う。キサカの天気予報は騎士団でも知られているようだ。


「特に異常はありませんが、足が少し熱を持っています。念のため消炎剤を塗っておきます」

 馬医者はそう言って、鞄の中から薬を出して、アサマの治療を始めた。


「天馬って、普通の馬と同じ薬を使うんですか?」

 シナツが馬医者に質問する。


「こら、先生の邪魔をしてはいけない」

 キサカが咎めるが、馬医者は笑って答える。

「大丈夫ですよ。ええと、君はアフミ殿の息子さん?」

「はい。初めまして、アフミ・シナツです。今日は乗馬の訓練のため、馬場にお邪魔しております」


「私はイナハ・ケヌ。騎士団の兵馬司で馬医者をやっています。

先ほどの質問は『はい』です。天馬と常馬の薬はほとんど同じものを使っています。ただし、天馬の方が体がやや大きいので、薬の量も多くなりますね」


「へえ、天馬って、大きさ以外に常馬と違いはないんですか?」

「一番分かりやすい違いは眼ですね。天馬は全て金色の眼をしています。他にも天馬は常馬よりも寿命が長く、人と意思疎通ができ、空を飛ぶことができます」


 それは先ほど、身をもって知りました、とシナツは思った。天馬は羽もないのに空を飛ぶ。シナツはこの世界の常識をまた1つ知った。


「このように違うところが多いのですが、天馬と常馬は子供を作ることができます」

「交配できるんですか」

「この馬場にいる馬は全て天馬です。というか軍馬は全て天馬です。厳密に血統管理されています。常馬は民間の牧場にいます。常馬は我慢強く従順なので、農作業の手伝いなどに重宝されています。優秀な天馬の血筋が欲しい民間の牧場はウチや他領の官営の馬場に天馬の種付けを申し込みます」

「へえ、お高いんでしょ」

「まあ、ウチの大事な財源です」


 いつの間にか、馬医者――ケヌは、アサマの治療の手を止め、話に熱中し始めた。アサマが不満そうに彼を睨んでいるが、気付いていない。


「民間の純系の常馬、すなわち、先祖代々常馬の牝馬に、ウチの純系の天馬の牡馬の種を付けて子供が生まれると、その子は必ず常馬になります」

「え?高い金払って種付けしたのに、常馬が生まれるのですか?」

 詐欺じゃん、とシナツは思った。


「まあ待ってください。この混血の常馬が、同じく混血の常馬と子供を作ると、どんな子供が生まれるでしょうか。アフミ殿?」


 びしっと、指さしで指名されたキサカは、しぶしぶ答えた。


「常馬と天馬のどちらか…」

「正解!孫の世代で常馬か天馬のどちらかが生まれます。経験的に常馬が生まれる確率が高いことは知られていましたが、これまでちゃんとしたデータはまとめられていませんでした。

 そこで私は、過去に天馬の種付けをした民間の牧場と連絡を取り、その後どんな馬が生まれたかが描かれた系図を写させてもらったのです。すると、すごい事実が判明したのです!

 混血の常馬同士から生まれてくる子の常馬と天馬の比率が分かったのです。何対何だか分かりますか?シナツ君?」


 シナツは、この馬の子供の話にデジャブを覚えた。

 子供が両親の形質の中間ではなくどちらか一方の形質になるとか、その孫世代が何対何で生まれるとか。


(高校の生物学の授業か!生物の吉川先生がそんな感じの話をしていたような…たしかエンドウマメが丸かったりしわだったり…)


―――丸としわの比率は3:1。はい、ここテストに出るよー!


 吉川先生、愛称ヨッシーのだみ声が脳裏に甦る。


「3:1?」

 シナツがそう答えると、ケヌはその場に崩れ落ちた。


「イナハ殿?いかん、アサマ落ち着け!」


 すぐ近くで急な動きをされてアサマが驚き、思わずケヌを蹴りそうになる。慌ててキサカが間に入り、アサマをなだめた。


「だ、大丈夫ですか?」


 うずくまるケヌにシナツが問いかける。彼はうずくまって何やらブツブツと呟いている。

「…大発見だと思ったのに、子供にも思いつく結果だったなんて…」


 まずい。自信を喪失している。とシナツは慌てた。


 これは世紀の大発見である。


 前世の記憶を持つシナツには分かった。

 ケヌの言った常馬と天馬の話が、前世の遺伝学の祖であるメンデルのエンドウマメの実験に匹敵する大発見であることが。この発見を元に、この世界でも遺伝学が発展するはずなのに、シナツの余計な一言が原因でケヌが自信を喪失してしまった。


 このままでは、ケヌはこの大発見を発表することなく研究をやめてしまうかもしれない。遺伝学の発展が何十年と遅れてしまうかもしれない。『歴史に介入して文明の発展を阻害する系の転生者』という不名誉な称号が自分に贈られるかもしれない。それだけは避けなければ!


「先生!イナハ先生!誤解です。適当な数字をあてずっぽうで言っただけです。何で3:1なんでしょう。教えてください!」

 この世界に灯ったばかりの遺伝学の灯火を絶やしてなるものか。シナツは必死でケヌを励ました。


「…混血の常馬同士の子供は、常馬が3に天馬が1の割合で生まれてきます。複数の民間の牧場の系図で同じ結果が得られました。

 つまり、必ず常馬を生む純系の常馬と、混血の常馬は、同じものに見えて、本質が異なると仮定しました。この本質を私は『要素エレメンタム』と名付けました。

 次に、この要素は2つで1つの組となり、1つの形質を表すと仮定します。

 例えば、純系の常馬という形質は「常・常」、純系の天馬は「天・天」、そして混血の常馬は「常・天」という要素で表すことができます。

 そう考えると、この3:1を説明することができます」


 ケヌは、近くに落ちていた小枝で地面に「常・常」と書き、その隣に「天・天」と書いた。


「純系の常馬と純系の天馬の間で子供を作るとき、子供は両親から1つずつ要素をもらいます」

 そう言って、ケヌは「常・常」の一方の「常」を丸で囲み、「天・天」の一方の「天」を丸で囲み、下の方に「常・天」と書いた。


「こうしてできた混血の常馬の要素は「常・天」となります。常と天の両方の要素を持つと、強い方の要素、この場合は「常」が勝ち、生まれてくる子の形質は必ず常馬になります。

 次に、混血の常馬同士が子供を作ります」


 ケヌは「常・天」の隣にもう1つ「常・天」と書く。


「同じように両親の要素を1つずつ出して2つの要素の組み合わせを作ると、「常・常」「常・天」「天・常」「天・天」の4つの組み合わせができます。「常・天」「天・常」は同じものと考え、「常・天」が2つと計算します。

 つまり「常・常」:「常・天」:「天・天」が1:2:1でできます。

 「常・常」「常・天」の形質は常馬に、「天・天」の形質は天馬になります。

 すると、常馬:天馬は3:1に!」


 シナツは拍手した。


「すごいです、先生!3:1が見事に説明されています。これは大発見ですよ。発表しましたか?」

「いやあ…自分では大発見だと思ったんだけど、周りの人に言っても「ふーん、だから何?」みたいな反応で、こんなに絶賛してくれるのはシナツ君が初めてですよ」


「発表しましょう!この広い世界、この発見のすごさを分かってくれる人は必ずいます。今はいなくても、十年後百年後に現れるはずです。その人のために発表しましょう。学術的な発表ってどうすれば良いんですか?」


「論文や学会発表ですね…学問所の教授が恩師なので、その方に頼めば力になってくれるとは思いますが…」


「そんな便利な知り合いがいるのなら、すぐに連絡を取ってください!

 あと、この現象が馬だけではなく他の生き物にも当てはまるのかの検証が必要です。動物より植物が扱いやすいので、植物の交配を行って検証実験をしましょう。

 育てやすくて色々な品種がある豆が良いです。中でも僕はエンドウマメピームス推しです!」


「エ…エンドウマメ?」

「ちょうど今頃が種まきの時期です。色々な品種のエンドウマメを蒔いて、春に花が咲いたら授粉作業です」

「シナツ君、何でそんなに豆に詳しいの?」

「以前、[小豆]を探して王都中の乾物屋と種苗屋を廻ったことがあるもので」


 自分の息子の主導で謎の実験計画が立てられていく。キサカは、治療を中断されて不満げなアサマを宥めながら、意気投合する同僚と息子を眺めた。


 イナハ・ケヌは、王都騎士団所属の馬医者である。

 人当たりが良く、腕も良く、骨身を惜しまず働く評判の良い馬医者だ。


 1つ欠点を挙げるとすれば、「研究バカ」なところだ。


 学問所を首席で卒業した秀才だが、何かやらかしたらしく、騎士団の兵馬司という窓際に追いやられている。

 診療所に実験器具や水槽、鉢植えを持ち込んでは研究所に改装し、業務時間外に業務とは関係のない謎の実験を行っている。

 公私混同を咎める者もいるが、定期的に論文を出して成果を上げており、業務時間は真面目に仕事しているため、上層部も黙認している状態だ。

 研究の話を始めると止まらず、周囲の者を辟易とさせている。


 突出して腕が良く、残業を厭わない者でなければ、とっくに首になっているはずの男だ。

 王都騎士団で知らぬ者のいない変人が、自分の息子と楽しげに語らう姿を、キサカは複雑な思いで眺めた。


(変人は変人を知る…)


 シナツは5歳の頃、高熱を出して寝込んだことがある。

 三日三晩寝込み、熱が引いて起き上れるようになったら、今度は会話ができなくなっていた。


「父、我、[リンゴ]好む、也」


 リンゴマールムをいちょう切りにしてシリオホラの砂糖をまぶしてくたくたになるまで煮込んだ煮リンゴ。病人食としてよく食されるそれを木匙ですくって食べさせてあげると、病み上がりのシナツがそう言った。


 数日前に

「おとうさん、リンゴおいしいね」

と笑って言った息子の変貌に、滅多なことでは動じないキサカも匙を取り落した。


 色々な医者に診せたが原因が分からず、熱で脳が変性したのではないかと言われた。

 妻のアシナは、赤子のサホの育児とシナツの看病が重なった心労で心を病み、シナツがこうなったのは自分のせいだと思い詰め、一時はひどい気鬱に悩まされた。

 義父のヒカワと相談し、今は子供たちと距離を取った方が良いと判断し、日中は実家の家業を手伝わせることにした。


 当時のアフミ家は割と崩壊待ったなしの危機的状況だったのだが、その中心にいたシナツはマイペースに

「これが異世界転生…チートは?スキルは?…ステータスオープン!…何も出ないじゃないか。期待させやがって!」

と異世界生活を楽しんでいた。


 そうこうしているうちに、シナツは1から言葉を学び直し、今では他の子供たちと変わりなく普通に喋れるようになった。


(他の子供たちと変わりなく…?普通に…?)


 いや、かなり変わっている。

 料理を始めたり、それを義父に売りつけたり、変人と名高い馬医者と実験を計画したり。


 しかし、高熱でうなされている姿や、その後の会話できない頃を思い返せば、元気で動き回っている息子を見るだけで安心する。


(変人でもよい。元気に育ってくれれば)


 体罰は悪という概念のないこの時代、息子が奇行に走れば、鉄拳で制裁して止めるのが普通である。しかしキサカは滅多に暴力でしつけをしない。あまりに酷い、生命にかかわる奇行は殴って止めたが。言葉の通じる相手を殴って育てるのは体力の無駄だ、という合理的な考えの持ち主であるのも理由の1つだが、キサカがシナツを暴力でしつけない一番の理由は、


(頭に衝撃を与えて、再びあの5歳の頃の状態になったらどうしよう…)


 トラウマである。

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