第12話 天馬空を行く
近衛の夜番の翌日は、必ず休日になる。
秋晴れのさわやかな朝、シナツは休日の父と共に、王城の隣にある馬場に来ていた。事前に申し込めば、騎士の家族も外れの馬場を使うことが許される。
今日、初霜月の17日はシナツにとって記念すべき初めての乗馬の訓練である。
ちなみにこの国に月と日はあるが、週はない。1年は365日、12カ月あり、1カ月の日数は様々であるが、今月の初霜月は30日まである。
夏と冬の長期休暇を除いて、休日は職種によって様々であるが、手習所の休日は5、15、25日と5の付く日であり、シナツは前世のネットショップのポイントキャンペーン日を連想した。
つまり今日は17日で、手習所は休みの日ではない。下区は家の仕事の手伝いで手習所に来られなくなる子供も多いので、事前に教師に連絡すれば、休みは簡単に取れるのだ。
(皆が学校で勉強しているときに堂々とサボれるって、ワクワクするなー)
シナツは馬場の柵にもたれて、青い空を見上げた。
秋の風が頬をなで、髪をすく。
シナツは、ここに来る途中で拾った「何かいい感じの小枝」を指揮棒のように振って、前世の流行歌を鼻歌で歌った。
馬場にはサホもついてきたがり、例によって出発前に、
「サホもいきます!」
と、ベアハグならぬコアラハグでシナツの足にしがみついた。
シナツが困っていると、キサカがやってきて、コアラ化したサホをべりっと引きはがした。さすが現役騎士。力が強い。
「馬場は大人でも怪我をすることがある危ない場所だ。手習所に通う年になるまでは連れていけない」
そう父に諭されると、サホはしぶしぶ頷いた。
赤子の頃からサホは駄々をこねたり泣き喚いたりすることが少なかった。聞き分けが良くて助かるが、
(何かこいつのこういう所、子供らしくなくて不気味なんだよな…)
と、シナツは思っていた。
彼は、自分も周りからそう思われていることに気付いていない。
やがてキサカが、馬具を装備された1頭の馬を連れて厩舎から出てきた。
栗毛の美しい牝馬である。天馬という品種であり、普通の馬である常馬よりも体が大きく寿命が長い。
下級騎士の多くは自宅で馬を飼えず、自分の馬をこの馬場の馬房で預かってもらっている。
馬の預かり料や餌代は給金から引かれている。この額が家計を圧迫しており、アフミ家では家族4人の食費よりも馬にかかる金額の方が高い。アフミ家はエンゲル係数の低いタイプの貧乏である。
「シナツ、彼女がアサマだ。挨拶を」
挨拶?馬に?シナツは戸惑ったが、アサマに向かって
「よ、よろしく」
と言った。アサマはブルブル、と鳴いて天を仰いだ。
シナツは何故か馬に馬鹿にされた気がした。
「天馬と聞いていたので、羽が生えているのかと思っていました。普通の馬なんですね」
「羽?馬に?」
相変わらず、この子の発想はよく分からない、とキサカは思った。
キサカは馬に関する基本の注意点――大きな音を立てないこと、真正面や後ろに立たないこと――などを伝えた。そして、アサマの体に触れさせたり、キサカと一緒に引き綱を引いて歩かせた。
他にも手綱の引き方、足の使い方など、一通り説明を終えれば、いよいよ体験乗馬である。
キサカは、シナツを鞍の上にのせた。まずはキサカに引き綱をしてもらいながら、常歩で馬場を周る。
慣れてきたところで、いよいよシナツ独りで乗馬する。
「アサマ、頼んだよ」
キサカの言葉に、アサマは彼の頬にそっと鼻をすり寄せた。
ラブラブである。シナツは父の浮気現場を目撃した気分になった。
シナツはアサマを歩かせた。姿勢と重心に気を付けながら、ゆっくりと進む。
ところが、馬場を半周した辺りで、アサマが止まって動かなくなった。
「おい、進めって。どうしたんだよ」
実はそのとき、シナツは、手綱は「待て」足は「行け」の相反する指示を出していた。
アサマは優秀なので、このまま馬場を1周して、キサカの待つ地点に戻ればよいことが分かっていたが、この下手くそな人間の子供を乗せることにうんざりしており、忖度をやめて停止した。
シナツは困惑した。アサマが急に動かなくなってしまったのだ。
(ええと、馬を動かすにはニンジンを鼻先につるす?いや、そんなもの持っていないし…あ、ムチ、競馬のようにムチで叩けばよいのか!)
シナツの今日一番の不幸は、来る途中で拾った「何かいい感じの小枝」を捨てずに、帯にさしていたことである。
シナツは枝を取り出すと、アサマの尻にぺし、と振り下ろした。
アサマは激怒した。
アサマはぐわっと前足を高く上げ、数秒間後ろ足だけで立った。元の4つ足に戻ったかと思えば、今度は猛然と駆け出した。
(落ちる落ちる!)
シナツは必死に手綱を握った。
何が起きたか分からないが、手を離したら大怪我、下手をすれば死ぬことだけは理解した。
前方を見れば、馬場の柵が近づいていた。
このままではぶつかる、と思った次の瞬間、シナツはふわっと体が浮くのを感じた。
アサマが飛んだ。
跳ぶのではなく飛んでいた。馬場の上空、2階と3階の間ぐらいの高さを飛んでいた。
正確には、高く跳び、重力に従って落ちる前に、空気を蹴って飛ぶ、を繰り返して滞空していた。
(空気って蹴れるの?)
すなわち、上がっては下がるを繰り返しており、シナツは前世のジェットコースターを思い出していた。
(安全バーなしのジェットコースター…死ぬ)
手綱を掴む手と鞍を挟む腿の感覚がなくなってきた。握力が限界に近づいている。上下に激しく動く景色を見ているうちに、酔ってきた。
ピー、と高い音が聞こえた。音の方を見れば、キサカが指笛を吹いていた。
すると、アサマは空を駆けるのを止め、ゆっくりと着地した。
かなりの高さがあったはずなのに、着地の衝撃はほとんど感じなかった。
キサカが近づくと、アサマは不安そうに神経質に両耳を動かした。
「怪我はないか?」
キサカが顔を撫でて声をかけると、アサマはキサカの胸に鼻を押し当てた。
「叩かれて驚いたのだろうけど、いきなり飛んではいけないよ」
と言いながら、キサカはアサマの首をとんとんと叩いた。
「シナツも怪我はないか?」
「あ…は、はい…」
ひどくかすれた声でシナツが返事をした。キサカが馬から下ろそうとするが、手が手綱から離れない。接着剤でくっつけたかのようだ。
キサカが小指から1本1本指を開いて、ようやく手綱から手が解放された。
キサカに抱えられて、シナツはアサマから下ろされる。
シナツの足が地面に着く。固い土を足裏に感じ、安心した途端に震えが来た。生まれたての小鹿のようにプルプル震えて、独りでは立っていられない。
キサカはシナツを抱き上げ、背中をとんとん、と叩いた。
(は…恥ずかしい)
赤ん坊のように父親に抱えられるのは随分と久しぶりだ。前世の記憶が甦ってから初めてかもしれない。
恥ずかしいけど安心する。
シナツの震えが止まった。
「落ち着いたか?」
とキサカが言うのに頷くと、地面に下ろされた。
シナツが自分の足で立つと、ゴツッと音がして、脳天にしょうげきが走った。
「馬を無闇に傷つけてはいけない。彼らは大切な相棒だ」
キサカの鉄拳がシナツの頭に落とされたのだ。
「は、はい…申し訳ありませんでした!」
涙目になり、頭を抱えながらシナツは謝罪した。
前世現世を合わせても、父親に殴られたのは初めてのことであった。
*****
この国では、子供に対する体罰を禁止する法律などなく、むしろ「子供は叩いて育てる」のが一般的である。特に騎士などは、口で叱るよりも先に手が出る脳筋が多い。
同じ下級騎士家の友人ハヤヒトの家に遊びに行ったときのことである。家の中の何かが紛失したとかでハヤヒトとハヤヒトの父親がもめていた。
「使ったら元の場所に戻しておけと言っただろう!」
ハヤヒトの父の平手がハヤヒトの頬を打つ。パーン、と大きな音がして、ハヤヒトがよろめく。家庭内暴力を目撃してしまったシナツは硬直して動けなくなった。
しかしそのすぐ後に、紛失物が正しい収納場所で見つかり、父親の探し方の方に問題があることが判明した。ハヤヒト父は、
「何でちゃんと戻したと言わない!」
とハヤヒトを叱責した。
そのあまりの理不尽さに、令和の大学生の記憶を持つシナツは震えたが、ハヤヒトは何事もなかったかのようにケロリとしていた。
*****
ハヤヒト父が標準である騎士の中にあって、キサカは珍しいほどに滅多に暴力を振るわない。そのキサカによる体罰を受けて、シナツは自分の行いが間違っていたことを認めた。
「天馬にムチを使ってはいけない。彼らは言葉が通じる。信頼関係を築いてお願いするんだ。
天馬ほど分かり合えないが、常馬――普通の馬もある程度意思疎通できる。常馬に対して指示を明確にするためにムチで合図することはあるが、自分の我を通すために打ったり、腹立ちまぎれに叩いたりしてはいけない」
「はい…ごめんなさい」
訓練を中止し、キサカは厩舎に戻り、アサマの馬装を手早く外した。
「罰として、アサマの馬房の掃除を命じる」
そう言うと、キサカは掃除道具を持ってきて、シナツに掃除の仕方を教えた。そして馬医者を呼びに行った。
「そんなに強く叩いていませんよ」
アサマの尻には傷どころか叩かれた痕も残っていない。
「専用の装備なしで飛ぶと、天馬は足を痛めることがある」
キサカが馬医者のもとに行き、シナツは馬房の掃除を始めた。アサマは馬房の外に繋いである。
馬糞を1箇所に集めながら、シナツはアサマの方を見た。
「ねえ」
アサマに声をかける。
アサマは聞こえていないのか、反応しない。
「言葉が分かるって本当?」
「………」
シナツの方を見ることなく、アサマは静かに立っている。耳はぴくりと動いたので、聞こえてはいるようだ。シナツはアサマに近づいて、平坦な声で
「クソババア」
と言った。するとアサマは歯をむき出して威嚇し、素早くシナツの髪を咥えた。
「痛い!痛い!ごめんなさい!やめてハゲるから!」
頭皮ごと持っていかれそうな力で髪を引っ張られ、シナツは心から謝罪した。
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