第10話 東京特許許可局

「シナツ、金が要るのなら、この意匠を売ってくれ。店で販売してみたい」

 きらきら、というよりぎらぎらとした目でシナツの下衣ズボンを抱えて、ヒカワが言った。


「ええ?普通のポケットじゃん。こんなんで金になるの?」

「なる」

 下衣を穿いていない孫にヒカワは断言した。


「じゃあ、売ります。でもそんなに画期的なポケットなら、権利取っておいた方が良いのでは?」

「権利?」

「[特許]みたいな制度はないんですか?」

「[特許]?聞いたことないな」

「ええと、優れた発明をした者に、一定期間その発明の権利を与える法律みたいな?」

「どんな権利が貰えるんじゃ?」

「ええと、発明品の生産や販売を独占できます。他の人が真似するのを止めさせて、それでもこっそり真似して利益を得た人がいたら、その人に損害賠償させることができます」


 前世の大学の特許法の授業を思い出しながらシナツは言った。あの授業、毎回レポートが大変だったけど、今、役に立っている。ありがとう、中村教授。


「…他の店が真似するのを止めさせたり賠償させたりするのは難しいぞ。口で言って引き下がるようなお行儀の良い店ばかりじゃないしな。用心棒を雇って脅しをかけるしかないが、かえって金がかかりそうだな」


 祖父さん、発想が物騒すぎる、とシナツは思った。


「いえっ!用心棒なんて物騒なものは要りませんっ!訴えれば国が、お上がやってくれるのです」

「お上が?何でお上がそんなことしてくれるんじゃ」

「あー、そうですね…例えば、さっき[コロッケ]のレシピの話で、人気店になるとレシピは秘匿されて、その店の秘伝の味になるって言ってましたよね」

「まあ普通はな」


「秘匿されると、[コロッケ]のレシピは、そこで成長が止まってしまう。レシピを受け継いだ人が改良するかもしれないけど、成長は限定的です。

 でもレシピを公開して多くの人に教えれば、他の料理人が、赤芋以外で作る[コロッケ]のレシピを思いつくかもしれない。パン粉の衣を使って魚の切り身を揚げてみたりするかもしれない。レシピがどんどん発展するのです」

「ふむ。発明を公開させることによって技術が発展し、国が豊かになれば、お上にとってメリットがある。発明者は公開の代償として、一定期間の権利を得る、か。

ああ、特許法のことか。あったな、そんな法律が…」


 ヒカワは顔をしかめて不快感を示した。


「あるんですか?」

「今はもうない」

「何で!?」


「当初はまっとうに運用されていたが、やがて改悪され、金持ちがもっと金持ちになる法律になった。

 賄賂次第で発明でないものにも権利が与えられた。

 とどめに、当時の王が、ごく一般的な製塩法の特許を寵臣に与えた。そやつに特許料を支払わなければ塩を作れなくなり、塩の値が倍になった。

 各地で暴動が起き、特許法を廃止することでようやく収まった」


「うわあ…何やってんの…」

 俺の知っている特許法じゃない、と思いながらシナツは呟いた。

 特許法が、天下の悪法みたいな扱いを受けている。


「以来、新しい商品を生み出しても、その店で製法は秘匿される。個人で発明した場合は、大きな店に買い取ってもらう。

 今回のシナツのポケットは、裁縫の心得のある者には、見ただけで作り方が分かる。秘匿のできない種類の発明じゃな。そういう場合は、印象的な名前を付けて、大々的に売り出す。自分が発明者、先駆者であることを知らしめてブランドを確立する。他の店から後追い商品は出てくるが、元祖であるウチの方を客は信用するであろう」

「印象的な名前?」

「シナツの作ったポケット…シナツ袋なんてどうじゃ?」

「却下!」


 何か嫌だ。下ネタの香りがする、とシナツは反対した。


 ヒカワとシナツが議論している間、女性陣は2人を放って楽しくお茶会をしていた。

 シナツの名前が聞こえてきたので、アシナたちが議論に参加する。


「良い名前じゃない。シナツの名前が付いた商品なんて、お母さん誇らしいわ」

「そうねえ…」

「しにゃつぶくろ?」


 女性陣からも概ね好評だが、シナツは強固に反対した。


「絶対ダメです。他の名前にしてください。あと、下衣ズボン返してください」


 家の中とはいえ、下衣なしでは腹が冷えてきた。


「一度バラして型紙を取りたい。後で店から新品の下衣を持ってきてやるから、これは貰うぞ」


 ポケットに入っていたハンカチや小銭(先日の鰻代)といったシナツの私物を取り出して机の上に置き、ヒカワは下衣を持って奥にある自分専用の工房に消えていった。


「ごめんなさいね、あの人、衣服のこととなると周りが見えなくなってしまうの」

 笑いながら言って、キクリは淹れなおしたお茶をシナツに差し出した。


 ふと下を見ると、料理のレシピの書き付けが、床に落ちていた。

 ヒカワが暴走したので忘れていたが、そういえば、レシピの売買の話をしていたのだ。レストランにレシピの買い取りを打診するという話はどうなってしまったのだろうか…

 シナツは、せつなく思いながら、レシピを拾った。


 結局、シームポケットはシナツ袋の名称が定着し、王都中に、やがて国中に広まることになる。

 こうして、不本意な形ではあるが、シナツはこの世界に名を残すことに成功したのである。

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