第8話 豆ジャム

「という訳で、試食を頼みたいのです」

 そう言ってシナツは、持参した箱の中から、竹の皮に包まれて小分けにされた料理を取り出し、机の上に並べた。


「何が『という訳』なのか、さっぱり分からん」

 ヒカワは、家に上がるなり挨拶もそこそこに妙なことを始めた孫に、呆れ顔で言った。


 キサカには月に2回ほど夜番の仕事がある。その日は安全のため、アシナとシナツとサホの3人は、上区にあるアシナの実家、イハセ家に泊めてもらうのだ。


 娘が孫を連れて泊まりに来る大事な日である今日、ヒカワと妻のキクリは、午後の仕事を店の者に任せ、孫たちを猫可愛がりしようと待ち構えていた。


「左から、[コロッケ]、[からあげ]、[そば饅頭]です。どうぞ」

「『どうぞ』じゃない、『どうぞ』じゃ」


 マイペースな孫に調子を崩され、ヒカワは憮然とした。


「まあまあ、せっかくシナツがお土産を持ってきてくれたんです。お茶を淹れるから、皆で食べましょう」

 キクリはそう言うと、お手伝いの女性に茶道具とお湯を持ってきてもらい、卓の上で茶を淹れた。茶の名産地古都クジフルの緑茶である。


「お父さん、この子、この頃料理にはまってフサさんに弟子入りして、変わった創作料理を作るのよ。意外と美味しくて、私はこの[からあげ]が好きよ」

「おいちいのよ」

 娘と孫娘に言われ、ヒカワは[からあげ]なる珍妙な名前の茶色い料理に手を伸ばした。


「ふむ。鶏肉を揚げたものか。美味いな。鶏は焼いて食べることが多いから珍しいな」

「揚げたてはもっと美味しかったけど、冷めてもいけるわね」


 漁業が盛んで畜産があまり発達していないこの国であるが、王都近郊の農家が養鶏を営んでいるため、鶏肉は比較的安価で手に入る肉である。よって、鶏卵も決して安くはないが、玉子料理が5日に1度、庶民の食卓に上る程度には一般的な食材である。


 豚や牛の牧場もあるにはあるが、数が限られており、豚肉や牛肉は、一部の金持ちや高級レストランが予約して手に入れるものであり、一般の市場に流通していない。

 他に庶民が手に入れられる獣肉は、猪や鹿といったジビエがあるが、安定供給されていない。


 からあげを作るため、シナツは、一口大に切った鶏のもも肉に、魚醤、酒、塩、すりおろしたニンニクとショウガを揉みこみしばらく寝かせた後に、葛粉の衣をまぶし、油でからりと揚げた。


 葛は、前世ではそのやっかいな繁殖力で有害植物扱いされていたが、この国では重要な作物である。ツルからは繊維を取って葛布が、根からは澱粉を取って葛粉が作られる。

 安価な葛布は庶民の普段着に使われ、葛粉は、シリオホラ粉ほどではないが、安く手に入る食材である。

 からっと揚げた片栗粉のからあげが好みのシナツは、片栗粉を探していたが、市場ではそれらしきものは見つからず、葛粉で代用できることに気付いてからはこれを愛用している。


「サホは、[コロッケ]がすきよ」

「そうかそうか、じゃあ、次はこの[コロッケ]だな」


 ヒカワは円盤状の[コロッケ]を手でつまみ、一口かじった。


「これは豆じゃないな。何だ?」

「赤芋です」


 赤芋は、毛の生えた赤い芋である。里芋の仲間だが、粘りが少なくほくほくとした食感で、前世のセレベス芋に似ている。

 シチューのような煮込み料理に使われることが多い。

 ちなみにこの国の芋は里芋か山芋の仲間が多く、ジャガイモやサツマイモは、少なくともシナツは見たことがない。


 野菜を潰して油で揚げるコロッケのような料理は、この国では豆を使って作るものである。芋のコロッケは新しい。


 シナツは、この赤芋を蒸して皮をむいて潰したものに、水で戻した干し鱈を細かく裂いたものと、玉ねぎやディルのみじん切りを加えて混ぜ、円盤状に成形した。これにシリオホラ粉、溶き卵をまとわせ、最後にシリオホラのパンをすりおろして粉にしたパン粉をつけ、油で揚げた。

 入手困難な豚や牛の挽肉の代わりに、北の海から船で王都に届けられる安い干し鱈を使ってみた。ポルトガルのバカリャウのコロッケを参考にしてみたのだ。


「豆よりも美味しいかもしれん。外側のカリカリしたものは何だ?」

「古くなったシリオホラのパンを粉にしたものをまぶしたんです」

「新しいな。食感が面白い」


 7歳の男児が作る創作料理など、とても食べられたものではないだろうというヒカワの予想に反して、[からあげ]も[コロッケ]も非常に美味しかった。

 ヒカワは期待を持って、最後の料理に手を伸ばした。


「………」

「………」


 ヒカワとキクリは、それを一口食べて固まった。


「こ…この料理は…?」

「[そば饅頭]です」

「外側はともかく、中身のこれは…豆か?豆をジャムにしたのか?」

「はい。黒目豆を砂糖で甘く煮た[あんこ]です」


 前世では、洋菓子よりも断然和菓子派であり、あんこ好きだったシナツは、何を差し置いても、小豆のあんこを作りたいと思った。しかし、王都の乾物屋を廻って「赤い小粒の豆はありますか」と聞きこんで小豆を探したが、見つからなかった。

 諦めきれず、手習所の本棚の微細な絵入りの植物図鑑を読んで調べたところ、どうやら家でよく使う黒目豆が、細長い莢を付けるささげの仲間であり、小豆に近い豆であることが判明した。


 黒目豆は、その名の通り、白い豆のへその部分に黒い目のような模様がある豆だ。お安いのでアフミ家の食卓への登場頻度は高い。

 シナツはこの黒目豆を茹でこぼしてあくを抜き、やわらかくなるまで煮込んでから大量のシリオホラの砂糖を加えた。色は白いので小豆あんというより白あん風だが、味は確かに懐かしいあんこそのものであった。台所で鍋から一口味見したシナツの頬をつう、と郷愁の涙がつたい、それを見たフサをうろたえさせた。


「ううむ、黒目豆か…黒目豆のジャムか…ううむ、新しいが、ううむ…」

 しばらく、ううむ、ううむ、と唸っていたヒカワだが、食べ残しのそば饅頭を口に入れると咀嚼し、キクリの淹れたお茶で流し込んだ。


「わしゃ、好かん」

「駄目でしたか」


 それほど落胆もせず、シナツは饅頭の敗北を認めた。先日、家であんこを試食してもらったところ、フサもキサカもアシナも

「豆が甘いのはちょっと…」

と、大層不評だったのだ。


 しかし饅頭の形に加工すればワンチャン行けるのではないかと淡い期待を抱き、山芋をすりおろし、砂糖を加え、すり鉢でふわふわふわになるまでかき混ぜ、そこに蕎麦粉を加えて混ぜた生地で黒目豆の粒あんを包み、蒸して饅頭にしたのだ。


 何故かサホだけはあんこが大丈夫で、今も

「おいちい」

と、皆が手を付けないそば饅頭を、もむもむと食べている。


 どうかこのまま健やかに育ち、この世界初のあんこ好き女子になっておくれ、とシナツは願った。

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