第6話 もふもふ
治安の良い王都の、人通りの多い大路ではあるが、さすがに幼女を2人きりで歩かせるのは不安しかない。フサは、手をつないで歩く2人のすぐ後をついて歩いた。
しばらくすると、シナツが小走りで戻ってきた。
「ごめんごめん」
幼い妹たちを放置してしまったことに気付き、慌てて戻ってきたのだ。
「坊ちゃん、お二人をちゃんと見守ってくださいね。王都の治安は良い方ですが、毎年人さらいの被害を聞きます。
女の子、特に淡い色彩の子は狙われやすいので気を付けてください。
狭い路地には立ち入らないこと。寄り道をせず日が暮れる前に帰ってくること。良いですね」
フサはシナツに注意すると、家に戻った。
「じゃあ、行こうか」
シナツはユラに手を差し出した。しかしユラは、
「やっ」
と首を横に振って拒絶の意を表し、サホの腕にしがみついた。
手を振りほどいて走り去ったシナツは、彼女の信用を失ってしまったようだ。信用は育つのに時間がかかるのに、失われるのは一瞬である。
イケメンお兄さんへの道は遠く険しい。
ショックを受けたシナツに、ふくふくした幼児の手が差し出される。
「あにちゃ、なかないで。サホがてをつないであげる」
サホの左手はユラに独占されているが、きりっとした顔で、空いている右手を兄に差し出していた。
「やだ、この子[イケメン]…!」
シナツの胸はキュン、となった。
イケメン幼女を
*****
木場は、王都の西の外れに、アキ川の水を引いて作られた貯木場である。
アキ川の上流、王都の北には山々が連なり、そこで暮らす者は山の恵みで生きている。木こりを生業とする者が多く、彼らが伐り出した丸太は川を下って王都に届けられ、この木場に集められる。
木場には大小いくつもの池があり、それらを囲むように材木商の倉庫が建つ。
池には、山からはるばるやってきた丸太が、旅の疲れを癒す湯治客のようにのんびりと浮かんでいる。
池のほとりには、筏師と呼ばれる、川上から丸太に乗って渓流下りをして王都に木材を運ぶ専門職の男たちが、上衣を脱いで、色鮮やかな刺青を陽光にさらして休憩している。
他にも木材を池から引き揚げて乾かす人、乾いた木材を荷車に積む人など、様々な人が動き回っている。
そんな喧騒を避けて、ひと気の少ない池のほとりに、ハヤヒトとスルガがいた。
商品にならず打ち捨てられた丸太の上に2人並んで腰かけ、釣り糸を垂らしていた。
「こんな所で釣りなんかして、大人に怒られない?」
幼女2人を引率してきたシナツが、職人たちが忙しく働く池の方を見て言った。
「丸太の浮いていない池なら、僕らが使っても大丈夫だよ。大事な商品にイタズラしたり、仕事の邪魔しない限り、怒られたりしないよ」
スルガが言いながら、シナツに釣竿を渡した。シナツは竿を受け取ると、サホたちに向き直った。
「あにちゃ達は釣りをしているので、2人はそこに座っていてね」
池から少し離れた場所に転がる丸太を指すと、サホは、
「あい」
と返事をして、ユラの手を引いて、丸太に向かった。
サホは、上衣のへその辺りに縫い付けた外付けのポケットから
「どうぞ」
そして、その上にユラを座らせた。
それを見ていたシナツは驚愕した。
イケメンというより、もはや紳士である。うちの妹が紳士なんだが。
シナツは、釣り糸に針を付ける手を止めて唖然とした。
ほとんど家から出たことのない3歳児が、どこでそんな紳士なエスコートを覚えてきたの。
(あ!俺だよ俺!)
シナツは思い出した。
サホはお昼寝のときに、よくシナツにお話をねだった。この世界の神話や昔話を3つ4つ話すと、シナツの寝物語の持ちネタは尽きた。
仕方ないので、前世の小説やアニメのあらすじをこちらの社会、身分制度に合わせて改変して話したところ、非常にウケた。
中でもサホが好んだのが、王子や悪役令嬢の登場するライトなノベルである。シナツは、王子が令嬢をエスコートする様子や、令嬢がヒロインをいじめるシーンを、身振り手振りを付けて熱演したのを思い出した。
どうやらサホは、シナツのお話の中の王子の振る舞いを真似ているようだ。
(何で、ヒロインや令嬢じゃなくて、王子ムーブの方に憧れちゃうかな)
幼児だからと安心して、サホに前世のことを色々話してしまったが、これからは自重しようと思いながら、シナツは池のほとりの石をひっくりかえして餌となる虫を探した。
「この池は何が釣れるの?」
「今日はゴビダとムギルが1匹ずつ釣れたぞ。
この辺は海が近いから、潮の流れによっては海の魚もやってくるけど、川や池の魚が多いな」
ハヤヒトが、釣果の入った桶を指し示しながら言った。水の張られた桶の中に、ボラに似た魚とハゼに似た魚の2匹が泳いでいるが、シナツはどっちがゴビダでどっちがムギルかさっぱり分からない。
5歳で前世の記憶が戻ってからリハビリで家に引きこもっていたせいか、やはり同世代と比べて基本の知識に抜けがあるな、とシナツは自覚した。
「どっちがゴビダでどっちがムギル?」
聞くは一時の恥、と前世のことわざを思い出し、素直に質問することにした。
「え?お前本気で言っている?こっちがゴビダでこっちがムギルだ」
「ほうほう、ゴビダが[ハゼ]で、ムギルが[ボラ]ね」
王都は四季と、初夏の長雨がある。温暖で湿潤な、シナツが住んでいた日本の南関東によく似た気候だ。植生も見覚えのある草木が多いし、魚も知っている魚によく似た姿だ。
「変な呼び方をするなよ。お前、勉強はできるのに、普通のことを知らないよな」
「常識がないってよく言われる」
ふと、幼女2人の方を見ると、丸太に腰かけてお喋りしていた。
ユラがひたすら自分の家族のことを語り、サホは「そうなの」「すごい」「たいへん」と相槌を打っている。聞き上手のイケメンだ、とシナツは思った。
「あ、にゃんにゃん」
ユラが声をあげた。
そちらを見ると、白黒のハチワレ猫が、サホとユラの座る丸太のそばを歩いていた。木場の職人が餌付けしているのだろうか、ずいぶんと人馴れした猫だ。
サホとユラは、にゃんにゃんだにゃんにゃんだ、と言いながら、猫を撫でた。猫は抵抗せずにじっとして撫でられている。
猫はしばらく大人しく幼女2人にもふられていたが、やがて、ぶるぶる、と胴震いしてから2人の手をしっぽで叩いて、「にゃ」と一声鳴くと、腰をくねらせながら悠然と去って行った。
その様子を見たシナツは、今の鳴き声は、翻訳すると「初回無料期間終了のお知らせです」じゃなかろうかと思った。以降のサービスは、
「あー、まって」
「にゃんにゃん」
2人は、とてとて歩いて、サービス終了した猫を追いかけた。
シナツは、慌てて釣竿をハヤヒトに預けると立ち上がり、猫を追いかけようとする2人を止めに行った。これを放置しては、迷子の仔猫ちゃんが2匹誕生してしまう。
「にゃんにゃんはこれからお仕事に行くのよ。邪魔しちゃダメよ」
と言いながら、2人の手を引いて、丸太に戻す。
「にゃんにゃん、おしごと」
「がんばって」
手を振る幼女の声援を背に受けながら去りゆく猫。
近くで働く大人たちは、なぜ猫が幼女に応援されているのだろう、といぶかしく思った。
「お前、子守うまいな」
ハヤヒトが呆れ顔で言いながら、シナツに釣り竿を返した。
シナツが竿を上げると、餌だけが取られていた。
「くそー、やられた」
新しい餌を探すが、タニシもミミズも隠れてしまったのか見つからない。大きい石をひっくり返すと、
「うおっ!」
何かいた。
シナツの両手に収まるくらいの大きさの、ゼリーのように弾力のある半透明の体が、ふるふると揺れていた。
「ス…[スライム]!?」
シリオホラという謎食材はあるものの、気候や植生などが前世の地球に酷似していることから、シナツは、この世界が遠い過去か未来の地球、あるいは地球の秘境、はたまた地球の平行世界ではないかと予想していた。
しかしここに来て、スライムと言うファンタジーな生物が登場してきた。
自分は本当に異世界に来てしまったのだな、とシナツは思った。
「[スラ…]?妙な呼び方するなよ。お前、何にでも変な名前を付けるよな」
「いや、[スライム]だよこれ、[スライム]じゃん、うわー、動いている」
ハヤヒトとシナツが言い合っていると、背後から笑い声がした。
いつの間にか、休憩中の筏師や職人が集まって、少年たちの釣りを見物していたのだ。
「そいつは地方によって色んな呼び名があるけど、[スライム]は初耳だな。坊主はどこの生まれだ?」
幾何学模様の刺青を両肩に入れた中年の筏師が尋ねる。筏師は竿1つで丸太を操り激流を下る危険な職業であり、仕事中に川で遭難する者が多い。刺青は、おしゃれというよりも、水の中で発見されたときの身元確認の意味が大きい。
「王都生まれ王都育ちです。[スライム]は、今、自分で名付けました。[スライム]っぽい姿なので」
シナツの答えを聞いた筏師は、あ、こいつ変人だ、と気付いた。
「そ、そうか。俺はアキ川の上流の村の生まれなんだが、うちの村では『山の水筒』って呼んでいるよ」
「山の水筒?」
男はシナツの手からスライムをつまみあげると、そのゼリー状の肌に歯を立てて中身をすすった。
「ほとんど水なんで腹はふくれないが、喉の渇きは癒せる。山で遭難した猟師が、こいつのお蔭で生き延びたって話はよく聞くよ」
そう言って、筏師はシナツにスライムを返した。
思わず受け取ったシナツは、スライムを観察した。
弾力のある半透明の楕円体の体。持ち上げて陽光にかざすと、その中心には、光の加減でうっすらと見える球状の影がある。いわゆる「
つるつるに見えた表面は、目近に見ると、細かい毛がびっしりと生えている。
(わあ!もふもふだね。可愛い…かな、これ。うーむ…)
スライムをもふりながら、シナツは、なぜ人は、哺乳類と鳥類以外に毛が生えていても可愛いと思えないのだろうかと自問した。
むしろスライムはつるつるの方が可愛いと思う。毛を生やしてもふもふになったことで、チャームポイントが消滅してしまったのではないだろうか。
「飲んでみろよ。こいつらは周りの泥水を濾過してきれいな水を体に蓄えるんだ。川の水よりもよほど安全できれいな飲み物だぞ」
そう男に言われたシナツは、噛み跡のついていない所を袖でぬぐってから、思い切って歯を立ててすすった。
「のどごしがじゃりじゃりする。甘くない[和梨]をすりつぶして常温で飲んだ感じ。ちょっと苦い。何かに似た味だけど、思い出せない…」
遭難とかの緊急時でなければ積極的に飲みたくないな、とシナツは思った。
中身をすすられてもまだ生きているのか、スライムは毛をわさわさと動かしている。すごい生命力だ。
シナツは思いついて、スライムを釣り針にかけた。
「おいおい、そいつを釣り餌にするのか?釣れないこともないけど、食いつきがわるいぞ。小魚の口には大きすぎるしな」
「まあ、ダメ元で」
シナツは、スライムを付けた針を池に沈めた。
しかし予想に反して、すぐに引きを感じた。入れ食いである。
「お?大物?」
水中から物凄い質量が竿を引いてくる。池に引きずり込まれそうになってたたらを踏んだシナツは、慌てて竿を抱え込んだ。
「こらえろシナツ。魚の逃げる方向に竿を持っていくんだ」
「簡単に言うなよ。引きずり込まれないようにするだけで精一杯だよ!」
「あにちゃがんばって」
池の周りはにわかに騒がしくなり、他の職人たちも何事かと集まってきた。さらには材木商の倉庫の中から、身なりの良い商人らしき男も見物に出てきた。
「いったい何の騒ぎだい?」
「大きいな、ありゃ池の主じゃねえか?」
「坊主、焦るな。今、無理に上げると糸がきれるぞ!」
見物人たちはアドバイスや野次を飛ばして勝手に盛り上がっている。
シナツは、ハヤヒトとスルガと3人で交代しながら、魚が疲弊するのを待った。やがて魚の動きが弱くなってきたので、スルガが網を差し入れて引き揚げようとする。
「ダメだ。大きすぎて網に入らない」
仕方ないので、職人の一人が、水の中の木材を陸に上げるために使う手鉤を貸してくれたので、それを魚体にひっかけて岸に引き上げた。
観客から、おお、とどよめきが挙がった。
「[ウナギ]だ…」
疲れ果てたシナツは、膝をついて呟いた。
サホの背丈よりも長い大鰻が地面をのたくっている。本当にこの池の主かもしれない。
「[ウナギ]じゃねーよ、アンギラだよ…」
肩で息をして地べたに座り込みながらも、ハヤヒトが突っ込む。
ぺちん、ぺちん、と音がした。
「あにちゃ、おめでとう」
サホが手を叩いて兄を言祝いだ。
「サホちゃん、なにをしているの?」
「おめでとうは、てをたたくの」
説明されてもよく分からないが、ユラも真似して手を叩いた。
「おめでとう?」
ペチ、ペチ、ペチ
「何だそりゃ。アフミ家のしきたりか?」
面白がって、ハヤヒトとスルガも手を叩いた。
それを見て、見物に集まった大人たちも手を叩きだす。
パチ、パチ、パチ、パチ
この国では、賛成や祝福や賞賛の意を表明するときに拍手をすることはない。賛成や祝福を表すときは右手を左肩にあて、賞賛を表すときは足を踏み鳴らす。
うっかり前世の癖で、サホの3歳の誕生日を拍手しながら「おめでとう」と祝ったことがある。その行為をサホが見て覚えたのだ。
パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ
「おめでとう」
「おめでとう」
「おめでとう」
パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ
なんだこれ。
池のほとりで、紋々を背負った半裸のいかついおっさんたちに囲まれて、拍手で祝福されている。
シナツは白昼夢を見ている気分になった。
シナツは改めて反省した。
もうサホに前世のあれこれを教えることはやめよう。
結局、大鰻は、見物人の商人が欲しがったため、スルガが交渉して、イセ銀貨9枚で売った。それを3等分し、1人当たりイセ銀貨3枚を得た。
これが、シナツが転生して初めて得た収入であった。
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ヤサカ金貨=100,000ケノ
イサガ金貨=10,000ケノ
ツ銀貨=1,000ケノ
イセ銀貨=100ケノ
キ銅貨=10ケノ
ケノ銅貨=1ケノ
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