第5話 益荒男(イケメン)

 シナツから珍しく、今日の料理の手伝いは休ませてほしいと申し出があった。


「今日はこれから手習所の友人と木場に釣りに行く約束をしているのです」


「まあ、それはようございますね。夕食は私に任せて、楽しんできてください」

 フサは快諾した。手習所に入所してから1月ほど経ったが、毎日帰ってくるなり台所仕事を手伝うシナツに、色々思うところがあったのだ。


 一緒に遊んでくれる友達がいないのではないか。


 子供は残酷だ。毛色の違う者を見つけると、容赦なく排除する。

 シナツの髪は黒いが、眼の色は鮮やかな青である。この国の庶民の多くは髪と眼の色が黒や茶色である。

 淡い色彩は、高位の貴族の血を引いている証である。下区の手習所は、庶民の子が多く通い、淡い色彩を持つ子供は少数派なのだ。


 それでなくても、奇妙な言動の子供なのだ。

 遠巻きにされているのではないか、陰湿なイジメにあっているのではないか。


 今日、友人と遊ぶとシナツが言ったことで、フサはとても安心した。

 よかった。友達ができたのだ。

 当然だ。変な子だが、とても良い子なのだから。変な子だけど。


 このように、師匠フサは、突然の休みを許し、快く送り出してくれたが、それを許してくれない者がいた。妹のサホだ。


「サホもいきます」


 サホはそう宣言して、シナツの足にしがみついた。


「これから行く木場には池があるんだ。あー、池ってのは、大きいお風呂みたいなところな。サホみたいな赤ちゃんには危ないところなんだよ。うっかり池に落ちて溺れてしまったら大変だろ?」

 シナツがそう言って妹を引き離そうとするが、サホは反論した。


「サホはあかちゃんではありません。おとなです」

「大人ではないだろう大人では…」

「いけにはちかづきません。おとならしくします。あにちゃのいうことをききます」

「“大人らしく”じゃなくて“大人しく”な」


 サホがとつとつと訴えるのを聞いて、シナツとフサは内心驚いていた。

 こいつ、いつの間にこんなに喋れるようになったの?

 どんだけ必死なの?


 そうこうしているうちに、釣り道具を携えた友人2人がやってきた。


「シナツ、準備はいいか?行くぞ!」


 サホの説得に失敗したシナツは、片足にサホを張り付けたまま、玄関前で友人たちを迎えた。

 何とか引きはがそうと試みたが、幼女は兄の足に全身でしがみつき離れなかった。今もフサが優しく抱き上げようとしているが、首をふるふると振って拒否している。


 動かざることコアラの如し。


「ごめん、妹も一緒に行って良いかな」

 シナツがそう言うと、迎えに来た2人の友人のうち、亜麻色の髪の少年が応えた。


「おう、かまわないぞ。うちの妹もついてきちまった」

 彼の隣には、サホと同じか少し年上の少女がいた。

 内気なのか、自分に注目が集まったことに気付くと、慌てて身を低くし、兄の陰に隠れようとする。


 それとは対照的に、兄の陰から出張ってきたのはサホである。

 同行の許可を得たと判断したサホは、兄の足から離れると、

「サホです。3さいです」

と、元気に挨拶した。


「おう、俺はカフチ・ハヤヒト。こっちは妹のユラ」

「僕はイデハ・スルガ。よろしくね」

 挨拶を済ませると、ハヤヒトとスルガの2人は、さっさと木場に向かって歩き出した。


 ユラは兄を追いかけようと小走りになり、石につまずいて転びそうになった。


「にいちゃん、まって」

「やだ。お前の足に合わせていたら木場に着くの夜になっちまう。先に行くから後からついてこいよ。こっから木場までは一本道だから迷うこともないし」


 ハヤヒトは振り返らずにそう言って、ずんずんと早足で進む。


「やーっ!まってよーっ!!」


 ユラは既に涙目になっている。

 この辺りに来たのは初めてのことで、帰り道も分からない。一人置いていかれたら、もう家には戻れないかもしれない。家族に会えなくなってしまうかもしれない。

 心細さに、ユラの涙腺は崩壊寸前である。


「ユラちゃん大丈夫?僕はお兄さんの友達のシナツ。僕たちと一緒に行こう」


 そう言われて、ユラは俯いていた顔を上げた。

 サラサラの黒髪に今日のお空のような真っ青な眼。絵本の中の王子様のようなキラキラした男の子が、ユラに手を差し出していた。

 びっくりして、ユラの涙は引っ込んだ。


 左手はサホ、右手はユラと手をつなぎ、正に両手に花状態でシナツは歩き出した。幼女2人なので、花というか蕾というかまだ花芽ではあるが。

 振り返ってそんなシナツを見たハヤヒトは、呆れ顔になった。


「シナツ、お前分かっていないな。女ってのは、甘やかすと際限なく甘えてくる生き物なんだぞ。のちのち面倒なことになるくらいなら、最初から冷たくしといた方が良いらしいぞ」


 7歳のハヤヒトが過去に女性と痴情のもつれ的なイベントを経験したとは考えられないので、これは彼の父や兄の受け売りなのだろう。

 シナツはやれやれ、と頭を振った。


「分かっていないのは君だよ、ハヤヒト。

 僕たちの人生で、こんな風に女の子に追いかけてもらう機会があとどれだけあると思っているんだい?

 お金を払わず合法的に手を握ってもらえる幸運はあと何回残っているだろうか」


 シナツの妙な迫力に気圧され、ハヤヒトはたじろいだ。


前世かつての僕は、そのことに気付いていなかった。女の子に優しくして悪いことなんて1つもない。それなのに、周りの眼、特に男友達にからかわれたくないなんてつまらない理由で硬派を気取って、女の子と仲良くする機会を失っていたんだ。


 でも僕は生まれ変わった。今生これからは女性に優しく生きると決めたんだ。

 目指す理想は、[少女マンガ]の聖人のように優しい幼馴染のお兄さんだ!

 主人公の危機に颯爽と駆けつけて[胸キュン]させる[イケメン]。


 そんなお兄さんに私はなりたい」


 シナツの演説を聞いたハヤヒトとスルガは、目を見交わした。


「相変わらずこいつの言っていることはさっぱり分からん」

「うーん、つまりシナツは女の子と仲良くしたい。追いかけられたり手を握りたいって言っているんだよ。

 うちの店に来るお客さんのスハさんが同じことを言っていたよ。

 お母さんが言うには、スハさんは『好色スキモノ』なんだって」


 黒眼黒髪のスルガの家は、下区で酒場を開いている。同年代の子供よりも耳年増だ。


「そうか、シナツも好色スキモノなんだな」

「好色だね」


 散々な悪評に、シナツは声を荒げた。


「ちょっと、誰が好色?人聞きの悪いこと言わないで!」

「お前だお前」

「シナツ君は好色ー!好色男子!」


 はやし立てるハヤヒトとスルガ。シナツはサホとユラとつないでいた手を離し、2人に向かって突進した。


「わー!好色が来た!」

「逃げろ!好色がうつるぞ!」

「好色じゃない、[イケメン]と言え!」


 3人の男児はじゃれあいながら追いかけっこを始め、そのまま木場の方角に消えた。


 シナツに手を振りほどかれたユラは、しばらく呆然とした後、兄たちに置いていかれたことに気付いた。


「うっ、うぐ、ひぐっ…」


 ユラは肩を震わせながら嗚咽をもらした。こらえようとしても涙がにじんでくる。

 彼女の目頭から大粒の涙があふれる。

 だがその涙は頬を滑ることなく、白い手巾ハンカチによって受け止められた。


「なかないで」


 サホはユラの目元に手巾ハンカチを当てながらそう言った。


「だいじょうぶ。きばまでは、いっぽんみち。サホといっしょにいこう」


 そう言って、サホはユラに手を差し出した。

 その手を取ったユラの頬はポッと赤らみ、胸がキュンとなった。


「何という益荒男イケメンぶり」


 一部始終を玄関前で見守っていたフサは、そう感嘆した。


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