第3話 グルテンフリーに料理チートは難しい

 台所を清掃する。

 共用の水場で汲んだ水を運び、台所の水瓶に満たす。

 一晩水に浸した黒目豆を手でこすって薄皮を取り、豆をすりこぎで突いて潰す。


 ちなみに黒豆ではなく黒目豆である。白っぽい豆だが、へこんだ臍の部分に黒い目のような模様があるため、こちらの言葉でも「黒い・目の・豆」と呼ばれている。ファンタジーな外見だが、別に異世界特産ではなく地球にもあった。日本ではあまり見なかったが。

 この国では安くて手に入りやすいので、庶民の食卓によく出てくる。


「師匠、できました」

「ました」


 意外なことに、シナツの料理に対する情熱は冷めることなく、ここ半月ほどほぼ毎日、昼過ぎに手習所から帰ると(手習所はお昼に終わる)、シナツは下働きとしてフサの下で働いた。


 雇い主の息子を働かせることに抵抗感があったものの、彼の両親に相談したところあっさりと許可が出て、シナツ少年の「お手伝い」が決まった。騎士の中には自分や跡取りが台所に入ることを嫌がる者がいるが、この家はそんなことがなかった。

 なお、幼いサホは台所に入ることは許されず、隣の居間から兄を応援している。


 正直なところ助かる、とフサは思った。

 教えたことは忘れないし、分からないところがあれば質問し、もちろん大人の作業に比べれば遅いが仕事は丁寧だ。


(自分もいつまでこの家に通えるか分からない。この子を仕込んで家事に困らないようにしよう)


 フサは本格的にシナツを鍛え始めた。

 すでに火と包丁を使う作業以外の下処理は、ほぼ彼に任せている。


 フサは、玉ねぎセパとディルに似たハーブをみじんに刻み、シナツがさきほど潰した黒目豆に加え、袋から白い粉を出してひとつかみ入れた。


「この粉ってよく使いますが、[小麦粉]ですか?」


「[小麦粉]?これはシリオホラの粉ですよ」

「シロハラ?」

「シリオホラです。安いので我々庶民の主食ですよ」

「[小麦]は高いのですか?」

「[小麦]…初めて聞きますね。どんなものですか?」


 小麦を知らない者に小麦を説明するのは難しい。

 シナツは最初、言葉だけで小麦とはいかなるものか言葉で伝えようとしたが、


「小麦とは…えーと、葉っぱがシュッとしていて、実からぴょんぴょんとヒゲがでている草でして…え?さっぱり分からない?そうですか…」


と、口で説明するが全く伝わらず、シナツは最後には手習所で使う石板を持ってきて、絵を描きつつ説明した。


「こんな感じの姿の草で、この部分が実で最初は緑色なんですが、茶色くなったら収穫して皮とか取って粉にして食べるんです」


「ああ、小麦トリチカムのことですね。西の涼しい地方や北の島で栽培されていますが、この国の気候は栽培にあまり適していないので、あまり収穫は多くないです。

 だからとてもお高いです。小麦のパンはよほどのお金持ちかお貴族様でないと毎日食べられませんね」


 そう言ってから、そういえばこの家は騎士家だったかとフサは思った。騎士の身分は、おおむね貴族と平民の間の、貴族寄りに位置する。この家は裕福な平民よりも貧乏だが。


「え?そんなに高級品なの?うちに小麦トリチカム粉ってないの?」


「この台所にはありませんね。でもこの前の秋祭りの夜にふんぱつして小麦のパンを買ってお出ししましたよ」


*****


 毎年秋分の日に行われる秋祭り。例年いつもの食事よりも一皿多く出して秋の実りを祝うが、今年はさらに豪華であったことをシナツは思い出した。

 シナツが7歳になったからだ。


 秋祭りの日の朝、7歳の子供は神殿に集められ、神職から健やかな成長を言祝がれ、名前と数字の書かれた札をもらう。

 この札は大切な身分証なのでなくさないように保管すること、数字は暗記すること、と神職に注意されたシナツは、

(マイナンバー…)

と前世を思い出した。


 7歳のお祝いで神殿に昇るという行事に、すわ洗礼式、魔力測定や魔術的な儀式があるのではないかと内心期待していたシナツは、スンとした顔でうやうやしくマイナンバーカードを受け取った。


 どんな儀式があるのだろう、スキルや魔法が貰えるのだろうか、選択制ならどの魔法を選ぶべきか、選べるならやっぱり収納系の魔法が欲しいな。

 前の晩は、そんなことを考えてほとんど眠れなかったのに…


 その後、同じ地区の他の7歳の少年少女と共に集められ、その日から手習所に通うことになった。

 要は、7歳にとって秋祭りとは、そのコミュニティーの一員として正式に迎えられ戸籍を得る日であり、学校の入学式の日でもある、一大イベントなのだ。そして、そんな時でもなければ食べられないほど、小麦のパンは高級品なのだ。


*****


「え?あれが?あれが小麦パン。たしかにいつも食べているパンよりも柔らかくて美味しかったけど、無発酵だよね、あれ。天然酵母を使えばまだまだ改良の余地はある!

 師匠、サホのほっぺのようにもちもちしてふわふわのパンって食べてみたいと思いませんか!?」


 シナツはサホの頬を指さして言った。

「う?」

 急に注目されてサホが首を傾げる。


「そりゃ食べられるなら食べてみたいですよ」

「ふっふっふ、僕、作れます。小麦粉を買ってきてください。ふわっふわのパンを作って見せますよ」


 フサは料理の手を止めてため息をついた。


「ですから坊ちゃん、何度も言いますが、基礎もしっかりしていないうちから応用に進んではいけません。必ず失敗します。

 それに小麦粉は高いんです。成功するか分からない料理に使うものではありません。どうしてもやるなら、シリオホラ粉を使ってください」

 フサはシリオホラ粉の入った袋を机の上に置いた。


「シリオホラ粉って原料何なの?」

「シリオホラ粉の原料はシリオホラですよ。坊ちゃんも近所で見たことぐらいあるでしょう」


「ん?小麦みたいな植物なんだよね」

「う~ん、植物ではありませんね。どちらかというと動物?いえ、どちらとも言い難い…生き物ではあるのですが…」


 ちなみにこの世界では、植物と動物という分類は一般的であり、両者が生物というまとまりに入ることはよく知られている。文化によっては「薬になる」「ならない」という分類で生物と鉱物が一緒に分類されたりすることもあるので、この辺も妙に自然科学が発展しているな、とシナツが思う所以である。


「え、何なのシリオホラ。怖い。そんな変なもの食べて平気なの?」

「平気でなければ坊ちゃんも私も無事ではいられませんよ。いつも食べているパン、あれもシリオホラ粉から作られていますよ」

「え?あの平たいパンも?」

「そしてこの油もシリオホラから作られています」


 フサは油の瓶を出して、油を深鍋に注いでかまどにかけた。そして調味料の棚を指す。


「ちなみにここにある砂糖もお酒もシリオホラから作られています。シリオホラから作られた食品は安いので、庶民の食卓はシリオホラでできていると言っても過言ではありません。ここ数年は値上がりしていますが、それでも小麦よりもずっと安いですよ」

「何なのシリオホラ。不思議食材すぎるでしょう」


 シナツはフサの許可を得て、小皿にシリオホラ粉を少量出した。間近に観察し、匂いを嗅ぎ、少量を指にとって舐めた。


「白というより緑灰がかった白色。粒が細かく揃っている粉。不純物がほとんどない。匂いはよく分からない。味は…ちょっと苦い?分からん、粉っぽいことしか分からない。

 でもシリオホラでできたいつものパンは、堅焼きした[アレパ]っぽいって思ったことがある。[アレパ]は[トウモロコシ]の粉から作られる。シリオホラ粉は成分的に[トウモロコシ]粉に近いのかも」


 そこまで考え、そういえばトウモロコシから油や甘味料や酒も造られていたな。やはりトウモロコシ的な作物なんだろうか、シリオホラは、とシナツは考察した。


(いや…しかし、植物というよりも動物に近いって言っていたよね…近所にいるとも…)


 フサが言ったことを思い出し、シナツはつい、トウモロコシの房に手足が生えた生き物を想像してしまい、慌てて打ち消した。

 前世日本のトウモロコシの名産地のゆるキャラにいそうなクリーチャーだが、現実に存在して近所を闊歩していたら怖すぎる。喋ることができて「やあ」とか挨拶されたらどうしよう。


(やめよう、これ以上シリオホラについて考えるのは。これを食べるしかないのに、食欲がなくなるような不都合な真実は知りたくない!)


 気を取り直して、シナツは少量の水を皿の上のシリオホラ粉に加え、指で混ぜた。


「うーん、ぼろぼろと崩れてうまくまとまらない。粘り気がない。[片栗粉]よりはまとまるけど、ほぼ澱粉かな?

 待てよ、粘り気がないということは…」


 はっと、何かに気付くシナツ。


「[グルテンフリー]じゃねえか!この粉じゃふわふわパンは作れねえ!

[酵母]や[重曹]をぶちこめばそれなりに柔らかいパンにはなるだろうけど、俺の理想のふわふわには届かない!

[うどん]も![ピザ]も!ふかふか[肉まん]も![グルテン]さんがいなけりゃ作れねーよ!」


 机を拳で叩き、急に荒ぶるシナツ。いつものことなので、フサもサホも特に気にしない。


「畜生!料理の知識はあるのに、小麦粉が高くて気軽に試作もできない。

 この世界は、アレルギーや不耐症患者以外からも嫌われて追放されたグルテン嬢が、「帰って来いと言われてももう遅い」系ザマアを果たした後の世界なのか?」


「坊ちゃん、この粉もう使わないなら貰いますよ」


 フサはそう言って、小皿の中の水に溶いたシリオホラ粉を、潰した黒目豆のタネに加えてよく混ぜ、一口大に丸めた。シリオホラ粉はつなぎなので、量が多少増えても問題ないのだ。それを熱した油の中に入れて、次々に揚げていく。

 この国ではごく一般的な惣菜の豆コロッケである。

 フサは揚げたてを小皿に2つ取り分け、シナツとサホの前に置いた。


「出来たてを試食するのは料理人の特権です。1つずつどうぞ」


「まだ熱いからな。フーフーするんだ」

 シナツはそう言って、サホと一緒に皿の上の豆コロッケに息を吹きかけた。そして十分に冷めたのを確認し、2人同時に頬張った。


「美味しい」

「おいちい」


 シナツはいっとき料理チート不発のことを忘れ、幸せな気分に浸った。


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*この章はシナツ視点で進行するため、前世日本語は[]で表記します。

*例えば、彼がこの世界の小麦を表す言葉を知らない時点では、彼の発言で小麦は日本語で[小麦]と表記されます。

*彼がこの世界での小麦を表すトリチカムを知った時点で、小麦トリチカムまたは単に小麦と表記します。

*この世界の人は、[]内の言葉は理解できません(コムギと聞こえていますが、何のことか分かりません)。

*この世界にコロッケは存在しませんが、あちらの言葉を日本語に翻訳する都合上、豆コロッケと称します。

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