第2話 「ぼくのかんがえたさいきょうの」創作料理

「初等教育スタートダッシュ計画は不発に終わったけど、知識チートを諦めたわけではない!俺には料理がある。料理チートだ!」


 翌日、手習所から帰ってくるなり、シナツはサホにそう宣言した。


「りょうり」


「前世の俺は、料理男子だったんだ。ちゃんと自炊していたし、大学にも毎日手作り弁当を持参していたんだぞ」


 そういえば、料理のできる男はモテるって聞いていたのに、なぜか女性陣にはドン引きされていたな、とシナツは遠い目をして思い返した。あれは都市伝説だったのだろうか…


「だいがく」


「あー、前世の学問所みたいなところ。大学以降の記憶がないってことは、やっぱり俺、学生のうちに死んだのかな…その辺の記憶ないけど」


 ぶつぶつ呟くシナツをサホは大きな紫色の目でじっと見つめている。


「とにかく、料理チートだ。前世の俺が暮らした日本は、いろんな国の料理が集まっていたんだ。その中には、柔らかくて美味しいパンもあったんだぞ」


 この世界のというか、この家で毎日食べている主食のパンは、明らかに無発酵の平焼きパンである。シナツは前世のベネズエラ料理店で食べたトウモロコシ粉のパンであるアレパに風味が似ていると思った。アレパは美味しかったが、こちらのパンは、アレパをさらに堅焼きして保存性を高めた感じで、固くてぼそぼそして口の中の水分が奪われるのが難点である。

 前世では、手作りパンに凝っていた時期もある。その時はドライイーストを使ったけど、天然酵母の起こし方も知っている。


 ならばやるしかない。異世界転生系のWeb小説でおなじみの、天然酵母で秋のふわふわパン祭りを。


 発酵の力に括目せよ!


「サホ、家でいつも食べているパンよりもやわらかくて美味しいふわふわパンって食べてみたくないか?」

「たべたい」

「よし!台所に行くぞ!」

「いくぞ」


*****


「え?台所を使いたい?坊ちゃんが?」


 夕食の支度をしていた通いの家政婦のフサは、突然の申し出に眉をひそめた。


 今年55歳になるフサは、元は王都の上区に店を構える衣類を扱う商家で、住み込みで働いていた。数年前に体調を崩し、復調したものの今までのように働くことに不安を覚えた彼女は、隠居するには少し早いが、仕事を辞めて息子一家と同居することにした。

 彼女は夫を早くに亡くしており、息子はすでに木工職人として独立して下区に家を持っていた。


(何の不満もない。息子は優しいし、嫁も何かと気を使ってくれるし、孫もかわいい)


 ただ、やることがないだけで。


 台所で湯を沸かそうとすれば、嫁が飛んできて、お義母さんどうぞ座っていてくださいお茶なら私が淹れましょうと言われる。ならば掃除でもするかと箒を取れば、嫁が飛んできて奪われる。


 ならば趣味を持とうと、多趣味な友人に誘われて観劇に行ったりお稽古事を始めてみたりしたものの、どうにもしっくりこない。

 これまでの人生、身を粉にして働いてきた仕事人間の彼女にとって、悠悠自適な早期退職アーリーリタイアメントは、終わりの見えない苦行の時間であった。


 そんな彼女を見かねたのか、かつての勤め先の商家の主人から仕事の依頼があった。


「娘一家の面倒をみてくれないか」


 主人夫婦には一人娘がいて、婿を取って店を継ぐものと思っていたのに、下級騎士に嫁いで家を出てしまった。いずれ孫の一人に店を継いでもらう予定だが、それまでのつなぎに娘が店の手伝いをすることになった。昼の間、家が子供だけになるので、通いで子守をしつつ家事をする人を必要としている、とのことであった。


 フサはこの依頼に飛びついた。


*****


 新しい勤め先のアフミ一家は、王城騎士団の近衛部勤務の主人のキサカ、その妻であり以前の勤め先の主人の娘のアシナ、長男のシナツ、長女のサホの4人家族であった。


 夫婦ともに穏やかで感じがよく、理不尽な命令をすることもない、理想的な雇用主である。

 子供たちも素直で可愛い。可愛いのだが…。


「はい、料理をしたいので、かまどの使い方を教えてください」

「ください」


 台所と居間の境に立った再就職先の長男シナツが、妹のサホを後ろに従え、はきはきと答える。どこから見ても利発で礼儀正しい騎士家の長男。ちなみにサホは兄の言葉の最後を繰り返しているが、たぶんよく分かっていない。


 だがフサは、この少年がそんじょそこらの悪童よりもタチが悪いことを知っている。

 かんしゃくを起こしたり暴れたりすることはない。

 年長者を敬い、妹の面倒もよく見ている。

 時々妙な言動をするが、人前では自重しており、問題行動というほどではない。だが。


 無駄に行動力があるのだ。この少年は。


 ここで断っても、自分が帰った後にこっそり台所に忍び込むくらいはやりかねない。

 台所は、刃物や重い鍋、火打石といった危険物の宝庫である。

 シナツ少年が火打石を使ってかまどに火を入れようとして、誤って周りに引火して燃え広がる炎を幻視したフサは、いけない、と思った。


(この子はやる。下手に断れば、自分で何とかしようとするだろう)


 ちなみに王都の法では、過失の火事は規模にもよるが多額の賠償の上、王都追放。故意の放火は理由を問わず死罪である。


「料理って、何を作りたいのですか?」


「まずは、ふわふわパンとか、[うどん]とか、[ハンバーグ]や[肉まん]ですね。僕は[和菓子]が好きなので、[あんこ]も作りたいです。あ、お約束の[マヨネーズ]も外せませんね」


 何を言っているか全くわからない。たぶん料理の名前なのだろうが、ふわふわパン以外聞き取れない。


 領民の領を越えた移動が容易ではないこの国では珍しいことに、フサは若い頃、仕事で国中を旅しており、地方の様々な食文化に触れる機会があった。そんな彼女も聞いたことのない料理の羅列であった。

 最近の若者の間では、こんな珍妙な名前の料理が流行しているのであろうか。


「ええと、初めて聞く料理名ですね。どこの地方の料理ですか?」


「この世界のどこにも存在しない料理です。僕が初めて作ります」

「ます」


 創作料理らしい。

 基礎をすっ飛ばしていきなり応用に走るとは恐れ入った。とんだ冒険野郎である。


(いけない、これはいけない)

 フサは頭を抱えた。包丁を握ったこともない7歳児が、「ぼくのかんがえたさいきょうの」創作料理を作ろうとして、無事で済むはずがない。

 覚悟を決めたフサは、かがんでシナツと目線を合わせた。


「この台所は、坊ちゃんのお父様からお預かりして私が管理しているお城です。ここを使いたければ、私の指示に従うこと。私がいないときは台所に立ち入らないこと。そしていきなり料理はさせられません。下働きから始めてもらいます。それでよければ、台所を使うことを許可します」

「わかりました!師匠、よろしくお願いします!」


 シナツが頭を下げる。この世界でも感謝を表す仕草だ。兄をまねてサホも頭を下げたが、頭が大きいので、バランスを崩して倒れそうになり、慌てて手を床についている。


「ではさっそく、豆をふるってください」


「豆を?ふるう?」


 フサは、台所にある麻袋の1つを持ってきて、シナツに中身を見せた。


大豆ソヤです。ゴミが多く混ざっていて、このままでは使えません」


 見れば、豆だけでなく、乾いた葉や莢、小石やよく分からないものも混じっている。農家が収穫したものをそのまま売っているのだ。前世のスーパーに並んでいた、きれいに洗われて形のそろった野菜の記憶があるシナツは、カルチャーショックを受けた。


 フサは、居間の机の上にむしろを敷き、その上に目の粗い竹笊たけざるを置き、豆をひとつかみ入れて左右に揺すった。


「このように、小石やゴミを落とし、大きな葉っぱとかは手で除いてください。色の変な小さい豆も手で除けてください。笊の中がきれいな豆だけになったら、この鍋に入れます」


 ザーと音を立てて、選別された豆が空の鍋に入れられる。


「はい!」

「あいっ!」


 シナツは元気よく返事をすると、大豆をふるいにかける作業に集中した。しばらく、笊の上でさらさらと豆がこすれる音と、ザーと鍋に大豆が入れられる音が居間に響く。


「終わらない…」


 かなりの量をふるったはずだが、麻袋の中にはまだまだたくさんの豆が見える。子供の集中力は長くは続かない。シナツは飽きてきた。


 サホはしばらく兄の作業を見ていたが、やがて椅子の上で丸くなり、寝息をたてている。

 豆のこすれる音は波の音のようでヒーリング効果がある。

 シナツも眠くなってきた…


(飽きてる飽きてる)

 一心に豆をふるうシナツを見ながら、フサは内心ほくそ笑んでいた。

 7歳の少年である。料理の下処理よりも友人と遊ぶ方が楽しいに決まっている。

 料理をしたいと言ったのも気の迷いで、明日には忘れているだろう。


(すべて作戦通り)

 あえて地味な単純作業を割り振ってやる気を削ぐ。自分の作戦の見事さを、フサは自賛した。


 しかし、彼女の予想に反して、シナツは子供らしからぬ集中力と根気でこの退屈な単純作業をやり遂げ、その後も料理熱は冷めることなく、真面目に下働きを続けるのであった。


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