配給制度

……………………


 ──配給制度



 1724年4月。


「農林省より報告させていただきます」


 農林大臣のグリューンがそう告げるのは、王都バビロンは王城内にある閣議室で、集まった魔王軍の重鎮たちを前にしていた。


 グリューンの表情には疲れと怒りの色が見える。


「食料生産は第一次五か年計画時点の落ち込みより回復しておりません。いえ、はっきり申し上げればより低下しております。以前、ご報告した通り、このままでは大規模な飢餓が発生するでしょう」


 グリューンの報告に重鎮たちが唸る。


「これは避けられたはずの事態なのです。ですが、回避できなかったことに大臣として責任を感じております。私の力不足でありました。よって、この会議ののちに辞表を提出させていただきます、陛下」


 とうとうグリューンは匙を投げてしまい、農林大臣を辞めると言いだしてしまった。これは強制移住を要請し続けたスタハノフや、それに答えたメアリーへの当てつけでもあるのだろうが。


「ならぬ。認めない、グリューン。最後まで義務を果たせ」


 しかし、無慈悲とでもいうべきか、グリューンの辞表をソロモンは拒否。


「まずこの問題で取れる選択肢から考える」


 それからソロモンはそう重鎮たちに語りかけ始めた。


「1、農業の完全な回復を目指す。これは理想だが、実現は不可能だろう。今から労働者を工場から農地に移せば、別の問題が生じるだけだ」


「その通りかと。農業の回復にはただ労働力が必要なのです」


 ソロモンの言葉をグリューンが肯定する。


「2、農業の効率化によって少しでも生産量の回復を試みる。技術的な進歩があれば、少数の労働力でも大きな収穫が得られるかもしれない」


「陛下が仰っていた農業の機械化、ですか?」


「そうだ。工業のように農業も機械化し、効率化する。しかし、現状すぐに行えることではない。そこで次だ」


 ソロモンが次の提案を出す。


「3、食料不足に陥るのを可能な限り引き延ばす。時間を稼ぎ、解決策が生まれるのを待つ。いや、ただ待つのではない。解決に向けて全軍が前進するのだ」


「それによって農業の機械化の時間を稼ぐわけですね」


「それだけではなく、ありとあらゆる手段を考える」


 ソロモンはそう言って首を横に振った。


「農林省。可能な限り迅速に食料を配給制に切り替えよ。優先すべきはまず軍であり、次に工場で働く技術者と工員たちであり、最後の農民たちだ」


「畏まりました。しかし、配給量についてはいかがしましょうか? 一日に必須とする栄養はグレートドラゴンを除く全種族の平均にして2500キロカロリーですが……」


「ゴブリンやオークには餓死しないぎりぎりのレベルを配給せよ。やつらは食料が足りなければ何だろうと食う。だが、他は僅かに下回る程度を許容する」


「了解です」


 グリューンがソロモンの命令に頷く。


「内務省。農林省による配給制の実施を支援せよ。警察軍を動員し、転売や闇市はことごとく摘発するように。このようなときであるからこそ秩序が必要だ」


「はい、陛下」


 続いてメアリーが命令に同意。


「続いて国家保安省。食料不足についての一切の情報を統制し、表に出させるな。プロパガンダを流布し、不穏分子を摘発し、この問題を大きくして混乱を生じさせようとする動きを全て封じよ」


「了解」


 そしてジェルジンスキーが命令に応じる。


「この国難を乗り切り、いずれは勝利を手にしようではないか、諸君」


「魔王陛下万歳」


 ソロモンはそう言い、列席者たちが万歳を口にして、会議は解散した。


「カーミラ。とうとうこの時が来た。シュヴァルツ上級大将にこれから陸軍参謀本部に向かうと知らせよ。カリグラ元帥とオンディーヌ上級大将も呼べ、と」


「畏まりました、陛下」


 カーミラがソロモンの命を受けて、陸軍参謀総長のシュヴァルツ上級大将に連絡を行い、さらに空軍参謀総長を務めるカリグラ元帥と海軍参謀総長オンディーヌ上級大将にも連絡が渡る。


 そののちにソロモンは王都バビロンを密かに異動して、陸軍参謀本部に入った。だが、それから何が起きたか公文書には一切記載されていない。


 同時にグリューンは農作物の現在の収穫量から配給できる規模を官僚たちに策定させ、配給制度実施に向けて進んでいた。


 ゴブリンやオークにはソロモンの言う通り僅かな配給で、彼らはパンの欠片とそれより小さい小指サイズの肉と野菜が支給されるのみ。人狼や吸血鬼はそれより遥かにマシであったが、それでもぎりぎりだ。


『──魔王陛下は戦艦ネレイスの竣工を祝う式典に参加されました。戦艦ネレイスは魔王海軍の最新鋭の戦艦であり、主砲、装甲、速力の全てにおいて汎人類帝国海軍のそれを上回り──』


 国家保安省が監督するラジオでは、食料不足のことなど欠片も触れられず、まるで何事もないかのような放送が行われていた。


 もし、声高に食料不足を吹聴するものがいれば扇動罪や国家反逆罪で拘束され、今度は全く食料が配給されない中での強制労働に従事させられることになる。その刑罰の結果は死だけ。


 そのような統制が布かれ、魔王軍は静かな沈黙の中にあった。


 しかし、それでも食料不足が止まらず、ついに餓死者が出始めたのは1725年1月。グリューンから万策尽きたとの報告がソロモンにあり、食料の配給量は致命的に低下して、ゴブリンやオークたちが死に始めた。


 しかし、食料が全くなくなったわけではない。


 魔王国の社会を構築する中で絶対に必要なものにはちゃんと食料は巡ってきていた。ソロモンが優先度をつけたように軍、工場、農村の順で食料は配給されているのだ。


「ジェルジンスキー。まだ外部に我々の混乱は知られていないか?」


 ソロモンは餓死者の報告を受けた1725年1月に国家保安大臣ジェルジンスキーを呼び出してそう尋ねた。


「はっ。外部に食料不足の件は把握されておりません。しかし、それは時間の問題ではあります。国境付近にて食料を求めて越境を行うものが、国境警備隊によって多数拘束されていますから」


「そうか。では、迅速に行動しなければならないな」


 国境警備は国家保安省の受け持ちで、国境警備隊はジェルジンスキーの指揮の下で運用されていた。


 国境付近には農村がいくつかある程度だが、その集団農場となった農村から脱走して、国境を越えて食料を調達しようとする動きが報告されていた。


 もし、不法越境者が相手国に拘束されれば、間違いなく尋問され、そして魔王国内の食料不足について把握されてしまうだろう。


 そうなってしまうと魔王国への攻撃を招きかねない。弱った獣が襲われるのは、野生でも、国際社会でも同じことなのだから。


「では、アルファ教導狙撃兵旅団を陸軍参謀本部の下に移す。手配しておけ」


「畏まりました」


 アルファ教導狙撃兵旅団は国家保安省隷下の特殊作戦部隊だ。国外での特殊作戦を担当する準軍事作戦部門の指揮下にある。


「どうせ戦争になるなら勝つべきだな」


 ソロモンはそう呟いたのだった。


……………………

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