内務省

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 ──内務省



 1722年4月。


 五か年計画大臣スタハノフは内務省大臣室前で待たされていた。


 自分の根城である産業省庁舎に隣接する五か年計画省の庁舎ならば、こんな扱いは許さないところだったが、ここは彼の縄張りではない。


「お待たせしました、閣下。どうぞこちらへ」


「ありがとう」


 大臣秘書がそう言ってスタハノフを内務省大臣室に案内する。


「あら。スタハノフ、私に用事だとか?」


 スタハノフを出迎えたのは女吸血鬼だ。


 長い銀髪をポニーテイルにしてまとめ、暗い印象を受ける寒色をメインにした化粧をしている。その体は実に女性的な豊かさに満ち、その体のラインに会った壮麗なドレスを纏っていた。


 この女性はメアリー。彼女は内務大臣を務めている。


「メアリー。単刀直入に言う。農村からの住民の強制移住に、また力を貸してほしい」


 スタハノフは挨拶も抜きにそう切り出した。


「第二次五か年計画のため?」


「そう、その通りだ。このままでは目標が達成できない……!」


 魔王ソロモンは1721年に第二次五か年計画を発表。


 第一次五か年計画にて工業国家としての基盤づくりは既に成功したとして、次に応用の分野を伸ばすことになった。


 その内容は火力発電所のさらなる建設や水力発電所となるダムの建設、鉄道網の拡大や港湾の整備といったインフラ構築、そして軍の拡大に合わせた装備の増産及び近代化の実現などというものだった。


 特に今回は海軍の増強が掲げられていた。


 海軍は新型の戦艦4隻と装甲巡洋艦6隻を主力とする艦隊を建造するとし、魔王国南部の港湾都市にして工業都市タルウィにて建造ドックでの作業が始まっている。そのドックも第一次五か年計画で建設されたものだ。


 この第二次五か年計画もスタハノフに任されたのだが、彼は報告される予想外の数字に発狂しそうになっていた。


 そう、このままでは目標に届きそうにないのだ。


「力になってあげたいけど、これ以上の住民の強制移住は無理よ。グリューンが絶対にいい顔をしないわ」


「あんな人狼のいうことなど。権限は君にあるんだ」


「私だけの権限ではないの」


 メアリーは内務大臣として地方自治を担当していた。そう、これまでは地方領主が行っていたものが、地方領主の消滅によって中央官庁である内務省に集約されたのだ。


 メアリーは地方領主たちの財産を根こそぎ接収し、内務省に収めた。


 そのメアリーのやり方というのが非常に強引だった。


 内務省隷下にある治安機構たる警察軍を使って抵抗するものは片っ端から射殺し、射殺されずとも全てを奪われて生きていけない状態で放り出したため、彼女についたあだ名が血まみれブラッディメアリーだ。


 今、スタハノフが求めている地方の農民の生殺与奪の権も、彼らがこれまで地方領主のであったことからメアリーにある。彼らは今や内務省のだ。


「私も危惧しているのよ。グリューンが言うことが本当なら……」


 メアリーはそう渋い表情を浮かべる。


 1721年の第二次五か年計画の発表と同時に報告された農林省の報告書が、魔王軍において物議を呼んでいた。


 農林大臣グリューンからの報告とされたものは、このままのペースで農民を強制移住させ続けた場合、食料生産力は第一次五か年計画前の25%にまで低下するというのだ。


 魔王軍の総人口3億人を餓死させないためには、この低下を45%で食い止めなければならず、それを過ぎれば餓死者が出始める。それによって働き手が減れば、さらに食料生産力が低下するという負の連鎖を呼ぶ。そう報告されたいた。


 これを受けてこれまで農地から工業地帯への人口を強制移住させていたメアリーも、その動きを一時止めたのである。


「グリューンは間違っている。今は工業力こそが大事なのだ。魔王軍は五か年計画が始まってから遥かに豊かになった。だろう?」


「それについて否定する気はないわよ。それでもグリューンの方向には留意すべき点がある。無視はできないし、そもそも魔王陛下からもグリューンの報告書に目を通すように言われているのだから」


 ソロモンもこの問題には注視していた。


 しかし、それでも彼はメアリーに強制移住を中止しろとは言っていない。ただ、提出されたグリューンの報告書に必ず目を通すようにと命じただけで、後の判断はメアリーに任せていた。


「頼む、メアリー。どうか私を見捨てないでくれ。目標の数値を達成したら、また農地へ戻せばいいんだ。だろう?」


「そうね……」


 繰り返すが、ソロモンは強制移住を禁止していない。あくまでメアリーの判断に任せているままだ。


 となれば、ここで哀れに助力を乞うているスタハノフを見捨て、彼が第二次五か年計画の目標達成に失敗した場合、責任の一部を問われる可能性がある。少なくともスタハノフは失脚する前にメアリーを道連れにしようとするだろう。


 そして、もし、グリューンの報告書通りになってしまった場合は、メアリーはスタハノフから圧力があったと弁明することができる。


 もちろん、これは憶測で、実際に問題を裁くのはソロモンとなる。だが、そこまで外れた憶測でもないはずだ。そう、メアリーは判断した。


「分かったわ。他ならぬですもの。集団農場から少しばかり強制移住させましょう」


「ありがとう、メアリー」


 上手くいけばスタハノフに恩を売れるし、上手くいなければスタハノフを失脚させられる。どう転んでもメアリーにとっては美味しい話だ。


 ライバルは少なければ少ないほどいいのであり、周りはみなライバルだ。


 それを理解していなかったスタハノフは、決して友人などではないメアリーの前で弱みを見せてしまった。彼の政治生命はさほど長くないだろう。


 メアリーはこののちに公文書にも『五か年計画大臣スタハノフの要請』で強制移住を命じると残し、強制移住はその後実行された。


 これに反発したのは他でもない農林大臣のグリューンだ。


 今や地方の農地はほぼ全てが国営集団農場へと変わっており、そこで働く人員は農林省の管理するものであるはずだった。


 しかし、メアリーは今も自分たち内務省が接収した農民たちを手放しておらず、地方の人間をどうこうする最終的な決定権は内務省に存在していた。


 そのため集団農場からは困惑する農林省の官僚たちを横目に、内務省警察軍の兵士たちが農民を連行していった。


 グリューンはその報告を受け、まずメアリーに抗議するも、メアリーはこの強制移住はスタハノフの要請によるものだと返す。


 続いてスタハノフに抗議すれば『自分は魔王ソロモン陛下の命において、第二次五か年計画を達成する必要がある。これを妨害するのは王命に背く大逆罪だ』と逆に脅迫をかけられた。


 グリューンは真面目でとても優秀な官僚であったが、政治家としては微妙な才能であった。彼は政治家特有の損得勘定が苦手で、他者に恩を売って後で回収するという根回しも十分でなかった。


 だが、正しいのはグリューンだ。この強制移住によってグリューンの報告書に記された予想は、現実の悪夢になろうとしていた。


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