プロパガンダ
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──プロパガンダ
ソロモンの貴族に対する悪感情は彼が即位したときから続いていた。
反乱を起こした地方領主たちはもちろんのこと、中央においてもおべっか使いの無能な貴族を見てきたソロモンは彼らに心底落胆していた。
縁故人事で無能が無能を呼び、宮廷マナーとやらをでっち上げて自分たちに有利な環境を作り、貴族同士で便宜を図る隠蔽体を産む。そういうものを見て、ソロモンは早期にこの状況を変えなければならないと判断した。
彼は即位してから貴族の力を徹底的に削ぎ続け、バビロンに疫病のように蔓延っていた宮廷貴族も追放した。そうすると同時に確かな教育を受けた専門知識を有する官僚に権力を移行させていった。
今の魔王軍の重鎮たちに貴族は数名で、ほとんどがソロモンが設置した官僚を育成する国立大学か、あるいは軍の士官学校、参謀学校を出たものばかりだ。
「宣伝すべき点は、まず先の第二次貴族戦争において討伐軍が圧倒的勝利を収めたこと。魔王陛下による軍における改革は成功し、我々は無類の強さを得たということを知らしめなければならない」
1721年1月。
ジェルジンスキーが部下の捜査官たちにそう命じていく。
ジェルジンスキーは数少ない貴族のひとりであり、今も侯爵の爵位を有するが、彼の下で働く国家保安省の捜査官たちに貴族はいない。血筋を理由に捜査官になったものはいない。全員が大学を出たものたちだ。
今の地位にジェルジンスキーが残っているのは彼には確かな実務経験があるからに他ならない。この魔王のスパイマスターは先代の魔王にも仕えていた過去がある。
「これによって魔王陛下への国民の支持だけではなく、軍に対する信頼も生まれる。自国の軍が強いことを嫌うのは、売国奴か、狂人だけだ。ほとんどのものは軍が強いということには喜びの反応を見せる」
ジェルジンスキーは単なる粛清や諜報だけでなく、この手の情報戦においてもプロであった。彼には民衆を扇動するということに長けた才能がある。
彼の実務経験のひとつとしてあるのが、かつて起きたドワーフの国家ニザヴェッリル大共和国とエルフの国家エルフィニア王国の間で起きた戦争での情報戦だった。
彼は両陣営に工作員を忍ばせ、両陣営で互いに敵意を扇動し、戦争を長期化させた。あまりにドワーフはエルフに、エルフはドワーフに敵意を抱いたため、彼らは魔王軍の脅威のことなど忘れてしまったぐらいだ。
ジェルジンスキーは知っている。一度流れた血はそう簡単には洗い落とせない、と。
ドワーフとエルフは講和したのちも今もあの戦争のことを引きずっており、両陣営を再び分断するのは容易なこととなっていた。
『あの戦争のことを忘れたのか?』
そういうだけで間違った有害な愛国心が煽られ、彼らは本当の脅威を見失う。
「さらには軍内部の安定にも繋げなければならない。今も軍内部には魔王陛下の改革を疑い、反発しようというものがいる。そういうものを納得させるか、あるいは周囲に相手にされない孤立した状況を作り出すべきだ」
「はい、大臣閣下」
そのようなジェルジンスキーが宣伝工作を計画していくのに部下たちが頷きながら、資料を作成していく。優秀な官僚である彼らはジェルジンスキーから言われたことを忠実に果たす。
そう、命令を果たすのみ。それ以上のことはジェルジンスキーは求めていない。官僚という国家の歯車が命令なしに動くのは好ましくないのだ。
軍と同じく無能な働き者は官僚機構においても有害だ。
「続いては第一次五か年計画についてだ。スタハノフや工場の工員を讃える必要はない。ここで讃えられるべきは、やはり魔王陛下であり、その指導力だ。魔王陛下の優れた指導力に導かれ、今回の目的は達されたと示すように」
このように魔王ソロモンに忠誠を誓っているジェルジンスキーだったが、ソロモンから好まれているかといえば、そうでもなかった。
ソロモンはジェルジンスキーが権力を持ちすぎないように常に警戒していた。第二次貴族戦争の結果、貴族がいなくなり、次に反乱を起こすとすればそれは軍か、あるいは国家保安省だからだ。
これは個人的な好意や一時的な雰囲気の問題ではない。ソロモンという今の権力者からその権力を簒奪できる環境にあるものは、その意志があるかないかにかかわらず、警戒が必要なのだ。
人の考えが将来的にどう変化するかを予想することなどできないのだから。
ソロモンはジェルジンスキーのことをそういう理由で好まず、常に軍と国家保安省を対立させておくなどしていた。軍が反乱を起こそうとすれば国家保安省が、国家保安省が反乱を企てれば軍が、それぞれ潰し合うように。
だから、ソロモンだけではなく、軍の指導者たちもジェルジンスキーを嫌う。
だが、特にジェルジンスキーを好まないと言えば、それは侍従長のカーミラに外ならない。彼女はソロモンの名の下に強権を振るうジェルジンスキーを嫌い、ジェルジンスキーもソロモンの理解者面をする彼女を嫌った。
だが、誰に嫌われようとこの老齢の吸血鬼は気にもしなかった。
他者から好まれるより、恐れられ、嫌悪された方が、今の仕事はやりやすいのだ。死刑執行人が慈悲深く、そして愛情深くある必要などないようにして。
「過去の魔王陛下のお言葉を織り交ぜて、魔王陛下は今回の目標達成を完全に予測できたことも伝えるとよいだろう。神秘性というものに民衆は魅了されるものだ。予言者というものが過去から今まで崇拝されるように」
ジェルジンスキーは淡々と命令を告げていき、官僚たちがその命令に従って宣伝計画を立案する。
魔王軍には国家保安省が運営する国営新聞社があり、国営ラジオ放送局が存在する。
国営新聞社は主に吸血鬼・人狼・ドラゴン向けに新聞を発行していた。というのも、ゴブリンやオーク、トロールなどに文字を読む識字率は全く期待できないからである。そうであるが故に新聞はカースト上位の特権とも言えた。
一方ラジオはそこまで普及しているわけではないが、ソロモンが強く求めた無線機開発の一環で生まれたものが、民生品として生産され、魔族の集まるレストランや酒場などの場所に設置されている。
ラジオの音楽と威勢のいいアナウンサーの言葉は、文字を読むことのできないゴブリンたち低知能な魔族にも雄弁に響き、彼らを扇動することができた。
「重要なのは事実を語ることではない。我々の目的を達する情報を伝えることだ。事実はそれを知るべき人間だけが知っているだけで十分である」
ジェルジンスキーはそう語る。
「我々がカラスは白い方が国益に沿うと考えるならば、我々は『カラスは白い』と民衆に認知させなければならず、そのような情報を流す必要がある。カラスが実際に白いかどうかなどは問題ではない」
彼はたまに彼の職務で知り得た経験とでもいうべきものを部下たちに語ることがあった。それは彼が後継者を作ろうとしているというものいれば、単なる老人のひとりごとだと罵るものもいた。
「今回の宣伝で必要なことは『魔王国にとっては工業化こそが唯一の正しい道』であり『魔法陛下はその決断において全て正しい』ということであり、『その決断において行われた第一次五か年計画は大成功した』ということだ」
会議室の集まった国家保安省の捜査官たちをジェルジンスキーが目を細めて見渡す。
「数字は弄るな。ただその数字を表現する方法は好きにするように。都合よく切り抜き、装飾していい。ゴブリンやオークでも理解でき、人狼やドラゴンでも異論をはさまない方法を使え。いいかね。正しさは全く重要ではないのだ」
ジェルジンスキーは事実を知るひとりとしてそう命じた。
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