輝かしき王都バビロン

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 ──輝かしき王都バビロン



 魔王軍がこのバビロンを王都に定めたのは、そう歴史あることではない。


 かつては遊牧民のように拠点を転々とさせていた魔王軍が、この地を魔王の座す土地と定めたのは、ほんの100年ほど前だ。


 そのバビロンの中心部には大きな運河としてセイレーン川が流れ、これまではこの川が内陸部にあるバビロンの主要な流通インフラを形成していた。


 そんなバビロンは長らく捕虜にしたドワーフに作らせた宮廷建築があるだけの、それだけの都市であった。そこには産業がなく、ただただ魔王とその臣下による政治だけが行われる場所であったのだ。


 それが変わったのはやはりソロモンによる改革で、農業から工業へのシフトを目指す第一次五か年計画によってバビロンは一変した。


 いくつもの製鉄所がもうもうと汚染物質に満ちた黒煙を上げて、大量の鋼鉄を製錬し続けている。その鋼鉄は鉄道の車両やレール、そして船舶などに利用され、まさに工業化の基盤を形成していた。


 また火力発電所も建設され、製鉄所と同じように黒煙を吐きながら、バビロンを人工的な輝きに満ちた眠らぬ都に変えている。


「報告いたします、陛下!」


 その王都バビロンの王城にて、これらの工業化を成し遂げた五か年計画を担当する吸血鬼の大臣スタハノフが高らかに声を上げる。スタハノフはいかにもな役人面をした男で、ソロモンの前で媚びるような笑みを浮かべていた。


「五か年計画は無事目的を全て達成いたしました。鋼鉄、石炭、石油の分野においては目標の2倍の成果を達成しております。鉄道車両、レール、船舶などの分野においても当初は危ぶまれましたが、無事に目標の数字を達成いたしました」


 第一次五か年計画。1713年~1717年までに実行された工業化のための計画経済であり、先に述べたようにどそれは魔王国の主要産業を農業から工業にシフトさせることが目的であった。


 主目的は工場の建設、インフラ整備、労働者の育成、規格の統一などであり、工業力の基盤をしっかりと育てることこそが目的である。


「我らが魔王軍は今まさにドワーフの国家ニザヴェッリル大共和国すらをも上回る工業国となったと言えましょう!」


 スタハノフはそう言って笑い、会議に列席している魔王軍の重鎮たちを見渡す。


「確かか、ジェルジンスキー?」


 だが、ソロモンはその報告の確認を報告を行ったスタハノフその人ではなく、別の吸血鬼に確認した。


 その吸血鬼はそのうっすらとくすんだ赤い瞳に分厚いレンズ眼鏡をかけ、口と顎に白いひげを蓄えたフィールドグレーを基調にした警察軍の軍服を纏った老齢の男性だ。警察軍の軍服には上級大将の階級章。


 彼が報告書から顔を上げ、刺すような鋭い視線でスタハノフの方を見ると、スタハノフが震えあがるように身を縮めた。


「報告に問題はありません、陛下。このことは大いに宣伝すべきかと」


 極めて事務的にジェルジンスキーと言われた吸血鬼が返す。


 ジェルジンスキーは国家保安省の大臣だ。


 彼の率いる国家保安省は国内における防諜及び治安維持、宣伝活動、そして対外諜報を担当する。つまり秘密警察にして情報機関である。


 ソロモンによってで設置されたこの組織は、これまで幾度となく魔王国内にてソロモンの意向に反する不穏分子の粛清に従事している。


 突然前触れもなく訪れる国家保安省の捜査官に連れていかれた魔族がどこに消えたか、知るものは少ない。極北の荒れた大地に流刑されているとも、あるいは銃殺されて東の果てにある海に捨てられたとも、今も拷問を受け続けているとも言われている。


 ジェルジンスキーは魔王ソロモンに忠誠を誓い、魔族は誰もが血に飢えた魔王の猟犬たるそのジェルジンスキーを恐れていた。


「そうか。では、宣伝の計画を練っておけ。この成功は大々的に宣伝したい。それからカーミラがお前が第二次貴族戦争にてバビロンでの反乱を防いだ旨を評価すべき、と言っていた。追って褒章について知らせる」


「光栄です、陛下」


 ジェルジンスキーは無表情に頭を下げ、僅かに侍従長カーミラに視線を向けた。


 ソロモンの悪癖とでもいうべきか。彼は重鎮たちを評価する際に、他の重鎮たちから言葉を引き出させることが多い。それが好意的な評価であれ、劣悪な評価であれど、構うこともなく。


 重鎮たちはそれによってお互いをライバル、あるいは敵として認識するようになり、その関係には殺意すら存在した。


 だが、これによって単なる耳障りのいいことばかりを言うおべっか使いは排除されたともいえる。ソロモンだけに媚を売っても、他の重鎮に認められなければ、その評判は一瞬で地に落ちるのだ。


「第一次五か年計画の成功、ご苦労だった、スタハノフ。お前にも追って褒章について知らせる。が、その前に農林省から報告があるそうだ」


 ソロモンがそういって列席者の中のひとりである人狼の男性に視線を向ける。人狼は灰色の毛並みに青い瞳をしており、その眼鏡をかけて、軍服ではなく紺のスーツという出で立ちは、人狼にしては珍しく文官であることを示していた。


 彼は農林省大臣のグリューンという人狼だ。


「報告いたします。五か年計画達成は素晴らしいことなのですが、その反動が農業に影響を及ぼしていると農林省は判断しております」


「続けろ」


「はい。穀物生産料は五か年計画開始以降徐々に低下し、1713年と比較して1721年の現在では32%の低下。その他作物に関しても10%から50%の下落です。そして、これは回復する兆しが全くありません」


 グリューンは深刻そうな表情でそう数値を報告する。


「集団農場の運営は上手くいっていないと?」


「問題は集団農場の効率性云々ではなく、シンプルに働き手不足です。大規模な人口の工業地帯への流出によって、農地では致命的に人が足りません。既に多くの農地が整備されず、荒れ果て始めています」


 ソロモンの問いにグリューンがそう返した。


 工業化が急速に進む反面、農業は未だ機械化されてない。機械化以前の農業に必要なのはただひたすらに人手であった。


 だが、その人手が五か年計画による人口の工業地帯への強制移住などもあり、減少を続けてしまっている。それによって農作物や畜産物の生産料は著しく減少した。


「グリューン大臣! まるで工業地帯への人口の集中を悪いことのように言われるが、我々は断固とした意志で工業化を進めなければならないのだ。今でもまだまだ工業地帯は人手不足だというのに」


「では、民に麦ではなく鉄や炭を食べろとでも仰りますか? このまま農作物の減少が続けば、飢餓が発生するでしょう。それによって人口が減少すれば、工業力も同時に低下するのですよ」


 スタハノフがグリューンを非難するのにグリューンがそう反論する。


「農業に従事する労働力を増やすのではなく、効率を高めるだけでは不十分だということか。集団農場はこれ以上、労働力を減らせないばかりか、増やすべきであると」


「その通りです、陛下。どうかご配慮のほどお願いします」


「分かった。考えておこう」


 そして、この会議はひとまず終了した。


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