第23話 備えと味わい ー アオイとミナコ

 ドアノブに手を伸ばすと、扉が動いたので慌てて手を引いた。そこには同じ顔の男が二人立っていた。


「お、アオイさん、こんにちは」と二人同時に言った。双子の兄弟ケンタとユウタは、特区で魚の養殖をしている。


 一瞬驚き、遅れて「こんにちは」とお辞儀した。


「今からお昼?今日はサーモンがいい感じで仕上がったんで持って来たんだ。堪能して」


「わぁ、楽しみ。ところであとでちょっと寄らせてもらってもいいですか?」


「今日はそんなに忙しくないから大歓迎!後でサーモンの感想聞かせて」


「じゃあ」


 二人同時に右手を挙げて、水槽を載せたトラックで帰っていった。


「こんにちは」


 室内に入ると、バターと香草のいい匂いがした。


「いらっしゃい、あら、アオイちゃん。今日はサーモンをもらったのでソテーにしてるんだけど大丈夫?」


「はい、ちょうど今、ケンタ君とユウタ君に会って聞きました。楽しみです」


 椅子に座ると、テーブルの中央には小さな花瓶が置いてあり、スズランの花が飾られていた。小さな白い花が鐘のように連なっていて、とてもかわいらしい。


「アオイちゃーん、ちょっと手伝って」


 キッチンの奥から声がした。


「はーい」


 返事しながらキッチンに行くと、二つのトレーが置いてあった。


「そっちがアオイちゃんの分だから持って行って。私もご一緒させてもらっていいかしら」


 そう言うと、ミナコはもう一つのトレーを持った。


「もちろんです。ありがとうございます」


 アオイもトレーを持って、二人でリビングに戻った。


 席に着くと、ミナコが料理の説明をしてくれた。


「サーモンは新鮮で刺身でも食べられるって言ってたので、レアソテーでレモンバターソースをかけてます。付け合わせはアスパラガスと蒸したジャガイモ、スープはオニオンコンソメスープで隠し味に少しだけ味噌を入れてます」


 ミナコの説明を聞きながら、料理の香りを嗅いでいるだけで、口の中がよだれでいっぱいになり、思わずゴクリと音を立てて飲み込んでしまった。その音が聞こえたのか、ミナコはフフッと笑いながら手を合わせた。


「じゃあ、食べましょう。いただきます」


 照れ笑いしながら手を合わせた。


 最初にスープを一口飲んでみた。玉ねぎの甘みとどこか野性味を感じる味が、隠し味の味噌と調和していてとても美味しい。


「このコンソメって」


「気付いた?初めて食べる味?」


「はい。なんか野性味があるというか脂を感じるんですけど、くどくなくて、玉ねぎの甘さとはまた違った甘みがありますね」


「それね、イノシシの肉を使っているの。ナオユキ君が持ってきてくれたの」


「イノシシ!?初めて食べます」


 もう一口スープを味わった。体に野生の力が溶け込むようで、食欲が一気に湧き上がった。次にサーモンのソテーにナイフを入れる。レアに焼き上げられたサーモンは少し弾力があり、外側は火が通り白っぽくなっているが、中はみずみずしいピンク色をしている。まずはソースのかかっていない端の身をそのまま口に入れた。一口噛むとサーモンの旨味と脂の甘みが口いっぱいに広がる。もう一切れ切り、次はパセリの入ったレモンバターソースをナイフで塗り付け口に運ぶ。バターの香ばしい香りと塩味がサーモンの旨味をさらに引き出し、レモンの酸味が脂っこさを中和してくれる。


「これもとても美味しいです」


 ミナコは、嬉しそうにアオイの様子を見ながら、サラダをつついている。


 あっという間にサーモンを平らげた。付け合わせのジャガイモとソースの相性もよく、アスパラガスも新鮮で美味しかった。途中、サラダで口直しをして、ちぎったバゲットにソースをつけて食べたので、サーモンの乗っていた皿は、洗い立てのようにきれいになった。


「あー、美味しかったぁ」


「アオイちゃん、とっても美味しそうに食べてくれるんで、見てるだけで幸せな気分」


 ミナコが微笑んだ。


「夢中で食べちゃいました」とアオイも笑った。


「アオイちゃんって、ベジファーストじゃないんだね」


「昔は食べる順番を気にしてそうしていたんですけど、あるとき、父に言われたんです。コース料理じゃないんだから、料理全体を見て、温かいうちに美味しい物から食べなさいって。そのとき、私が後回しにしてたのは茶碗蒸しなんですけど、茶碗蒸しってなぜか最後に食べるもののような気がしていて。確かに温かいうちに食べた方が美味しいに決まってるんですけどね」


「一理ある」


 ミナコはうなずいた。


「それ以来、父の言いつけってわけじゃないんですけど、順番なんて気にせず食べてます」


「面白いお父様ね」


「面白いっていうか、変わり者なんです。普段はあんまりしゃべらないくせに、たまに口を開いたと思ったらそんなことばかり言うんです」


 食後に、ミナコの淹れてくれたカモミールティーを飲みながらタダシのことを聞いた。


「タダシさんね、たまにご飯を食べに来てくれるんだけど、彼、結構なグルメでね。私の料理の材料から調理法、隠し味なんかも言い当てちゃうの。だから、タダシさんが来るときは少し緊張するの」


 タダシのまた違った一面を垣間見た。


「でね、ある日、タダシさんから連絡があって、私に食べさせたいものがあるっていうんで、グルメなタダシさんが何を持ってくるか楽しみに待ってたの。そしたら、何を持ってきたと思う?」


 見当もつかず、頭を横に振った。


「カップラーメン」


「え、カップラーメンって、あのカップラーメンですか?」


「そう、あのお湯を入れて待つやつ。タダシさんは唖然とする私をよそに、キッチンに行ってお湯を入れて私の前に置いたの。なんか聞いちゃいけない雰囲気だったんで黙っていると、時間になったのか、フタを取ってズルズルって食べ始めたの」


 ミナコは、フタを取り、箸で麺をすするしぐさをすると、手のひらを上に向け差し出し「どうぞ」とジェスチャーをした。


「何が何だか分からなかったんだけど、とりあえず食べてみたの」


「何か特別なものだったんですか?」


「全然、至って普通のカップラーメン。私、特区に来る少し前から、化学調味料とか保存料が入っているものを口にしないようにしてたのね。だから、半分も食べないうちに気持ち悪くなっちゃって、なんか受け付けない感じで」


 さっき食べた料理も自然な味付けで美味しかったので、タダシの行動が理解できなかった。


「なんだか腹が立ってきて、これは何なの?ってタダシさんに聞いたの。そしたら、『ミナコさんの手料理は確かに健康的で手が込んでて美味しい。だけど、もし災害なんかでライフラインが途絶えたら、口にできるものはこんなものばかりですよ』って言われたの」


 確かに、震災現場などで自衛隊が運んでいる物資にカップラーメンなどのインスタント食品が映っている映像を見たことがある。


「たまにはこういうものを口に入れて、体を慣らしておかないと生き残れませんよって言われたの。それからは、定期的にフリーズドライ食品や缶詰なんかを持ってきてくれるんで、二人で食べるの」


「なんか凄い人ですね」


「凄いっていうか、やさしいよね」


 そう言うと、ミナコは「でもやっぱり不味いものは不味いけどね」と言って舌を出した。

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