第22話 答えのない選択肢 ー アオイとナオユキ

 ペダルを漕ぐたびに、全身に当たる風が心地よい。


 できるだけ多くの人に会おうと考え、昨日のうちにミサキから借りておいた自転車でナオユキのところに向かっている。ナオユキは相変わらず野営をしているらしく、連絡を取ると、この間とは違う集落の西側にある山の位置情報が送られてきた。未舗装ではあったが、どうにか最後まで自転車に乗ってたどり着くことができた。


 10メートルほど先にテントが見え、こちらに背を向けて座っているナオユキの姿があった。木に自転車を立てかけ、歩いてナオユキのところに向かう。近づいていくと案の定、大きな塊が飛び出してきた。


「テッシュウ、いけない!」


 すぐにナオユキは叫んだが、その勢いは衰えることなくこちらに向かってくる。


 足を前後に広げ、少し腰を落として待ち構えた。前回と同様、思ったほど強い衝撃は来なかったが、やはり尻もちをついた。大きな舌で顔をなめてくるテッシュウを笑いながら押しのけ、どうにか立ち上がると、ナオユキのもとに向かった。


「すみません、大丈夫ですか?」


 ナオユキは近くのコンテナボックスからタオルを取り出し、アオイに差し出した。


「ありがとうございます。大丈夫です」


 タオルを受け取ってテッシュウのよだれを拭きながら、今回訪問した目的を告げた。


「タダシさんにはいつもお世話になっています。そうですねぇ、面白いエピソードというわけではないのですが……」


 そう言うと、ナオユキはポットに入ったコーヒーをカップに注ぎ、アオイの前に置いた。


「自分、自衛隊にいたじゃないですか」


「はい」


「自衛隊に限ったことじゃないと思うんですが、公務員ってペーパーが好きなんですよ。申請書とか許可書とか報告書とか全部、紙に印刷して印鑑押すみたいな」


 アオイは、特区住民公募の一次審査が紙の書類だったことを思い出した。


「で、次に好きなのがアンケート。メンタルヘルスや何か問題が起きたりしたとき、何か計画するとき、何かあるとすぐにアンケートをやらされるんです。しかも紙の」


「へぇ」


「で、そのアンケートの話をタダシさんにしたときなんですけど……」


 ナオユキがテーブルの上のコーヒーを一口飲んだので、アオイも一口飲んだ。


「美味しいです」


「ありがとうございます。で、アンケートの話なんですけど、回答が『はい』『いいえ』『どちらでもない』とか、『思う』『思わない』『どちらでもない』みたいな3択なんです。みんな忙しいから適当に『どちらでもない』ばかりに丸付けちゃうんです」


 ナオユキは、指で空中に丸を書いた。


「それを聞いたタダシさんは、『なんだよそれ』って笑って、僕にアンケートの質問をいくつか出してみてと言ったんです」


 これから始まる珍獣の回答に期待が高まる。


「あなたは、部下の指導に暴力を使うことについてどう思いますか?」


「どちらとも」


「あなたは、これまで人の嫌がることや、悪いと分かっていながらやったことがありますか?」


「どちらとも」


「あなたは、どうしようもなく気持ちが落ち込んで何も手につかない時がありますか?」


「どちらとも」


 ナオユキがふざけているのかなと思って、質問を止めると、


「だって、その時の状況で違うじゃん。暴力を使ってでも正さないといけない危険なこともあると思うし、自分がいいと思っていても他人は嫌がることなんて世の中ごまんとあるし、だいたい、俺はご飯もパンも好きだし、犬も猫も好き、ハイな時もあれば落ち込む時だってある。それを『はい』か『いいえ』で答えられないし、ましてや『どちらでもない』なんて曖昧な答えなんて俺の中にはなくて、俺は常に『どちらとも』だと思ってる」


「それを聞いて、なんか納得というか感心しちゃったんですよね。確かに『どちらとも』っていう回答はなかったなって」


「やっぱり面白い人なんですね」


「面白いっていうか、シンプルで純粋なんだと思います。その話をしてる時もすごく真面目な顔で真剣に答えてたんで」


 ナオユキが楽しそうに話す様子につられて、アオイも自然と笑顔になった。それから、近況や最近食べたミサキのお菓子の感想などを話した。話している間、テッシュウは時折ピクッと耳を動かす以外は伏せの姿勢で目をつぶっていた。


「お昼、食べていきますよね」


 ナオユキに言われ、時間を確認すると正午に近づいていた。


「ありがとうございます。でも今日はミナコさんのところにお邪魔することにしているんです」


 ナオユキも誘ったが、「今日はストックしている鹿肉を食べてしまわないと傷んでしまうので」と断られた。


 ミナコは、集落で料理を作っている女性で、これまでも何度かご馳走になっている。


「じゃ、そろそろ」


 立ち上がると、テッシュウが素早く近づいてきたので、大きな頭を両手でなでて別れの挨拶をした。


 自転車が置いてある場所まで行き、振り返るとナオユキたちがこちらを見ていたので、「ありがとうございました。また来ます」と大きく手を振って、自転車にまたがった。

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