第20話 魅力の裏側 ー アオイ

 ミサキと話した翌日、新着メッセージの信号が来たので開いてみるとタダシからだった。


『昨日、ミサキさんから、僕のことを勝手にしゃべってすみませんというメッセージが来ました(笑)。もし、困ったことがあればいつでも連絡ください』という内容のメッセージに加え、タダシのIDが添付されていた。


 すぐにIDを登録すると、タダシのIDに直接メッセージを送信した。


『ありがとうございます。困ったことがあったら遠慮なく連絡させてもらいます』

 

 これで、お互いのID交換が終わったことになる。困るのは嫌だが、タダシがどのように助けてくれるのかに興味があり、少しだけ困っていることがないか考えたが、特にはなかった。


 それから数週間は、何事もなく過ぎていった。


 この間、ご飯を作ってくれる人、絵を描く人、道具を作る人などいろんな人に出会った。みんな、それぞれの個性をもっていて魅力があり、いい人だった。


 最近、アオイは一日の終わりに、その日出会った人たちの魅力を伝えるためのキャッチコピーや文章を日記のように書くのが習慣となっていた。広告代理店で働いていた時は、多少の虚偽や誇張が含まれていても売り上げが伸びれば良しとするような仕事をしていた。だから、純粋に人の魅力を伝えるための文章を書くのはとても楽しかった。


 ふと自分が仕事を辞めるきっかけになった出来事を思い出した。それは、アオイが辞める半年前のことだった。培養食品やプランクトン食品などを扱う大手食品会社が行う『あなたの食事が未来を創る』というキャンペーンのプロモーションを、アオイのチームが担当することになったときのことだ。


 この食品会社は、食糧不足が深刻化するといわれ始めた時代に、いち早く培養肉やプランクトンを加工した食品の研究・開発に着手し、成功を収めた会社だ。その後も様々な培養食品やプランクトン食品を開発・販売している。この働きは国内に留まらず、海外でも絶賛され、保護団体などの後押しもあり、一躍、世界的ブランドに上り詰めていた。

 

 懸念されていた食品不足問題については、農業機械のAI導入やオートメーション化が人手不足を補うには十分すぎる働きを行い、大きな問題にはならなかった。そればかりか、TIが導入され始めると、生産量が爆発的に増加し、今度は食料が余り始めた。余った食料の一部は、食糧難の国に無料で寄付される形で処理されたが、それは表向きの話で、食料の輸送費などを考えると余った食料のすべてを送るわけにもいかず、その多くは破棄処分することで市場価格を調整した。


 その後、TIによる生産量調整が行われたので、このような事態は起こらなくなり、食品ロスも大幅に減った。


 それに目を付けた食品会社は、『毎日の食事の一品を当社の加工食品に置き換えることで、余った食品を海外の食糧難の国に寄付して、世界中の人たちが同じように食べられる未来を作りましょう』というキャンペーンを行うことになった。さらに、『余った食料の輸送は全部当社で行います』という、世界中にネットワークを持っている会社ならではの付加価値もつけていた。大々的なこのキャンペーンを、アオイの広告代理店が担当することになった。


 アオイは、この会社の活動に感動し、率先してプロジェクトのために動き回った。マーケティングリサーチを行い、データに基づいた広告戦略を立て、効果的なキャンペーンを行うためのアイデアを練った。帰宅が深夜になり、休日返上で働くことも多かったが、自分の仕事が社会貢献に繋がっていると考えると、不思議と疲労感を忘れることができた。


 プロジェクトも佳境に近づき、残すはキャンペーン開始に行うイベントの最終調整のみとなった。これまでは主にオンラインで行われていた各担当者とのやり取りも、今回はイベント会場の下見を兼ねて、会場の会議室で行うことになった。そして、その日の夜には食事会も計画されていた。


 当日、会議には、広告代理店からプロジェクトリーダーを含む5名、食品会社からはこれまでやり取りのあった担当者3名に加え、営業推進部の部長が参加した。

  

 会議は滞りなく終わり、最終調整も問題なく済んだ。あとは実際のイベントの準備を待つだけとなった。アオイたちはこの日のために時間をかけて準備してきたことが報われたように感じ、これまでにない充実感を味わっていた。


 食事会は、会場の近くのステーキハウスの個室で行われた。ここは、アオイの後輩社員が探りを入れ、相手方の部長の好みの店として選んだ場所だった。


 一品ずつシェフがパフォーマンスしながら目の前の鉄板で食材を調理し、提供していく。国産牛や魚介類、野菜は、アオイがこれまで経験したことのない贅沢な味わいだった。時折あがるフランベの炎やシェフのナイフさばきに、会は大いに盛り上がり、アオイは常に周囲に目を光らせ接待に努めた。部長は終始ご満悦で、肉をほおばり、赤ワインを何杯も空けていた。


 部長の隣に座っているプロジェクトリーダーが黒毛和牛のフィレステーキを追加で注文し、新しいボトルワインを頼んだ。


 店員がワインボトルを運んできたのを見計らい、アオイはそれを途中で受け取り、部長のところに行った。


 部長の右側に回り、「失礼します」と言って、ワインを勧める。


 部長は笑顔で、「若いのに気が利くね」と言い、少し横にずらしたワイングラスに、アオイはワインを注いだ。


「それにしても素晴らしい取り組みですね」とアオイが話しかけると、部長は一瞬、何のことを言っているのかわからないという表情を浮かべた。


 部長は思い出したかのように「あー、あれのこと、ビジネスだよビジネス。大体、一食一品をうちの培養食品に変えたところで大した量にはならないだろう」と言って、目の前に出されたフィレステーキにフォークを指し、それを口に入れた。


 「うん、やっぱ国産牛はうまいな」数回噛むと、赤ワインで流し込む。


 「そもそも余った食品ってどこにあると思う?」と言って、手に持っていたフォークをアオイに向けた。


 アオイが黙っていると、


「生産者のところだよ、生産者。生産者が売れなかったものをわざわざ無料でうちに持ってくると思う?」


 アオイに向けていたフォークで、もう一切れ肉を刺すと、部長はそれを口に入れ、くちゃくちゃと咀嚼し、ワインをがぶりと飲んだ。


 部長は笑みを浮かべ、「でもまぁ、うちは世界に商品を発送しているからな。積み荷の隙間を埋める程度には食料を送るけど、それもただのアピールさ」と言い放った。そして、ワインをがぶりと飲み、「ガハハハ、これもビジネスだよ」と下品に笑った。


「大体さぁ、食糧難の人たちに食べ物を届けたかったら、そんな回りくどいことをせずに、うちの加工食品を送ればいいじゃん。ちょっと考えればわかることなのに、一般の連中って本当に単純だよな。ちょっとした宣伝文句や見せかけだけですぐに騙される」


 部長はそこまで言うと、ワインを一口飲み、とろんとした目でアオイを見た。


「そして、そいつらを騙すのがあんたらの仕事だ」とアオイを指さした。


 アオイはその言葉に落胆と怒りの感情がふつふつと沸き上がり、口を開きかけた瞬間、チームリーダーが間に入った。


「部長、そろそろ次に行きましょう!次」


 プロジェクトリーダーは、少し足元がおぼつかなくなってきた部長とともに出口に向かって歩き出した。途中、一度だけアオイの方を振り返り、少し険しい顔で「お前は今日は帰れ」と言い残して店の外へ出て行った。


 ふたりの退場をきっかけに、食事会はお開きとなった。そのまま二次会へという流れになっていたが、アオイは気分が悪くなったと言って、群れを離れた。


 翌朝、アオイは二日酔いで最悪の寝覚めだった。これまでの疲労に加え、部長の言葉が頭から離れず、飲み過ぎてしまった。


 会社に着くと、アオイはすぐにプロジェクトリーダーのところに向かった。


「昨日のあれ何なんですか!」自然と語尾が強くなる。


 プロジェクトリーダーは、酒の残った赤い目でアオイをにらみつけた。


「お前こそ何なんだよ!お前の仕事は何だ?食糧難を救うことか?培養肉を売ることか?お前の仕事はこのキャンペーンをプロモーションして成功させることだろうが!プロモーションの成功とは、クライアントの売り上げが伸びることだ。それ以外のことはお前には関係ないんだよ。余計なことは考えずに仕事をしろ」


 突然の怒声に、周囲が静まり返る。


「他に何か?」


 そう言われ、涙がこみ上げるのをこらえるのが精一杯で、「何も」とひと言だけ答え、その場を離れた。


 その後、アオイはキャンペーンイベントの開催を待たずに仕事を辞めた。


 会社には、直属の上司を通さずに退社を申請するシステムがある。これは、パワハラなどで心に病を患った人たちの救済措置として設けられているもので、人事部に直接申請することで退職の処理が完了する。退職後の各種手続きもオンラインで行われ、同じ部署の人間や上司に会わずに済む。


 この申請を受理した人事部は、その部署に問題がないかを調査することになっている。状況によっては管理職クラスの人間の進退にも影響するため、よほどのことがない限り、このシステムを使って辞める人間はいないし、使わせないようにもしている。


 アオイは、子供のころから時々、周りが驚くほど突拍子もないことをする。しかし、そんなときのアオイは、決して頭に血が上っているわけでも、投げやりになっているわけでもなく、怖いくらい冷静に行動する。


 今回もアオイは、自分がこのままここにいたらどうなるか、自分の気持ちはどうなのかを冷静に判断し、この方法で辞めたら周りにどのような影響を与えるかもしっかり理解したうえでシステムを使った。


 会社はすんなり辞められたが、同期や一緒にいくつものプロジェクトを乗り越えた仲間も失った。


 こうして今、誰に伝えることもないが、いろんな人たちの魅力を文章にすることに純粋な喜びを感じている。特区にはお金の概念がないので、売上を伸ばすという私のやってきた仕事は成立しない。完全に自己満足だけど、これまで自分が培ってきたものが形になるのはやっぱりうれしい。


 美味しいものを食べて喜び、きれいな景色を見て感動し、楽しいことをして笑う。そんな感情を一日のうちにどれだけ多く感じられるかが、本当の幸せなのかもしれないと感じ始めた。

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