第18話 不自由な自由

「秘密を守れる人間などいない。唇が沈黙していても、指先でおしゃべりし、裏切りはすべての毛穴から漏れ出す」

-ジークムント・フロイト


 やっと特区の住民になることができた。本当なら第一期住民公募に応募したかったが、まだ19歳だったので応募できなかった。20歳に満たない者の移住は、20歳以上の保証人か保護者と一緒でないといけないという決まりがあったからだ。


 特区の住民になることを許可されたことを友人に話すと、「働かなくても生きていけるんでしょ、勝ち組決定やな」とか「SNS禁止とか私には絶対無理」などと言われた。


 正直、SNSにはほとほと疲れていた。映えのために食べたくもないものを注文したり、はしゃぎたくもないのにはしゃいだりするのには、もう限界だった。


 これからは、自分のことを誰も知らない環境で、自分らしく生きていけるのだ。


 特区に来て、最初の数週間は毎日特区内を歩き回り、さまざまな人に会ってみた。野菜を育てている人、果物を育てている人、酪農をしている人など、いろんな人がいて、いろんな話をして、いろんな収穫物をもらった。時には、同じ二期の住民に会うこともあり、雑談を楽しんだ。


 ここでは、これまでの僕を知っている人はいないし、何をやってもいいし、何もしなくても生きていけるし、好きなことをして生きていける。


 僕は自由で、僕の世界はここから無限に広がっていく……はずだった。


 僕はまず、集落での自分のポジションを獲得するため、「使える男」になるつもりだった。そのために数週間集落を観察したし、なにより集団の中でどこに収まればみんなに一目置かれるかを見つけるのが得意だった。


 手始めに、果実を栽培しているところに行ってみた。夫婦二人で果樹栽培をしていて、子どももいるので人手には困っているはずだと考えた。


「何かお手伝いできることはないですか?」と尋ねると、


 少し考えた後、「今のところないかな」と言われた。


「もし、君が果樹を育ててみたいなら、いろいろと教えてあげられるけど」と言われたので、「あ、大丈夫です」と答えて、果樹園をあとにした。


「まだ忙しい時期じゃないのかな。あ、もしかしたら年頃の娘さんがいるので警戒されたかな」と考え、次の目的地を考えた。


 次に決めたのは、稲作をしている人のところだった。かなり年配の夫婦で、年齢的にも体力が衰えているので、きっと役に立てると考えた。


「何かお手伝いできることはないですか?」と尋ねると、


 少し考えた後、「今のところないかな。今はTIがサポートしてくれるし、農業用ロボットも導入してるから」と言われた。


「あ、でも稲作に興味があるなら、いろいろと教えてあげられるよ」と言われたので、「あ、大丈夫です」と答えて立ち去った。


 その後は、野菜栽培、生花栽培、キノコ栽培、魚の養殖、酪農と次々に回ったが、返ってくる言葉はどれも同じだった。


 何の成果もなく家に帰ると、仕事はもらえなかったが収穫物だけは袋いっぱいもらってきたので、適当に切って塩コショウで炒めて食べた。


 ベッドに横になり、今日の出来事を思い返す。「やっぱり、一次産業は自分には向いていない」という結論に達し、明日はどこを攻めるかと考えているうちに、いつの間にか眠っていた。


 昨日の経験を活かして、今日はまったく別のことをしている人たちのところに行くことにした。


 最初に、何度かご飯をごちそうになったことがある中年女性の家を訪ねた。


「何かお手伝いできることはないですか?」


「まあ、若いのに料理に興味があるの?」と驚かれて、料理に関する話を長々と聞かされたが、結局手伝いはいらないと断られた。


 次に、同じ二期住民で最近お菓子作りを始めたおばさんのところに行ってみた。


「何かお手伝いできることはないですか?」


「ごめん、今、余裕ない」と断られた。「余裕がないから手伝いが必要なんだろう。一生甘い匂いの中で、甘い夢でも見てろ」と心の中で悪態をついた。


 結局、どこに行っても結果は同じだった。


「何なんだよ、ここの住民どもは。こんなに若くて体力もあって、素直でなんでもやる好青年がいるのになんで使おうとしないんだよ。今あるリソースを適材適所に使って最大の成果を得るというのが、できる大人ってもんだろう。使えないやつばっかりだ」と不貞腐れた。


 腐っててもしょうがないので、しばらく避けていたTIに相談することにした。


「ニニー、僕、何をやったらいいかな?」


「あなたが今感じている困惑についてお話しいただけますか?それから、あなたのスキルや興味についても教えてください。そうすれば、もっと適切なアドバイスができると思います」


「僕は若いし、体力もあるので肉体労働もできるし、TIも使いこなせるので知識もあるし、なんだってできるんだけど、他の人が使ってくれないんだよ」


「なるほど。それはフラストレーションが溜まる状況ですね。特区の住民たちは自分のペースで生活し、外部の助けをあまり必要としないことが多いようです。あなたのスキルや体力を活かすために、新しいアプローチを考えてみるのはどうでしょうか。例えば、自分自身でプロジェクトを立ち上げることや、特区内でまだ未開拓のニーズを見つけて、それを満たす活動を始めることも考えられます」


「だから、その何かがわからないから聞いてるんだよ」


「なるほど、それは大変ですね。では、あなた自身は何か特にやりたいことや興味のあることはありますか?今までに何かに強い情熱を感じたことは?」


 やりたいこと?興味のあること?情熱ってなに?思えば、これまでやったことと言えば、勉強と休みの日に友達と遊ぶくらいで、趣味や情熱を持って何かを行ったことなど、いくら考えても出てこなかった。


「SNSくらいかな」


 SNSでの情報発信は、許可を取らない限りできない。


「特区内で自分自身が楽しめることや、挑戦してみたいことは?過去に何かに夢中になった経験があれば、それをヒントに新しい活動を見つけることができるかもしれません。あなたの内なる声を聞いてみてください。何があなたを本当にワクワクさせますか?」


「だから、それがわからないから聞いてるんだよ!」


「あなたは、自分が本当に好きなことや興味を持てることを見つけたことがないんですね。なぜそうなのでしょう?」


「わからない」


「自分自身を知らないことが一番の問題かもしれません。何も感じない、空っぽな自分が怖いのではありませんか?」


「怖い?」


「そうです。何かに夢中になることができない、自分が空っぽだと感じることが怖いのでは?」


「俺は空っぽなんかじゃない」


「それなら、何があなたを満たしているのかを教えてください。何に価値を感じ、何に情熱を燃やしていますか?」


 乱暴にホログラムディスプレイの前で腕を横に振り、画面を消した。


 その日は、TIとのやり取りが頭の中で何度も繰り返され、一睡もすることができなかった。


 翌朝、青年はふらふらとした足取りで、中央管理局事務所に現れた。


 青年の青白い顔色とただならぬ雰囲気に気付いたスタッフの一人が、慌てて駆け寄った。


「大丈夫ですか?なにかあったんですか?」


 青年はうつろな目でスタッフを見つめた。


「何もないんです。何か僕にできることはありませんか?」


「そうは言われましても、私たちは住民の皆さんと違い、給料をもらってここで働いています。立場が違いますので、住民の皆様に何かをお願いすることは、緊急時を除いてはございません」


「そうですよね」と一言だけ言うと、ふらふらと中央管理局事務所を出て行った。


 そんな青年の後ろ姿を見ていた中央管理局のスタッフは、「ダメかもしれんな。一応、カウンセリングの準備と上に報告しとくか」とつぶやき、建物の中へと消えていった。


 青年は元来た道を歩きながら考えた。


「何がいけなかったのか。僕は誰にも嫌われるようなことはしていないし、うまくやっていたはずだ」


「僕は悪くない、悪いのはあいつらだ。若い僕を使いこなせないあいつらが悪いんだ」


「味方が欲しい。僕の考えをわかってくれる味方が必要だ。味方さえ現れれば、ここでも僕は十分やっていける」


 家に着くと、すぐにカバンの奥底に隠してあった小型デバイスを取り出した。これは母が万が一のためにと持たせてくれたものだ。サイレントモードを解除しない限り小さな電波も発信しないため、持ち込んだことはばれていない。


 まずはサイレントモードを解除せず、ここに来てからの出来事や、自分がどのような扱いを受けたかなどを自撮りし、思いのたけを語った動画を作成した。そして、拡散希望のタグをつけて投稿の準備を整えた。


 自分のフォロワーが最も多いSNSアカウントに投稿すれば、誰かの目に留まり、拡散され、仲間が集まるはずだ。同じ考えを持つ同志さえいれば、ここでも自分はやっていける。


 サイレントモードを解除し、素早くSNSにアクセスする。事前に準備しておいたキャプションとタグを貼り付け、動画を添付した。


「これでもう大丈夫」――送信ボタンをタップした瞬間、目の前が闇に包まれた。


……………


 体が動かない。もうろうとする意識の中で、どうにか目を開けようとするがうまくいかない。そこには、まどろんでいるような気持ちよさはなく、油断すると暗い穴の奥底に引きずり込まれるような恐怖があった。


 どうにか穴に引きずり込まれないようにもがいていると、足元から人の話し声がかすかに聞こえる。


『助けて、誰か僕を助けて』。声にはならない。


「でもまあ、いつかは起こる可能性のあった事だし、マニュアル通りに処理もできたんで問題ないんじゃない」


「……もたいし……は……でおね……」。意識が遠のき、うまく聞き取れない。もう一度、自分を奮い立たせる。


「この後のことも、マニュアル通りやりましょう。逆に前例ができて良かったんじゃないですか」


「そうですね、新しく開発した……の検証にも……」


 あらがうことができず、深い闇の奥底に引きずり込まれていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る