第7話 新たなる基盤 ー ヒデオ
「成長は不可避であり、望ましいことだが、文化的、歴史的、社会的、物理的特性の破壊はそうではない。問題は、あなたの住む世界が変わるかどうかではない。どのように変化するかである」
-エドワード・T・マクマホン
特区に移住して半年が経ち、トモキの喘息も義母の体調も随分良くなった。
これまでは地域の発展のために働いてきたが、結局この自然豊かな土地が二人の体調を良くしているとは、なんだか皮肉なものだと感じる。特区へ来る前、ヒデオは地方都市の基盤構築や維持にかかわるインフラ整備の仕事をしていた。働き始めたときは、重機オペレーターとして建築現場での作業を行っていた。
しかし、AIの導入により徐々に環境が変わり始めた。最初は設計、計画、許認可などの事務作業がAIによって処理されるようになり、その後は運営・保守までAIが担うようになった。決定的だったのはTI(超越的知能:Transcendent Intelligence)の導入だ。それまでは遠隔制御でかろうじてオペレーターとして働いていたが、現場のすべてをTIが制御するようになり、重機や建設ロボットが24時間体制で施工を行うようになった。このことにより、インフラ整備全体の効率性が向上し、コストが大幅に削減されたが、同時にヒデオのモチベーションも削がれていった。
それでも、これまでの経験を活かした仕事は残っていた。しかし、息子の喘息が治らず、ふさぎ込んでいた義母に認知症の危険マーカーが出たことを機に、転職を考え始めた。家族で過ごす時間が増えると、妻のナミも賛成してくれた。
最初は、自分の技術を活かせる仕事を探していた。しかし、これまでの経験がすべてTIで対応できることに気付き、まったく新しい分野に挑戦することにした。何かを育てる仕事がしたいと考え、探していたところ、BIC特区の第1期住民募集が目に留まった。募集要項を見ると、果樹栽培をする住民を募集しており、特区が都市部から離れた自然豊かな場所にあるなど、魅力的な条件が揃っていたため、すぐに応募を決めた。
応募総数などの詳しい数字は公表されなかったが、第1期ということもあり、競争率は非常に高かったと後で聞かされた。家族での移住、義母に認知症の初期の危険マーカーが出ていたこと、そしてこれまでの重機オペレーターとしてのキャリアが評価され、不測事態の発生時に協力することを条件に、住民になることが許可された。
突然の引っ越しに子どもたちが対応できるか心配したが、デジタル機器が身近な存在で育った彼らにとって、離れた友だちとオンラインでコミュニケーションを取るのは普通のことだった。旧世代の私とは感覚が違うようだ。初めての引っ越しにもかかわらず、自然の中での新しい生活への好奇心が勝っているように見えた。
特区に移住して最初の半年は、初めての果樹栽培を始め、さまざまなことに困惑した。それでも、家族で試行錯誤しながら作業するのはとても楽しく、長い間家族とちゃんと向き合っていなかったことに気付き、申し訳ない気持ちになった。TIの助けもあり、果樹栽培も順調に進み、次第に余裕が生まれてきた。
特区での暮らしも2年目を迎える頃、私たち家族が育てる果樹は、安定して収穫できるようになり、特区住民の楽しみのひとつとして定着した。
子どもたちの学校教育はオンラインのみだが、TIによる個別学習が主流のため、教科教育については問題ない。人間の教師が行う道徳教育や人間性教育は、家族で過ごす時間や特区住民との交流を通じて自然に学んでいる。
2年目には新しい住民も入ってきた。
第1期住民の多くは、私たちと同様に果樹栽培や野菜栽培、穀物栽培、魚の養殖、酪農などの役割を持って移住してきた。住民たちはそれぞれの役割に奮闘し、時には助け合いながら団結していた。
一方、2期住民は特定の役割を持たずに移住してきた。それまでにも小さなもめごとやトラブルはあったが、2期住民の移住により一時的にトラブルが増えた時期もあった。管理事務所が対応したトラブルが一度あり、その住民はその後いなくなったので、おそらく強制退去させられたのだろう。
これまで自主的に特区を出た人も何人かいる。第1期からともに頑張ってきたマサルさんがいなくなったときは、家族全員が少し落ち込んだ。
3年目を迎えようとしたころ、2期住民もそれなりに落ち着きを見せ、お菓子を作る人、手先が器用でいろんな道具を作る人などが現れた。また、絵を描く人、歌を歌う人、ギターを弾く人なども加わり、特区内にはそれまでになかった新しい活動が生まれた。何もしない人、朝から酒ばかり飲んでいる人などもいるが、それはその人の生き方なので、とやかく言う住民は一人もいない。
3年目には、また新たな住民が加わる。トラブルや事件は避けたいが、新しい何かが生まれるのはやはり楽しい。
この先、BIC特区制度がどれだけ続き、どのように変わっていくかわからないが、まだ見えぬ未来への不安に時間を費やすよりも、毎日の生活を大事に楽しく生きていくことが何よりも重要で価値があると感じるようになった。
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