第6話 鳳梨の甘い時間 ー アオイとミサキ
家の中に入ると、リビングの中央には円形のダイニングテーブルがあり、木製の椅子が向かい合って並べられていた。壁際のウォールシェルフには、本や小物がきれいに整頓されている。部屋の奥にはアイランドカウンターがあり、その向こうに長い髪を後ろで束ねた女性の後ろ姿が見えた。
女性は後ろを向いたまま、「食べてく? それとも持ってく?」と尋ねた。アオイがどう答えていいか迷っていると、女性が振り返り、少し驚いた顔をした。彼女はスレンダーで知的な雰囲気を持った、きれいなお姉さんという印象だ。細いフレームの眼鏡の奥にある大きな目が、驚きながらアオイをじっと見つめていた。
「あ、新しく来た人?」
「はい、アオイと言います。昨日、隣に引っ越してきました。よろしくお願いします」
「隣といっても、結構距離があるけどね」
女性は小さく笑った。
「私はミサキ。もう少しで終わるから、座って待ってて」
それだけ言うと、ミサキは再び背を向けた。
言われるままにリビングの椅子に座り、ミサキがてきぱきと動く後ろ姿を眺めながら待った。
しばらくすると、ミサキは大きなトレイを持ってリビングに戻ってきた。
アオイが慌てて立ち上がろうとすると、「いいの、座ってて」とミサキが優しく言い、大きな皿をテーブルの真ん中に置いた。
「今日はパイナップルケーキよ」と、にっこりと微笑む。皿の上には、小麦色に焼けたケーキが山盛りに積まれ、甘い香りが漂っている。
ミサキはアオイに小皿とフォークを手渡し、ポットからコーヒーをカップに注いでくれた。
「突然お邪魔したのに、ありがとうございます」
カップを受け取りながらアオイが言うと、ミサキは「ふふふっ」と笑い、「遠慮なく食べて」とケーキの乗った皿を手で示した。
「いただきます」
パイナップルケーキをひとつフォークで刺し、そのまま口に運んだ。パイナップルの甘酸っぱさと、しっとりとした甘さ控えめの生地が絶妙に調和していて、いくらでも食べられそうだ。ケーキを口に含んだままコーヒーを一口飲むと、フルーティーな香りとコク、上品な酸味がパイナップルケーキとよく合い、幸せな気持ちに包まれた。
「とっても美味しいです。パティシエをされていたんですか?」
ケーキの美味しさに感動し、思わずミサキに尋ねた。
「いや、税理士。数字ばかり見てたの」
ミサキは笑いながら答え、一口ケーキを食べて満足そうに頷いた。それから、数字に関する感覚が鋭いことや、お菓子作りを始めた経緯を、楽しそうに話してくれた。
「他の住民の方々は何をされているんですか?」
聞きたいことはたくさんあったが、まずはそれを尋ねた。
「んー、果樹栽培、野菜栽培、工房での作業、絵を描いている人、話を聞いてくれる人、何もしない人もいるね……さまざまな人がいて、いろんなことをやっているよ。そのうち、嫌でもいろんな人に会うから、自分の目で確かめるといいよ」
「そうですね。時間はたくさんありますもんね」
まだ都会の時間の速さに振り回されている自分に気付き、少し焦りすぎているかもしれないと反省した。
「それにしても、このパイナップルケーキ、本当に美味しいです」
「遠慮しないでたくさん食べて。食べてもらうために作ってるんだから」
ミサキはケーキを勧め、コーヒーも継ぎ足してくれた。
「じゃあ、遠慮なく」
二つ目のパイナップルケーキにフォークを刺した。
「ここは不思議なところだよ。アオイちゃんもすぐにわかると思うけど、お金という概念がないだけで、こんなにもさまざまなものの価値観が変わるなんて思わなかった。例えば、このケーキにしても、作りたいから作ってるだけで、それを食べたい人が食べる。ただそれだけ」
ミサキは嬉しそうにアオイを見つめた。
「アオイちゃんみたいに美味しそうに食べてくれる姿を見ているだけで、幸せな気分になるの。ここに来るまで数字ばかり追っていて、今考えると、何が楽しくて生きていたのか、わからない」
お金の概念がなくなると今までの価値観が変わることをなんとなく理解できた。しかし、実際に経験していないため、その感覚に慣れるには時間がかかりそうだと思った。
「大丈夫。時間はたくさんあるから、少しずつ自分の目で見て考えていけばいいよ」
ミサキが優しく言った。
また都会時間に振り回されていることに気付き、再び反省した。
結局、パイナップルケーキを三つ、コーヒーを二杯平らげた。
まだ時間があるので、次はどの家に挨拶に行こうかとミサキに相談してみた。すると、ミサキが「パイナップルをくれた果樹栽培をしているヒデオさんのところにケーキを持っていくので、一緒に行かない?」と誘ってくれた。
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